第44号(2007年3月)

 ◆ 目 次 ◆

1.2月16日(金)、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が第5次の署名を提出。
"軍隊は国民を守らない。軍事機構は市民の要望を聞こうとしない"ことを実感。

2.2月13日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第2回口頭弁論が開かれる。

付記.「北方領土」の表記について

 

1.2月16日(金)、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が第5次の署名を提出。
"軍隊は国民を守らない。軍事機構は市民の要望を聞こうとしない"ことを実感。

 2月16日(金)午後3時より、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は大阪防衛施設局に第5次となる4,780筆の署名を提出しました。  


4,780筆の署名を提出

 第1次署名提出の2004年1月20日から第3次の2005年10月27日まで、ぼくは沖縄に居住しており、第4次の2006年6月26日には自らの研究・調査のため沖縄に行っていましたので、今回が初めての参加となりました。  


大阪防衛施設局前にパネルを展示。

 当日、大阪防衛施設局に提出した要請書を以下に全文掲載します。長文ですが是非お読み下さい。
 というのは、大阪駅前で131回の行動を重ねてきたメンバーが行動しながら討論し、基地を抱える他地域にも見学に赴き、その地で反対運動を取り組んでいる方々と意見交換し、出来上がったものだからです。この要請書を当日参加した30名ほどのメンバーと大阪防衛施設局だけが承知しているというのは何とももったいないと思うからです。これを読めば、今日本がどれほど危険なところに来ているのかを知ることができると考えるからです。
 以下、要請書です。  


要請書を朗読する松本亜季さん。

 私たちが深く思いを寄せる、沖縄・辺野古の基地建設を止めるための座り込みは、8年(2,639日)と1,030日を超えた。そこに座り込む人々の思いはいまだ達成されぬまま、しかし絶対に達成させなければならないと、その思いは今日も燃え続けている。
 "平和は待っていても訪れない。この手でつくりだしていくのだ。"人々が体をはるのは、自分たちの島からこれ以上イラクの人々を、世界の人々を、殺しに行かせないため。自分の子どもや孫の手を戦争に染めさせないため。とりわけ、世界規模で進められる「米軍再編」と、それに歩調を合わせ、勢いを増す日本政府によって厳しさを増す状況の中で、そうして辺野古の人々は10年間、勝ち続けてきたのである。
 防衛「省」昇格関連法が今年1月9日に施行され、防衛庁が「防衛省」になった。これに伴い、自衛隊の「海外活動」は、これまでの「付随的任務」から「本来任務」になるという。これは、まさに、自衛隊を事実上、軍隊に格上げするという憲法改悪の先取りにつながる大問題であり、自衛隊を米軍と共に、世界で戦う軍隊に転換させるものに他ならない。この法案が、「伝統文化」や「愛国心」を教育現場に強制し、教育の機会均等、自由を解体することで、子どもたちを「戦争の担い手」へと駆り立てていくという意味合いを色濃く持った教育基本法の「改正」と併せて行われたことも、私たちは深く憂慮するところである。
 そして、こうした、'反動'という形容さえ可能な日本の国家体制の根本的な変容は、「米軍再編」計画の中ではっきりと具体化され、米軍と自衛隊の実戦能力の強化、一体化が急ピッチで進められている。
 昨年5月の日米安全保障協議委員会(2+2)の中で示された、「再編実施のための日米のロードマップ」では、キャンプ座間(神奈川県)への陸軍第1軍団司令部の移転(2008年度)および陸上自衛隊中央即応集団司令部の新設(2012年度)、横田基地(東京都)では、ミサイル防衛に対処するためのアメリカ空軍と航空自衛隊航空総隊司令部の一体化(2010年度)、厚木基地(神奈川県)から岩国基地(山口県)への空母艦載機移転(2014年)、嘉手納基地(沖縄県)・三沢基地(青森県)・岩国基地の戦闘機訓練の「本土」6ヵ所への分散移転など、世界にまこと類を見ない二国間の軍事的な中枢の統合と、それに伴う理不尽な軍隊の配備「転換」が盛り込まれている。
 これらの計画は、たびたび地域の自治体および市民の理性ある決断によって拒否されてきたにも関わらず、「国の専権事項」というあり得ない理屈でその民主主義を踏みにじる、日本政府の横暴な姿勢によって進められている。  
 そして、実際に、米軍と自衛隊の機能強化、一体化は私たちの足元で着々と進められている。昨年8月、米軍は最新鋭の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦「シャイロー」を米海軍横須賀基地に配備した。また、沖縄では、昨年10月、多くの反対の声や座り込みを強制的に排除し、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)24基を嘉手納弾薬庫地区に、さらに、パトリオット・ミサイルの発射台4基など装備品を嘉手納基地に運び込んだ。米軍は、来年3月には本格的運用を開始するとし、それに向けて、今後、発射台20基、ミサイル本体120発を運び込むと報道されている。一方、日本の自衛隊基地には、2006年度から5年間でパトリオット16基を配備する計画であるという。
 2006年6月26日から7月28日まで、ハワイ沖では、アジア太平洋沿岸8カ国の艦船などが参加して環太平洋合同演習(リムパック2006)が行われた。この訓練では、ミサイル発射、及びミサイル迎撃訓練が行われ、日本は海上自衛隊1,250名と、最新鋭のイージス護衛艦・きりしまを含む戦闘艦4隻、戦闘機8機などを派遣した。
 しかも日本社会では、朝鮮民主主義人民共和国のミサイル問題や核実験、中国の軍事大国化などを持ち出し、「脅威」を一方的に煽る中で、外務大臣、防衛大臣、与党幹部から、非核三原則を否定する発言や日本が核武装を検討するかのようにもとれる発言が続いている。政府は、一方で「北朝鮮」や中国の問題を「周辺事態」として煽っておきながら、自分たち自身の発言の危険性には無責任な態度をとる。また、「実戦」を銘打った合同演習が東北アジア地域全体にいかに脅威を及ぼしているかについて、都合が悪いから全く触れようとさえしない。そして、これらの合同訓練は、私たちに十分な情報がもたらされないまま、大規模に繰り広げられている。
 2007年に入り、日本国内でも陸上自衛隊第13旅団と米海兵隊による合同訓練が、岩国基地、川上弾薬庫(東広島市)、秋月弾薬庫(江田島市)において実施される。また、これまで大分県の日出生台で行われてきた日米合同演習が、今年は、1月下旬から熊本県山都町の大矢野原演習場で行われている。また、1月29日から2月8日まで12日間、日米共同統合指揮所演習(<キーンエッジ>「鋭い刃」)が市ヶ谷駐屯地と米軍横田基地などで行われた。これに続き、2月4日から13日間、伊丹駐屯地で日米共同方面隊指揮所演習<ヤマサクラ51>が行われている。  


我々の要請にまともに答えよ!

 一方、沖縄では、防衛庁が「省」になるまでもなく、圧倒的な軍事力が轟く中に人々は生活を続けてきた。さらに、最近はより無謀な配備や訓練が強行され続けている。今年に入り米軍のパラシュート訓練が嘉手納飛行場、伊江島補助飛行場、津堅島訓練場で相次いで実施された。そして、2月13日には、キャンプ・シュワブ「訓練水域」でも降下訓練が強行された。
 昨年の12月には、読谷村都屋の沖合でCH53E大型輸送ヘリがワイヤでつり下げ運搬中の廃車を落下させるという事件が起こった。伊江島補助飛行場での降下訓練では、目標地点を越えて民間地域に降下した。また、未明の戦闘機離陸による嘉手納周辺自治体の爆音禍は日常茶飯事に起きている。その嘉手納基地には、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)が配備された。そして、近く最新鋭ステルス戦闘機F22Aが配備されるという。「米軍再編」過程で勢いを増すアメリカ、その片棒を担ぎ続ける日本政府は、沖縄においてまさにその暴虐の限りを尽くしている。
 また、辺野古をめぐっても政府の卑劣さ、差別政策は増すばかりである。2月9日、「米軍再編推進法案」が閣議決定され、第6条に、「米軍再編交付金」の交付条件として「再編の実施に向けた措置の進捗状況」が明記された。これを念頭に、防衛省首脳は、島袋吉和市長が1月の普天間移設協議会で、日米が合意したV字型滑走路の修正を要求したことから、「米軍再編交付金」の交付について「今のままでは出せない。ゼロだ」と明言した。要するに政府は、名護市が求めたV字型滑走路の修正案をのむ気などなく、名護市の動きを「カネをやるから政府のいうことを聞け」と、経済振興というアメで牽制しようというのだ。この政府の考えられない恫喝の背景にあるのは、紛れもなく、これまで一貫して行われてきた沖縄への差別政策であり、沖縄の人々の命は無視しても、米軍に施設を提供し、今後も日米同盟で世界の富を牛耳っていくのだという姿勢である。
 さらに、那覇防衛施設局は、辺野古の基地建設計画について、まだ事業計画さえ明らかになっておらず、さらに沖縄県とも全く合意に至っていないにも関わらず、辺野古での「事前調査」を行うことを発表した。環境アセスメント法において、事業者が事業計画を明確にしない間のいかなる「方法書」提出も「調査」も違法である。政府は、「サンゴの事前調査」として、アセスを詐称することを今すぐ撤回するべきである。
 この間の動きを見ても明らかなように、政府は、新基地建設に向けた「事実」を一つ一つ積み上げ、既成事実化し、その着工の突破口を開こうとしている。この後、おそらく政府は、圧倒的な物質力で辺野古に襲いかかってくるのであろう。辺野古の基地建設着工は、まさに、秒読み段階の正念場にある。この政府の動きに対して、私たちは声を荒げて言いたい。どこまで沖縄の人々を愚弄すれば気がすむのか。「米軍再編」の具体化に際して、嘘にまみれながらにも言った「地元の負担軽減」が、もはや完全に破綻しきっている現状をどう説明するのか。それだけではない。1997年の名護市民投票で示された基地建設に「反対」という住民たちの声。そして、それが政府によって覆された後も、ずっと行われてきた基地建設反対の座り込み。その座り込みのために、その強い意志に太刀打ちできなかったために、2005年の10月、一度は辺野古の基地建設計画を白紙に戻さねばならなかったのではないのか。その10年間かけて積み重ねられてきた事実をいとも簡単になかったことにし、さらにまた辺野古に襲いかかろうとするのは、非道の沙汰としか言いようがない。日米政府は自らの行為を痛切に反省し、今すぐ辺野古への基地建設計画そのものを白紙撤回するのが当然とるべき道理である。
 この間、政府の方針は二転も三転もし、ぐらぐらと揺れ続けてきた。しかし、辺野古の人々の意志はずっとそこにあり続けている。そこに、本当の意味の「平和」があるからだ。沖縄の人々は非道な米軍の訓練、事件・事故が繰り返されるたびに、何度も何度も米軍に対して、そして、アメリカの片棒を担ぎ続ける日本政府に対して抗議の声をあげ続けてきた。沖縄の人々の命は常に危険に曝され続けている。ひと時も気持ちが休まらない中を生きている。しかし、気持ちが休まらない本当の理由は、激しくなる訓練の向こう側に、それと同じくして、激しくなる「殺戮」が、「殺されていく生命」が、見えるからだ。
 "その殺戮を絶対に止めなければならない。これ以上、イラクの人々を世界の人々を殺しに行く基地をつくらせてはならない。"そこに、辺野古の人々の微塵も動かぬ意志がある。あなた達と私たちは、このことにどう向き合うのか。今一度、その思いに触れなければならない。  


何故か、下を向いている筆者

 辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動は、131回を数えた。私たちは、沖縄・辺野古に触れるたびに、たくさんの問題があることを確認しながら、この沖縄の現状に無関心でいること、この政府の差別政策を許し続けていることを、何よりも自分に問い返しながら行動を続けてきた。そして、自分の問題として大阪で行動することを選び、毎週土曜日に街頭に出て、この声を繋げようと多くの人たちとの出会いを重ねてきた。そして、今日、署名提出行動は5回目を数える。これはただの「5回」ではない。私たちの中には、これまで一つひとつ重ねてきた2万5,600筆の出会いがある。
  【第1次提出行動 2004年 1月20日 2,700筆】
  【第2次提出行動 2005年 5月26日 3,143筆】
  【第3次提出行動 2005年10月27日 7,370筆】
  【第4次提出行動 2006年 6月26日 7,607筆】

 その一筆一筆に、これを提出する一回一回に切なる熱い思いを、私たちは込めてきた。そして、今日、4,780筆の署名を提出する。あなた方にはこの署名がどう見えるのだろうか。ここには、一人ひとりの生き様や、切なる思い、願いが込められている。だからこそ、私たちは、この署名を代表して、はっきりと言わなければならない。私たちは、辺野古の基地建設計画に断固として反対する。絶対に基地はつくらせない。沖縄を差別し、基地を押し付けること、沖縄へ「加害」を強制する政策に断固として反対する。「米軍再編」計画が狙う世界、政治と資本が手を取り合って「脅威」を作り出し、戦争を続けることでしか機能していかない社会の歯車になることにあくまでも抵抗していく。
 この声をしっかりと聞きとめ、あなた方は然るべき働きかけをしなければならない。「適切に処理している」などという適当な言葉でこの声を踏みにじることは絶対に許されない。基地建設を何としても止めるために、大阪防衛施設局としてその主体性を存分に発揮し、その手で政策を講じてほしい。あなた方の行いは、もはや大阪、関西の市民だけのものではない。その働きは、辺野古につながる全国、全世界の人たちが見ている。全国、全世界で、基地建設を止めるために、米軍再編を止めるために、戦争を止めるために闘う人たちが見ている。そのことを肝に銘じてほしい。その上で、私たちは改めて以下のことを要求する。
  一、辺野古への新たな基地建設計画の白紙撤回
  一、沖縄・普天間飛行場の即時無条件全面返還
  一、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の中でなされた日米の軍事一体化と、基地機能の強化を進める日米両政府の「合意」の撤回
  一、 世界的な米軍再編の中止  

  以上が要請書の全文です。この次に7項目の質問書が続きますが割愛しました。  
  今回の署名提出行動に参加してぼくは本当に驚きました。今までぼくは労働(者)運動や住民運動に関わり、地方自治体や労働省の出先機関である大阪労働局との行政交渉を何度も経験してきましたが、大阪防衛施設局は我々との交渉に際して誰一人としてその内容を記録する職員も配置していないのです。これは何ということでしょう。逆に、いかがわしいスパイのような者が遠くから我々を監視しているのです。  


向こうの方に警察権力か、施設局職員か?


 軍隊は国民を守らない。軍事機構(防衛施設局も含まれる)は市民の要望を聞こうとしないことを痛いほどぼくは実感しました。
 この4,780筆の署名を集めるのにアメリカ・オレゴン州の方たちが大阪駅前に立ち、現役の米兵の署名も含まれているのです。大阪防衛施設局の態度は絶対に許されるものではありません。

 

2.2月13日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第2回口頭弁論が開かれる。

 靖国合祀取り消しを求める訴訟の第二回口頭弁論が2月13日(火)午前10時半より大阪地裁で開かれました。ぼくが琉球大学大学院在学中、スイスからの留学生と友人になりましたが、たまたま彼が大阪に来ていたので地裁前で待ち合わせ、幸い二人とも抽選に当たり傍聴することができました。大正伝道所の上地牧師も見えていました。この裁判は『沖縄通信』38号(2006年9月)と40号(同年11月)にも載せていますので、参考にして下さい。
 これまで原告側は第1から第8までの「準備書面」を提出しています。即ち、第1準備書面:違法性および責任原因に関する主張の補充、第2準備書面:原告・古川佳子が、第3準備書面:原告・吉田文枝が、第4準備書面:原告・楊元煌(アウィー)が、第5準備書面:原告・菅原龍音が、第6準備書面:原告・澤氏政昭が、第7準備書面:原告・富樫行慶が、それぞれ被っている精神的苦痛、 第8準備書面:被告・靖國神社の答弁に対する反論、の8つです。
  このうち、第1、第2、第4が2006年10月24日の第一回口頭弁論で陳述され、この日は第3、第5、第8が陳述されました。  

 さて、被告・靖国神社が原告らの訴えは不適法であると却下を求めている、その理由は次の4点です。
 @ 霊爾簿(れいじぼ)・祭神簿(さいじんぼ)・祭神名票は、合祀手続に不可欠で、その調整・謹製は合祀という極めて重要な宗教行為の一部をなすから、霊爾簿等は単なる書類ではない。
 A 合祀についての遺族の承諾の要否を巡る紛争は、被告・靖國神社の宗教上の教義の当否の問題であり、裁判所法第3条(「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」:筆者注)にいう法律上の争訟に該当しない。
 B 訴えの実態は、他の宗教団体に所属する宗教者が被告・靖國神社の宗教上の教義に対して異議を述べて、その判断を求めているから、裁判所は実体審理に入ることを避けるべきだ。
 C 台湾人原告は、台湾人戦没者が被告・靖國神社に合祀されたことにより、台湾での祭祀ができなくなると誤解している。この誤解を解消することは困難だ、というものです。 この日の法廷で、原告側弁護士は「第8準備書面」の「第1 本案前の答弁に対して」と「第2 個人情報の無断使用は宗教法人でも違法」の2項目で、次のような反論を被告・靖国神社に対しておこないました。  

 「第1 本案前の答弁に対して」の項目中、被告の@についての反論。  
 第一に、原告らは霊爾簿等の簿冊そのもの、その全体を廃棄せよと請求していない。単に、原告らの敬愛追慕する戦没者の個人名を抹消するよう求めているにすぎない。
 第二に、霊爾簿等がいかに「合祀手続に不可欠で、その調整・謹製は合祀という極めて重要な宗教行為の一部をなす」としても、合祀が原告らにどのような苦痛を与えているか、その原告らの苦痛を救済するために記載の一部の抹消を命じることが適当かどうかを審理してはならない、という理屈にはならない。現にこれまでも、生存が判明した「合祀者」について、被告・靖國神社は霊爾簿等からその者に関する記載を抹消している。
 第三に、被告・靖國神社が原告らに対し信教の自由を主張することを認めたとしても、信仰が内心にとどまらず、外部的に具体的な行為を伴った場合は、絶対無条件ではない。即ち、本件のように遺族の意思に反する合祀の継続は、遺族の信教の自由、思想良心の自由、自己決定権等を侵害しており、違法である。  
 被告のAについての反論。
 合祀に遺族の承諾を求めないことが被告・靖國神社の教義として妥当かどうかは、要件の判断に関係がない。承諾なき合祀の結果こそが審理の対象である。拒否された後でもなお合祀し続けていることが、原告らの権利ないし利益を侵害しているかどうかが審理の対象である。  
 被告のBについての反論。  
 本件のどの原告も、被告・靖國神社の教義や合祀なる宗教行為を受け入れていない。しかし、本件訴訟においては、被告・靖國神社の教義や合祀なる宗教行為の一般的妥当性を問うてもいないし、原告らの信仰や思想と被告・靖國神社のそれと、そのどちらが妥当であるかの判断も求めてはいない。  
 被告のCについての反論。  
 被告・靖國神社の主張がどのように訴えの却下につながるのか明らかでない。  

 次に「第2 個人情報の無断使用は宗教法人でも違法」の項目では、  
 被告・靖國神社は遺族の承諾も得ずに、戦没者の氏名、階級、所属部隊、死没年月日(戦病死等の死亡原因・区別)、死没場所、死没時本籍地の他、遺族の氏名、続柄・所在等を被告・国から入手し、これを利用して戦没者を「英霊」として合祀している。 被告・靖國神社が、遺族らの有している戦没者の個人情報を遺族らの意思に反して無断で利用することは、宗教活動の自由の保障の外であり違法である。  

 この日は、まず第5準備書面に基づいて菅原龍音さんが陳述し、次に第3準備書面を吉田文枝さんが陳述。その後、康 由美弁護士が第8準備書面に基づき被告・靖國神社の答弁に対する反論を行って、午前11時05分に終わりました。終始原告側のペースで進んだ裁判だったといっても過言ではない展開でした。  


菅原龍音さん

 上地牧師とスイスからの友人と一緒に昼食を取り、午後1時から、会場を中央公民館に移して「連帯・交流ミニ集会」が開かれました。ミニ集会どころか、日中にもかかわらず大勢が参加しました。  


会場風景

 イ ヒジャ(李 煕子)さんは、同様な合祀取り消しを求める裁判を来る2月26日(月)に東京地裁に起こすと話されました。
 『沖縄タイムス』(2月15日付)は、「韓国市民団体、靖国提訴へ/合祀取り消し求める」との見出しで「韓国の市民団体『靖国反対共同行動韓国委員会』は14日、李 煕子・太平洋戦争被害者補償推進協議会代表ら10人が靖国神社に対し、韓国人の戦争犠牲者10人の合祀取り消し…を求める訴訟を26日に東京地裁に起こすことを明らかにした」と4段組みで大々的に報じているのに、ヤマトゥの朝日新聞(2月27日付)はベタ記事です。よほど注意して探さなければ見つけることができない、そんな扱いです。  


イ ヒジャさん

 東京地裁に提訴する主な原告は次の方々です。
 ○ イ ヒジャさん  
  1943年、京畿道江華生まれ。父親イ サヒョン(李 思R、日本名 李原思蓮)は陸軍軍属に強制動員されて特設建築勤務第101中隊で勤務中、1944年6月11日、中国廣西省第180兵站病院で戦病死。1959年4月6日、靖国神社合祀。
  ○ ナ ギョンニムさん  
   1942年、全羅南道長城生まれ。父親ナ ヨンギ(羅 永基、日本名 羅本永基)は陸軍軍人に強制動員されて、1944年5月30日、東部ニューギニア、ウラウで戦死。1959年4月6日、靖国神社合祀。1971年に夫の知人を通じて厚生省に父の死亡通知を発行させ、1995年には韓国KBSの取材で靖国神社を訪問し、直接合祀を確認した。
  ○イム ソウンさん  1942年、忠清南道公州生まれ。父親イム マンボク(林 萬福、日本名 林 萬福)は海軍軍属に強制動員されて、1945年8月24日、日本の舞鶴湾内の浮島丸爆沈事件で戦死。1959年10月17日、靖国神社合祀。父の動員過程で母が拷問を受けた。  

 集会は、次にそれぞれの原告から力強い挨拶がおこなわれた後、康 由美弁護士からこの裁判の争点についての報告がありました。  


黒板を使って説明する康 由美弁護士

 裁判を訴えるには、@当事者性、A事件性、B争訟性の3つが必要であり、この3つがあって始めて審理がおこなわれる。それがなければ却下される。靖国神社は、(前述したように)遺族の承諾の要否を巡る紛争は宗教上の教義の当否の問題であって争訟性がないから門前払いせよと主張している。それに対し原告側は「第8準備書面」で全面的に反論した、と黒板を使って分かり易くていねいに説明されました。  
 集会の最後に、『靖国の戦後史』、『日の丸・君が代の戦後史』、『憲法九条の戦後史』(岩波新書)等の筆者である田中伸尚さんが立ち、「靖国神社は国家的な宗教性を持った軍事組織だ」と喝破されました。田中さんは『沖縄通信』39号(2006年10月)でも取り上げています。  

 
田中伸尚さん


 次回第三回口頭弁論は4月10日(火)午前11時より大阪地裁202大法廷で開かれます。当日は午前10時までに地裁正門前に集合して下さい。

 

付記.「北方領土」の表記について

 前号『沖縄通信』43号(2007年2月)「世界的規模での米軍再編は、韓国でも。米軍基地拡張に反対する平澤の農民たちに大弾圧」の項で、ぼくは中井信介さんを「1993年よりフィリピンや北方領土の民衆の暮らしを取材。(以下略)」と紹介しました。
 すると、ある読者から「『北方領土』という用語が使われていました。これは、『千島列島』がいいと思います。どの島の取材をされたのか存じませんが、そもそも『北方領土』などありませんから」とのメールをいただきました。
 実は、中井さんの紹介文はご自身のHPからそのまま引用したのですが、その時、「北方領土」だけを割愛して載せようかとも思いましたがご本人の文章でもあるし、とそのまま引用しました。そもそも「領土」などという地名はなく胡散臭い限りです。ご指摘の通りだと考え訂正いたします。

 

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