第48号(2007年7月)

 ◆ 目 次 ◆

1.全国の市民グループが、6月23日(土)より
辺野古新基地建設反対の全国一斉国会請願署名活動を開始する。

2.6月26日(火)に講演会『怒れ、笑え!この「美しい国」日本。』が開かれる。
450名が集い、姜 尚中さんのお話を傾聴する。

3.次回の大江・岩波沖縄戦裁判は、7月27日(金)です。

4.6月23日(土)「慰霊の日」に、超党派有志の会が『復帰35年・沖縄宣言』を発す。

5.6月5日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第4回口頭弁論が開かれる。

 

1.全国の市民グループが、6月23日(土)より
辺野古新基地建設反対の全国一斉国会請願署名活動を開始する。

 「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が毎週土曜日に、JR大阪駅前でビラ配布、署名、カンパ活動を始めたのは2004年8月からです。その取組みも7月14日(土)で153回を数えます。
 「大阪行動」のように、辺野古新基地建設反対を訴える市民グループがこの間全国で誕生してきました。例えば、2005年6月から始まった大分の「くまのみの会」はこれまで11,000筆以上の署名を集め、3回にわたって那覇防衛施設局、福岡防衛施設局に提出してきました。また、2004年9月から始まった「沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動」でも学生が中心になり、毎週土曜日に街頭でアピールを続け、2007年2月14日に京都防衛施設事務所に1,308筆の署名を提出しました。
 こうした全国のグループが、点在している各地の行動を繋ぎ合わせ大きなうねりをつくり出そうと、「慰霊の日」の6月23日(土)、京都大学に集まり全国会議を持つにいたりました。政党や大きな労働団体なら、号令をかければすぐ実現可能と思われる取組みも、個人個人の集まりから始まった運動は、各地のグループが横に繋がるのに3年を要したということでもあるのです。


全国会議を主宰する「大阪行動」代表の松本亜季さん。

 呼びかけ団体は、@大阪行動を初め、A沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動(京都)、Bくまのみの会(福岡)、Cくまのみの会(大分)、D長野行動(長野)、Eナゴガイセン☆ダイサクセン(名護)、Fナハ行動(那覇)、GNO BASE HENOKO TOKYO(東京)、HNO BASE辺野古☆名古屋(名古屋)、I平和街角興行・赤穂(赤穂)、J辺野古に基地はいらない滋賀行動(滋賀)の11団体です。
 会議では、
 1.沖縄県名護市辺野古への米軍基地建設計画を白紙撤回すること
 2.普天間基地を無条件に、即時全面撤去すること
の2項目の国会請願署名活動を9月末まで全国一斉におこなうことを決めました。


記者会見する全国のメンバー

 以下は請願の趣旨です。
 現在、日本政府は、普天間基地の「代替施設」建設の名目で、沖縄県名護市辺野古への新基地建設計画のための準備を進めています。しかしながら、事の発端となった1995年の少女暴行事件の際に、沖縄の人々が求めたのは普天間基地の即時撤去であり、「基地のない平和な島」であったはずです。それがいつの間にか、普天間基地の「代替施設」建設へとすり替えられてしまいました。名護市辺野古においては、1966年に米軍が当該の地に基地建設を計画していたというマスタープランが存在しており、これはもはや「代替施設建設」ではなく、「沖縄の負担軽減」を謳いながら、実際には老朽化した施設を返還し、同時に最新鋭の基地を建設するものに他なりません。
私たちは、多くの人びとの命を奪う戦争のための基地、そして、人々に多大な苦しみをもたらす事件・事故、騒音被害、環境破壊、米軍人・軍属によるレイプ等の犯罪の元凶となる基地はどこにもいらないという思いから、この基地建設計画に反対してきました。
 こうした取り組みは、赤穂、大分、大阪、京都、滋賀、東京、長野、名古屋、福岡、那覇、名護など各地で、既に3年近くにも及び取り組まれ続けており、この国会請願も、そうした全国各地の行動が手をつなぎ実現しました。また、1997年の名護市民投票で示されたように、沖縄に住む多くの人々はこの建設計画に反対しており、辺野古現地での座り込みも、既に3年以上続いています。当初の建設計画である「沖合い案」は2005年に一旦「断念」されたにもかかわらず、あくまでも辺野古への基地建設を推し進める日本政府に対して強い憤りを禁じ得ません。
 沖縄の人々が、基地のない島で、平和で豊かな生活を営むため、そして世界に住む人々の生活を破壊する戦争のための基地をなくすために、(前述した)2点(引用者注:1.沖縄県名護市辺野古への米軍基地建設計画を白紙撤回すること 2.普天間基地を無条件に、即時全面撤去すること)の即時実現を求めます。

 下記のアドレスから請願書をダウンロードできますので、全国で多くの署名を集めていただきますよう、お願いします。

 http://nobasega.aikotoba.jp/

 当日は全国会議に出席したメンバー全員で、夕刻からの京都行動に参加しました。

 
6月23日(土)の京都行動

2.6月26日(火)に講演会『怒れ、笑え!この「美しい国」日本。』が開かれる。
450名が集い、姜 尚中さんのお話を傾聴する。

 6月26日(火)午後7時より、クレオ大阪東において『怒れ、笑え!この「美しい国」日本。』が開かれました。第1部は姜 尚中・東大教授の講演ならびに辻元清美衆議院議員をコーディネーターに姜 尚中さんと参議院比例区候補・山内徳信さん、同じく大阪選挙区候補・服部良一さんをパネリストに迎えてのパネルディスカッション、第2部は辺野古現地報告が、安次富 浩・ヘリ基地反対協議会代表よりおこなわれました。
 ぼくが琉球大学大学院在学中の2003年12月に、姜 尚中さんは琉大法文学部の集中講義のため来沖されました。このことは『沖縄通信』2004年1月号に掲載していますのでご覧下さい。
 第1部の講演で姜 尚中さんは概要、次のように話されました。


講演中の姜尚中さん

 安倍首相は著書『美しい国へ』で、ふるさとを愛することは国を愛することにつながると言っている。本当にそうか? この2年ほど地方に講演に行く機会が増えたが、地方の人は「東京を見て腹が立って仕方がない」と言う。「この村はなくなっていくかも知れない」と口にする。今、地域社会がすたれていっているのを見ると、到底安倍首相が言うようには思えない。土建国家を支えてきた保守の岩盤が崩れていっている。
 本来、美しい国とは地方が元気で、日本全体が均衡がとれているのをいうのではないでしょうか。新自由主義の下で、年収200万円で生きねばならない若者にとって、どれだけその言葉はうつろに映るでしょう。
 時間の関係上、3点にしぼって話します。
 第1に、憲法についてです。安倍内閣が成立した時から、私はこの内閣を“勘違い内閣”と呼んできた。戦後レジームからの脱却という、この仰々しいイデオロギー過剰の内閣は、普通の国民が何を欲しているのかが分からない内閣、答えられない内閣だ。“戦後レジーム”とは何か? 憲法と教育基本法と言いたいのだろう。憲法には第9条の戦争放棄と社会的生存権が謳われている。社会的生存権の保障からすれば、美しいという前に生存を何とかしてくれと叫ばねばならない。経世済民です。
 第2に、歴史にかかわることです。今、官邸の中軸にはかつての青嵐会、日韓・日台ロビイストが居座っている。彼らは今まで自民党の中でも片隅に追いやられていた人たちだ。1995年から2004年の10年間に日本は急速に変わってきた。1995年といえば戦後50年、この年に保守的といわれる『ニューヨークタイムス』が「日本は歴史との闘いは終ったか」という特集を載せた。ドイツのように日本は歴史との闘いは終ったのだろうか? そこでは記憶の暗殺、歴史の暗殺がおこなわれている。それは教科書の書きかえ問題に見ることができる。沖縄での集団自決に軍命はなかったというのだ。開いた口が塞がらない。そして6月23日、「慰霊の日」に安倍首相は沖縄で「沖縄の負担軽減のために、粛々と基地の再編を進めていく」と発言する、その神経が分からない。国内では教科書書きかえ、国外では今日か明日にでもアメリカ下院外交委員会で、従軍慰安婦問題の決議が採択されようとしている。日本国民はこれをどう見るのか。記憶の暗殺、歴史の暗殺が安倍内閣によってなされている。
 第3に、第2と裏腹の関係にあるといえる、日米とアジアについて。日米一体化が進めば、その将来の姿は日本がアジアのイギリスになるということだ。その裏返しとしてアジアとの関係が薄くなる。それでいいのだろうか。
 6者協議における外交は日本にはほとんどないと言っていい。6者協議を通して朝鮮半島の非核化を図っていく。米朝、日朝の国交正常化を図っていかねばならない。非核化の実現は広島・長崎を経験した日本にとっての最重要課題です。
 以上3点を踏まえて、私は2つのことを訴えたい。まず第一に、保守のグラスルーツ(草の根)に護憲のウイングを広げなければならない。そうした言葉を発せられる政治家が必要だということです。護憲とまではいかなくても憲法は大切にせねば、と考える保守もいる。保守が分かれてきている。第二に、若者に浸透する言葉を発せられる政治家をつくってほしい。そういう人を支えてほしい。「選挙に行かなければ生存が危ない」と発していかなければならないということです。

 
左より服部良一、姜尚中、辻元清美の各氏

 パネルディスカッションののち、第2部に移り、辺野古現地報告を安次富 浩・ヘリ基地反対協議会代表より受けました。

 
辺野古報告をする安次富 浩さん

 安次富 浩さんはジュゴンの写真をかざしながら「今日も辺野古では那覇防衛施設局が調査船を出し機器を設置しようとしたが、われわれのカヌー隊が阻止している。辺野古新基地建設は沖縄の問題であるけれど、全国の問題だと訴えてきた。閣議決定がなされると変えることはできないといわれた海上基地建設をわれわれはぶっ止めた。勝利だと思う。われわれの非暴力抵抗運動が間違った国策を糾すことができる。国が国家事業で何かをしようとする時は疑問を感じなければならない。米軍再編は沖縄の負担軽減だと言われる。冗談じゃない。それならどうして辺野古に新基地をつくるのか。21世紀も基地との共存を強制することではないか。今、環境アセス法に違反して事前調査という名で作業が強行されている。住民運動に海上自衛艦『ぶんご』が投入された。これを突破しなければ民主主義は実現しない。ジュゴンが頻繁に現れているが、人間のかわりに民主主義の実現を求めているようだ。人間はもっとがんばらねばならない。勝利するまでともに闘おう」と力強くアピールされました。

 
アピールする山内徳信さん

 次に、神戸で開かれた自身の集会のためパネルディスカッションに間に合わなかった山内徳信さんより「選挙に勝利し参議院議員になれば、議員は逮捕できないという特権があるから、当選した翌日から議員バッチをつけて辺野古の座り込みの先頭に立つ」とのアピールを受けました。
 集会は、最後に参加者全員によるカチャーシで盛大に締めくくられました。

 
最後は全員でカチャーシを踊る。

 

3.次回の大江・岩波沖縄戦裁判は、7月27日(金)です。

 大江・岩波沖縄戦裁判の第9回公判は、7月27日(金)午前10時より大阪地裁で開かれます。
 この間、沖縄では高校歴史教科書の沖縄戦の記述から集団自決(強制集団死)への軍関与が削除された教科書検定問題で、6月28日(木)に国頭村議会と嘉手納町議会が検定の撤回と記述の復活を求める意見書を可決しました。これで、5月14日(月)の豊見城市議会の決議を皮切りに、沖縄の41市町村のすべての議会が同様の意見書を可決したことになります。
 そして、6月9日(土)には3,500名の参加で「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会」が開かれ、6月22日(金)、ついに県議会が全会一致で意見書を採択しました。
 こうした状況下での次回公判です。この日は丸1日の証人調べです。最大、最高の山場です。
 証人は出廷順に、
 皆本義博さん(原告側・元赤松隊中隊長)10時30分〜12時30分
 知念朝睦さん(原告側・元赤松隊副官)1時30分〜2時30分
 宮城晴美さん(被告側・『母の遺したもの』著者)2時30分〜4時30分
です。
 多分午前9時半から傍聴券の抽選がありますので、遅くともそれまでに大阪地裁裏庭に集合して下さい。午前9時からとなるかも知れないので、余裕を持って来て下さい。

 この日の夜には午後6時30分よりエルおおさか6階大会議室にて、「7・27傍聴・報告集会」を開きます。芥川賞作家・目取真俊さんの講演『沖縄戦裁判と歴史わい曲の背景』を受け、報告を弁護団、宮城晴美さん、石山久男さん(首都圏の会、教科書執筆者)よりいただきます。公判傍聴とともに、夜の集会にも多数のご参集を呼びかけます。

 

4.6月23日(土)「慰霊の日」に、超党派有志の会が『復帰35年・沖縄宣言』を発す。

 1972年の日本併合から35年目の「慰霊の日」である6月23日(土)、研究者、芸術家ら幅広い層の50人で構成する「超党派有志の会」が『復帰35年・沖縄宣言』を発表しました。元社会大衆党委員長の仲本安一氏、琉球大学教授の高良鉄美氏、元沖縄タイムス編集局長の由井晶子氏、前琉球新報社長の宮里昭也氏らが中心になっています。
 以下に全文を紹介しますが、宣言は自衛艦を動員した米軍再編の強行や集団自決(強制集団死)をめぐる教科書検定を挙げ、沖縄住民をないがしろにする動きが顕著だと指摘し、政府にこれ以上犠牲と差別を強いないよう求めています。とともに、すべての沖縄住民が平和と自治と自立に向けて大同団結することを呼びかけています。
 これは、35年が経過した沖縄が今もなお植民地状態に置かれていることを断罪し、ウチナーンチュに自立を呼びかける、歴史に残る宣言だとぼくは思います。以下が『復帰35年・沖縄宣言』の全文です。

 日米双方の兵士のみならず、多くの一般住民が犠牲となった沖縄戦は、「人間の尊厳」の重さを「命どぅ宝」の語に織り交ぜ教訓として残した。悲惨な戦争が終わり、沖縄住民は「恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利」をもとめたが、住民の意思に反して米軍統治は続いた。
 米軍統治下において、住民は「行政主席」を選挙することもできず「自治は神話」とさえ放言された。また、米軍による事件・事故は日常茶飯事のように発生し、住民の命の尊厳性が否定された。沖縄住民の思いは、平和な生活、住民主権の自治、人間としての権利の尊重、などを求めて米軍支配に対する抵抗のうねりとなって島ぐるみ闘争へと発展した。
 幾多の試練を経て獲得した平和憲法への復帰により、沖縄住民は悲願である「平和・主権・人権」を享受するはずであった。しかしながら、復帰後35年を経た現在も、依然として、米軍基地の重圧により、基本的な人間の権利を脅かされている。
 最近では、経済的圧力による米軍再編案の強権的押しつけや、教科書検定による「集団自決」に関連した沖縄戦の歴史歪曲、海上自衛隊の派遣による住民運動への威圧など、あまりにも沖縄住民を蔑(ないがし)ろにする動きが顕著になっている。これらのことに対し、戦争体験を持つ沖縄住民は大きな不安と憤りを感じている。自国の政府が、自国民の一部の人々の人権を軽視し差別的に扱うことのないように、また「政府の行為によって再び戦争の惨禍がないように」することは、戦後の日本の重要な国是のはずである。
 歴史的に振り返ると、沖縄住民に関する重要な事項が他律的に決められ、総決起大会の開催など抵抗はあったものの、結局は住民自身の自治に対する信念の弱さの故に、挫折を繰り返してきた。しかし、沖縄住民にとって「自治は神話」であってはならない! われわれは自ら治めようという強い気概のない限り、「自治は神話」のままに陥ることを憂慮し、ここにあらためて沖縄のことは沖縄自身が決める重要性を深く認識する。
 沖縄の地理的、歴史的、文化的特性を活かした個性豊かな沖縄を住民自らの手で創り上げる! この情熱を将来の世代とともに傾注し続けることでこそ、数世紀にわたる沖縄の悲願は達成されるのである。
 人間が人間として平等に扱われるべきであるという理念に基づいて、政府が沖縄住民の意思を尊重し、これ以上犠牲と差別を強いることがないよう、また、すべての沖縄住民が平和と自治と自立に向けて大同団結し、力強く邁進するよう「慰霊の日」を機に、われらは切に訴える。

 

5.6月5日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第4回口頭弁論が開かれる。

 6月5日(火)午前11時より大阪地裁で靖国合祀取り消し訴訟の第4回口頭弁論が開かれました。傍聴券の抽選がありましたが、この日は10名中8〜9名の確率で当選となったので、いつものような緊張感も持たずに臨めました。大正伝道所の上地 武牧師も見えていました。幸い傍聴券は当たりました。
 この日の公判では国側が『準備書面(2)』を、靖国神社側が『準備書面(1)』をそれぞれ提出し、靖国神社の代理人だけが陳述しました。
 原告提出の『準備書面』に対する被告(靖国神社)側反論として、@靖国神社にも信教の自由がある。Aれいじ簿からの抹消について。単なる書類だとの原告の主張は間違いで、合祀という宗教行為の一部である。原告が本当に単なる書類としか考えていないのなら、そこから名前が削除されることで原告らの苦痛は癒されるのか。B被侵害利益について。原告らの主張する「敬愛追慕の情を機軸とした人格権」は「宗教的人格権」を言い換えたものに過ぎず、それはすでに中谷自衛官合祀事件最高裁判決で、法によって保護されるべき権利ではないとの判断が示されている解決済みの同一事案である、というものでした。
 たった10分間で裁判は終わりました。抽選券交付に遅れては、と朝7時に起きてやって来たのに、10分間だけで肩透かしを食らったようでした。

 
加島 宏弁護士

 午後1時より、場所を中之島中央公会堂へ移して「裁判報告・交流・学習集会」が開かれました。メインは加島 宏弁護士による講演「『新編靖国問題資料』をどう読むか」です。加島弁護士の話の概略は次のようなものでした。
 1945年から1952年までの7年間は、靖国神社側の文書は少ない。靖国神社は合祀未祭者を150万人と踏んでいたが、当時、復員省に就職した旧軍人が靖国神社に書類を送り続けていただけで、それ故、この間約30万人しか合祀できなかった。せいぜい年に4万人〜5万人だ。それが一挙に増加する。これには靖国神社と(旧)厚生省の間で綿密な連絡がなされていたことが、今回の新資料で明らかになった。例えば、1956年1月から1958年9月までに次のような会合が頻繁に開かれている。
 「1956年01月23日 政府予算戦没者調査費関連靖国神社合祀事務打合
 1956年02月09日 これからの靖国神社合祀事務打合状況第二回
 1957年06月04日 合祀事務に関する厚生省引揚援護局との第一回連絡会議
 1957年10月04日 合祀基準に関する打合会第二回
 1957年11月06日 合祀基準に関する打合会第三回
 1957年11月06日 合祀基準研究会
 1958年04月09日 靖国神社合祀に関する打合会第四回
 1958年05月30日 合祀基準に関する打合会第五回
 1958年06月24日 合祀基準に関する打合会第六回
 1958年09月12日 合祀に関する打合会第七回」
という具合だ。
 また、(資料181)昭和(ママ)29(1954)年3月15日付、復員課『旧陸軍関係靖国神社合祀について(案)』には「一 要旨 旧陸軍関係靖国神社未合祀者…約150万柱の速やかなる合祀を図る。これがため(一)世話課は未合祀者中援護法の年金弔慰金を可決裁定された者のうち明確に合祀基準に該当する者についてあらためて速かに合祀手続をする(以下、略)」とある。
 (資料189)昭和(ママ)31(1956)年2月25日付、厚生省引揚援護局次長発各地方復員部長宛『旧海軍関係靖国神社合祀事務について』には「(前略)二 引揚援護局は、在籍庁の報告を審査して合祀予定者を決定して神社に通報する(以下、略)」とある。
 前述した、1958年4月9日に靖国神社社務所書院の間で開かれた『靖国神社合祀に関する打合会第四回の議事録』は(資料232)にあり、そこで厚生省引揚援護局が「戦犯者B級以下で個別審議して差支へない程度でしかも目立たないよう合祀に入れては如何。神社側として研究して欲しい」と要望していることが記されている。
 このように靖国神社は国と一体となって合祀事務をおこなっていたことが明らかになっている。

 次回第5回口頭弁論は8月28日(火)午前11時より大阪地裁202大法廷で開かれます。当日は午前10時までに地裁正門前に集合して下さい。また裁判終了後、午後1時よりエルおおさかにて「弁論かみ砕き・学習集会」が開かれます。こちらにも多くの参集をお願いします。


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