第43号(2007年2月)

 常日頃は『朝日新聞』の「朝日歌壇 俳壇」などを見ることはないのに、どうしたことかこの日に限って見たのです。すぐ目に入ってきた歌がありました。そこに"沖縄"や"基地"という単語を見つけたからでしょうか? 1月8日付朝刊です。それは2006年の入選歌の中から第23回朝日歌壇賞を受賞した歌でした。  

分断の祖国の境界線に似て鉄条網多し基地の沖縄  

 作者は在日コリアンの金 忠亀という方です。涙が出てくるような、そして怒りがこみ上げてくるような、そんな歌です。  
 そうしていると、今度は1月14日付『朝日新聞』の「声」欄に金 忠亀さんの投書を見つけました。嘱託社員(大阪府忠岡町 70歳)とあります。そこで金さんは「在日2世の私が、短歌に魅せられ作歌を始めて30数年。この度、冒頭の歌で、思いがけず朝日歌壇賞を頂き、作歌意欲を大いに刺激された。/好きな短歌を詠みながら、今の日本の動きが気になる。保守主義が台頭し、日本人の誇りであるべき平和憲法が危うくなっていると感じる」「言論の自由とともに、歌は自由である。在日の歌詠みとして、真実の心の叫びを、慣れ親しんだ日本の文字で表現し、日本の皆さんと友好を深めていきたいと願っている」と書いておられました。

◆ 目 次 ◆

1.1月22日(月)、「平良夏芽さん講演会」に120名を超える人びとが集い、
どう生きるのか、どう闘うのかをみんなが問われた。

2.1月19日(金)に大江・岩波沖縄戦裁判第7回公判が開かれる。
3月24日(土)〜26日(月)に渡嘉敷・座間味島強制集団死調査の旅を実施。

3.世界的規模での米軍再編は、韓国でも。
米軍基地拡張に反対する平澤(ピョンテク)の農民たちに大弾圧。

 

1.1月22日(月)、「平良夏芽さん講演会」に120名を超える人びとが集い、
どう生きるのか、どう闘うのかをみんなが問われた。

 1月22日(月)午後6時より梅田東学習ルームで「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」主催による「平良夏芽さん講演会 〜 沖縄・辺野古の闘い 平和へのメッセージ 〜」が開かれました。当日は50名ほどの会場に実に120名を超える参加があり、会館管理人が「底が抜けるから困る」と悲鳴を上げるほど熱気あふれる講演会でした。
 高橋さんの司会で始まった講演会の最初に「海に坐る」のビデオを観ました。  


司会の高橋さん

 続いて、平良夏芽さん(日本キリスト教団うふざと伝道所牧師)の講演に入りました。辺野古現地での闘い、そこでの格闘、ヤマトゥに住む私たちへのメッセージなど講演は、それはそれは心に沁みるものでした。 平良夏芽さんは要旨次のように話されました。  


講演中の平良夏芽さん

 今日1月22日は、おじい、おばぁたちが辺野古で坐りこみを始めて2,639日、2004年4月19日より始められようとしたボーリング調査を止める坐りこみから1,009日目です。
 私が辺野古に係わったのは2003年4月8日からです。この時何があったかといえば、那覇防衛施設局が名護市議会に「いつから始めるかは分からないが海象調査を実施するのでその説明をしたい」と説明会を開いた。ところが那覇防衛施設局はその説明会を開いた翌日の2003年4月8日から海象調査を強行したのです。「いつから始めるかは分からない」と言いながらですヨ。これはもうだまし討ちといってもよい。
 そこで、行動を起こそうと呼びかけると6人が集まった。「基地建設につながる海象調査を中止せよ!」と叫び続けたが調査船は海へ出て行った。止めることができなかった。それは2ヶ月間続いて海象調査は終了した。反対運動はこれほどまでも無力なものかとその時思った。反対運動であれば基地建設が進められても「はんたーい!」って言っていたらいい。反対運動であれば「私たちは反対した」で済む。だからもう反対運動はしないでおこうと思った。
 名護の新しい基地建設は絶対に阻止しなければならない。だから体を張って実際に作業を止めるための阻止行動をしなければならないと考えた。  


超満員の会場

 それでまず、辺野古に毎週土曜日朝8時に集まろうと決めた。それを土曜集会と名付けた。「ぼくはやるけど、あなた、やらない?」というところから始まった。一人が本当に決意したら仲間は集まってくるのです。始めの15分間、砂浜のごみ掃除からスタートする。ごみを集めてそこに置いて帰ったら今度はそれを処分するためにおじい、おばぁたちが困るわけですから、ごみを辺野古に押し付けない、ごみを自分たちが引き受けるということで、それぞれが持ち帰るようにした。
 次に45分間、話し合いの時間を設けた。いろんな話し合いをした。その中で、陸路にはないが海上には法律によって「救助義務」という項目があることが分かった。人が溺れていたら作業はできない。幸か不幸か集まったみんなは金づちだった。沖縄は島だから泳ぎはみんな上手いだろうと思うでしょう。でもそうではない。ぼくらが子どもの頃海に入るというのは潜ることなのです。潜って魚などを取って海面に上がってくるということはよくして遊んだが、前に進むというのは苦手なのです。女性は米兵にレイプされるかも知れないからビーチには近づけないので泳げない。そこで、話し合いの中から"弱さを全面に出した闘い方をしていこう"ということになった。
 その後、カヌーの訓練が始まった。最初は誰もカヌーに乗ったことがなかった。@カヌーに乗る人は他人を誘わない。自分もすると言えばしてもらう。A必ずライフジャケットを着用する。B一定の技術を習得した者がカヌー隊になる。この技術とは転覆しても自力で脱出できるというレベルです。このような3つの約束事が決まった。約束事でいえば、海上に単管やぐらが設置された時、工事作業員にはしがみつかずに器材等にしがみつくことにした。あるいは船の前に飛び込むとか…。
 このように辺野古の闘いは完全非暴力の闘いだった。完全非暴力とは何もしないこと、誰とも対立しないということでは断じてない。完全非暴力を貫いたガンジーは「武器を持つ勇気のない者は非暴力を貫くことはできない」と言っている。だから非暴力を貫くための決断と覚悟がいるのです。
 海上での攻防で自分が殴られるのは我慢できても、隣で仲間が殴られ、やぐらから突き落とされ、流血させられるのを見せられる時、相手に対して本当に殺意を持つことがある。でも、こうした自分の中にある暴力性と闘わなければ平和なんてやって来ません。だから現場では、工事作業員に殴られた本人が他の人をなだめるというシーンが多く見られた。そうすると相手は私たちを殴れなくなるのです。
 今までの闘いは水深5メートルのところだった。今度のV字案の大浦湾の水深は40メートルです。阻止行動の中で本当に死者が出るかも知れない。このV字案は1966年に設計されていたもの。だから今までのようには今度は生易くはない。私が9月25日に不当逮捕された時、平良夏芽の仲間は200人くらいだろうと権力は思っていたらしい。でも、名護署は分からないが名護市役所には2,000通のFAXが寄せられた。私の逮捕は予行演習だったと思って下さい。これからが本番です。  


講壇の前・横も参加者であふれる。

 今日の集まりも「いい話聞けたネェ〜」で帰ってしまっては意味がないのです。やはり辺野古の闘いは時間かせぎでしかない。実際に阻止するためにどうしたらいいか議論してほしい。今まで辺野古にヤマトゥから何百人、何千人もの人たちがやって来ました。そのたびに辺野古の闘いを報告してきた。疲れるほど説明してきた。そして「すみません。私は何も出来ませんけれど…」と言って帰られる。寂しいですネ。これは「私は何もしない」ということではないですか? 
 私たちが辺野古で時間かせぎをしている間にあなた方が本当に立ち上がってほしい。  

 この日、西大和教会・大澤牧師を始め、大正伝道所の上地牧師、宝塚教会の佃牧師も参加されていました。もっと多くの牧師も来られていたと思います。信徒も多く見かけました。  

 ある人のブログには「辺野古のたたかいを週に3人に話すと決めた人がいます。大阪行動に参加すると決めた人がいます。平良さんの話は130名の心を変えてしまいました」とありました。それほど強い衝撃を大阪・関西のヤマトンチュが受けた講演会でした。  
 特に印象深かったのは、前号42号で報告したイラクの医師モハメッド・ヌーリ・シャキルさんも参加され、平良夏芽さんと固く握手をされたことでした。  


モハメッド・ヌーリ・シャキルさんと固い握手

 こうして、平良夏芽さんは参加者一人びとりにどのように生きるのか、どのように闘うのかということを突きつけ、平和を実現するために沖縄に戻られました。

 

2.1月19日(金)に大江・岩波沖縄戦裁判第7回公判が開かれる。
3月24日(土)〜26日(月)に渡嘉敷・座間味島強制集団死調査の旅を実施
 

 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判の第7回公判が、1月19日(金)午後1時半より大阪地裁で開かれました。前回公判では傍聴希望者は抽選もなく全員が入廷できたのですが、今回は130〜140名ほどが並んだので、外れないかとぼくはドキドキしながら抽選に臨んだところ無事当たり、傍聴することができました。
 この日は、沖縄で結成された「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」より傍聴に3名(大城将保、山口剛司、外間明美の各氏)、夜の学習会に2名(山口、外間両氏)が参加されました。大城さんは言わずもがなですが、山口さんは沖縄で結成されたこの会の事務局長で琉球大学助教授です。ぼくが琉球大学大学院にいた時から存じていました。外間さんは沖縄平和ネットワークの方です。  
 この日、被告の大江・岩波側は『準備書面(7)』で、米公文書館で見つかった1945年4月3日付米軍海兵隊歩兵77師団の「慶良間列島作戦報告書」や援護業務を担当した元厚生事務官・馬淵新治の記録を基に、「座間味や渡嘉敷の『集団自決』は当初から援護法の対象で、適用を受けるために隊長命令が創作された事実はなかった」と述べました。また原告側が渡嘉敷での命令を否定する根拠の一つにしている『琉球新報』連載の上原正稔「沖縄ショウダウン」について、隊長が住民を虐殺した事実を抜きに一方的な人物評価をしていると指摘、信用性を否定しました。
 原告側は、名誉毀損の対象にしている家永三郎著『太平洋戦争』が、第2版から渡嘉敷での隊長命令部分を削除しているのは、曽野綾子著『ある神話の背景』の刊行によって「歴史家である家永氏が自ら、命令がなかったことを認めている」と主張しました。また渡嘉敷の戦跡碑に「一家は或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった」とする曽野綾子の碑文が記されているのを村教育委員会が郷土資料『わたしたちの渡嘉敷』にしており、「村民の真実の声はここにある」などと述べました。  
 実はこの日裁判の開廷が少し遅れました。待っていると被告側のドアから人が入ってきて書面を弁護士に配りました。そして裁判官が入廷し公判が始まりました。遅れて入ってきたのは口頭弁論にたった原告側の徳永信一弁護士でした。彼の遅れが公判開始を遅らせたのでした。原告側の付け刃ぶりを象徴する場面でした。  
 この徳永弁護士の弁論といえば、「〜沖縄の声を騙る被告らの自滅〜『そこにあるのは愛であった。』(渡嘉敷戦跡碑文より)」と、これはもう弁論という代物ではなく聞くに堪えないアジテーションの類でした。  
 公判の最後に、裁判長が「準備書面のやり取りはほぼ出された。あとは評価の問題だ」と述べました。そして今回新たな証拠が出された点も踏まえ、双方の反論が認められ、次回3月30日で口頭弁論を終わらせず、次々回5月25日まで口頭弁論を延ばし、その後、人証(証人調べ)に移ることが確認されました。  

 引き続きこの日午後6時半より、エルおおさかにて「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会学習会」が開かれました。  


主催者挨拶をする服部さんと司会の筆者

 この日は、@沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会制作「沖縄戦の証言」V TR上映、A小牧事務局長による報告「沖縄戦裁判の争点と宮村証言」、B「宮 村行延さんへのインタビュー」VTR上映、CBの監督である朴壽南さんからの コメントと、多彩なプログラムでした。  


会場風景

 岩波書店を代表し挨拶した岡本 厚・雑誌『世界』編集長は、「地裁レベルで の裁判は折り返し点を越えた。この間原告の主張はどんどん変化し、めちゃく ちゃになってきた」と述べ、次のように説明されました。「@『集団自決』とは、 軍命ではなく住民自らが軍の足手まといにならないようにと自発的に死んだ。 これは『美しい死』であった。それを被告が軍命というのは許されない。軍命 と被告がいう理由は援護法適用のための『悲しい方便』である。原告の主張は 当初こうだった。⇒A原告が最大の論拠とした宮城初枝さんの手記に、住民は 軍命と思っていたのは事実です、と記述されているため、当初の主張は変えざ るを得なくなった。⇒B当時から住民が軍命と思っていたことは認める、と。 それで主張はトーンダウンした。その命令は隊長ではなく村幹部であり助役で ある。こうして島民に責任をなすりつけるようになった」と。そして「岩波書 店としてもこの『美しい死』の背景にある醜い現実を明らかにしていきたい」 とまとめられました。
 更に、山口さんと外間さんのお二人から「沖縄から平和教育をすすめる会」の結成と活動報告をいただきました。  


山口さんと外間さん

 「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」のホームページ

http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/

とともに、「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」のホームページも作られました。一度アクセスしてみて下さい。

http://susumerukai.web.fc2.com/ です。  

 さて、地裁の裁判も折り返し点を越え、証人尋問をひかえた重要なこの時期に「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」は「渡嘉敷・座間味島強制集団死調査の旅」を実施することになりました。日程は3月24日(土)、25日(日)、26日(月)の2泊3日です。現地を訪れ学習を深めるためにこの機会に多くの方が参加されるよう呼びかけます。

 また、次回公判は3月30日(金)午後1時半より開かれます。当日は午後1時から傍聴券の抽選がありますので、遅くともそれまでに大阪地裁裏庭に集合して下さい。

 

3.世界的規模での米軍再編は、韓国でも。
米軍基地拡張に反対する平澤(ピョンテク)の農民たちに大弾圧。

 1月12日(金)に、大阪大学大学院国際公共政策研究科の第18回平和研究フォーラムが「阪大・9条の会」と共催で開かれ、参加しました。この日の演題は「土地は命そのもの 〜 平澤(ピョンテク)米軍基地の拡張に反対する農民たちの闘い 〜」で、「テチュ里の灯火」(25分)と「がんばれ!ファンセウル」(8分)の上映、中井信介さん(ビデオジャーナリスト)の講演がありました。
 1967年生まれの中井信介さんは、1993年よりフィリピンや北方領土の民衆の暮らしを取材。1996年に第1回アジアウェーブ賞を受賞されました。2004年、フィリピンの米軍演習場跡地に暮らす不発弾被害者を描いたドキュメンタリー映画「クアリ」を制作し、2006年にソウル人権映画祭に出品。2006年1月よりテチュ里に暮らしながら撮影を始め、RKB毎日放送制作「テチュ里の灯火」を撮影。「がんばれ!ファンセウル」で「国際人権教材奨励事業AWARD2006」を受賞されました。中井さんは1月22日(月)の平良夏芽さん講演会にも見えていました。  
 以下の報告は、主に「平和と統一を開く人びと(ピョントンサ)」米軍問題チーム局長・丁庸 鎮(チョン ヨンジン)さんの『駐韓米軍の侵略的再編と平澤米軍基地拡張の問題点』と中井信介さんの講演によっています。  


講演する中井信介さん  

 ノ ムヒョン(盧 武鉉)政府は、2006年1月19日ワシントンで開かれた韓米外交通商部長官会談である「韓米同盟・パートナーのための戦略対話」で、韓米同盟を対北防御同盟から対中国封鎖同盟へ再編することに合意しました。  
 ここから駐韓米軍の再編問題が浮上します。その一つが平澤米軍基地の拡張です。平澤市の面積は約1億3,700万坪、370,653人が住んでいます。平澤にある米軍基地は、210万坪のK−55(オサン空軍基地)、150万坪のK−6(キャンプホンプリー)、射撃訓練場、弾薬庫、通信所を合わせて457万8,000坪以上で、12,091人の駐韓米軍が駐屯しています。  
 そもそも拡張予定地であるファンセウル平野は、日本の敗戦後に入ってきた米軍による過去の基地拡張計画によって土地を追い出された住民たちが干潟だった土地を苦労して干拓した農地です。だから、日本軍の占領時代から数えると3度目の強制収用となります。  
 ここに、農民を追い出し拡張される米軍基地の面積は、K−55基地が64万坪、K−6基地が285万坪で、合計349万坪になります。平澤米軍基地拡張が完了すれば、合計806万8,000坪以上、平澤市の面積の約6%となります。米軍基地拡張阻止闘争を展開しているテチュリ(大秋里)、トドゥリ(棹頭里)の村はK−6基地の周辺にあります。  
 K−6基地のテリエント司令官は、拡張される平澤基地を100年以上もつよう頑丈に造ろうと公言し、そのため土地が低く洪水の心配があるとして錬兵場は2.6m、建物敷地は3.3mの高さに盛り土するよう要求しています。285万坪を2.6mの高さに盛り土するには実に3,900万トン(15トントラック260万台分)の粘土が必要で、50mの高さの山を180個削ることになるのです。  
 2006年5月4日、韓国政府は警察1万5,000人以上、軍2,800人、業者700人を投入し、農民の土地を暴力的に奪いました。4日、5日の連行者は640人、負傷者は560人以上になりました。そしてテチュ(大秋)小学校を叩き潰し、鉄条網を張って田畑を奪いました。9月には空き家を撤去し、それでも足らず11月13日にはわずかに残っていた14万坪の土地にまで鉄条網を張りました。こうして我慢できずに血の涙を流しながら出て行く住民が続出し、46世帯が残りました。
 年が明けて2007年1月2日、テチュリ(大秋里)、トドゥリ(棹頭里)の60余世帯は、3つの条件を政府が飲めば村を離れることで政府と合意しました。
 第1は、国防部が住民に強圧と暴力を振るったことにたいする謝罪。
 第2は、平澤闘争で起訴された人びとに対する赦免です。2006年12月27日現在、逮捕された人は819名にものぼっています。
 第3は、住民の共同体の保障です。今のテチュリ(大秋里)の面積4万坪の土地を提供すれば、そこに新しいテチュリ(大秋里)を作るという構想です。
 平澤米軍基地の拡張計画について、「両国は『2008年末までの移転』で合意済みだが、韓国メディアが昨年末に相次ぎ、『2012〜13年にずれ込む見通し』と報じ」(『朝日新聞』1月19日付)ています。しかし、陸と海の違いがあるだけで、何と辺野古の基地建設と類似していることでしょう。
 「平和と統一を開く人びと(ピョントンサ)」の丁庸 鎮(チョン ヨンジン)さんが「駐韓米軍の侵略的再編と在日米軍の再編は、米国の覇権追求ということにおいてその共通性があり、日本民衆と韓国民衆が侵略戦争の共犯者に転落させられるところにその危険性がある。互いに国境を越えて強固な国際連帯闘争の強化で全世界の平和を守る闘争に力強く立ち上がろう!」と呼びかけられています。この呼びかけに私たちも応えることが必要です。

 

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