第49号(2007年8月)

 ◆ 目 次 ◆

1.7月27日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判第10回公判(証人尋問)が開かれる。
「命令主体は戦隊長」であることが決定的に。
11月9日(金)公判に大江健三郎氏の出廷が決まる。

2.7月27日(金)の夜、会場を超満員にして「支援連絡会学習会」が開催される。

3.目取真 俊さんの講演『沖縄戦裁判と歴史教科書歪曲の背景』を聞く。

4.7月27日(金)、大阪防衛施設局前で抗議の座り込み。

5.反基地運動のリーダー・山内徳信さんが参議院議員に見事当選。

 

1.7月27日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判第10回公判(証人尋問)が開かれる。
「命令主体は戦隊長」であることが決定的に。
11月9日(金)公判に大江健三郎氏の出廷が決まる。

 大江・岩波沖縄戦裁判での最大・最高の山場と何度も言ってきた第10回公判の証人尋問が、7月27日(金)午前10時より大阪地裁で開かれました。この日は実に219人(『沖縄タイムス』調べ)の傍聴希望者が並びました。わが方(大江・岩波側)が圧倒的に多数を占めていました。沖縄から20名、首都圏から5名ほどが来られました。原告側HPでも「並んだ人数は全体で220程度、そのうち相手側が130、当方90位だと思います。被告側の動員数が勝り」とべそをかいています。
 3倍を超える競争率で、“今日は抽選に漏れるだろうなぁ”と予想した通り、外れました。ところが、「沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動」のメンバー2人が抽選に当たり、その傍聴券を譲ってもらって石橋教会の沼田鐵子さんと一緒に午前中だけ法廷に入り、原告側・皆本義博氏の証人尋問を聞くことができました。皆本氏の証人調べは午前10時30分から11時53分までおこなわれました。
 皆本氏は、1945年3月26日から28日にかけて赤松隊長の動向は知らないと発言し、命令に関して蚊帳の外であることが分かりました。しかも3月10日には「生きて虜囚の辱めを受けるな!」という牛島中将の訓示を受け、毎月8日の大詔奉戴日(たいしょうほうたいび。太平洋戦争勃発後の1942年に従来の興亜奉公日にかわって設けられた日。毎月8日をこの日と定め、戦時体制への国民の動員強化をはかった。:筆者注)の儀式で赤松隊長が住民に対して直接訓示していたことが明らかになりました。隊長の指示がないと手榴弾を住民に渡すことはないと、数々の重大証言をしました。本人が何のために証人として出廷したのか分からない場面も多く見受けられました。集団自決は、住民がサイパンでの自死は素晴らしいと思っていたことが影響している。飛び降りた7割は沖縄出身者だった、とも証言しました。
 原告側弁護士の誘導尋問は目を覆うばかりで、わが方(大江・岩波側)の弁護士が2回異議を申し立て、裁判長自らも「誘導尋問です」とたしなめる場面もありました。皆本氏は陸軍士官学校時代から赤松大尉に恩義を感じており、彼の名誉のために証言台に立ったものの、肝心の赤松隊長の当時の動きについては、中隊長という立場のため全く知らないということが暴露されました。「大隊長と中隊長が一緒にいたら戦争にならない」と声を荒げていました。
 昼食休憩をはさんで、原告側・知念朝睦氏の証人調べが午後1時30分から2時25分まで、被告側・宮城晴美氏の証人調べが午後2時40分から4時30分までおこなわれましたが、「京都行動」のメンバー2人に傍聴券を返したので午後からは法廷に入れず、後述する大阪防衛施設局前の抗議座り込みに沼田さんと一緒に行きました。
それ故、知念朝睦氏と宮城晴美氏の項目は、その多くを『沖縄タイムス』と『琉球新報』に負っています。
 知念氏は、集団自決に軍として責任があるかということを考えたこともない。戦隊長は住民が捕虜になることは許さなかった。米軍から脱走してきた少年や伊江島の女性、大城教頭らの処刑は戦隊長の口頭の命令でおこなった。大詔奉戴日に村の人がいた記憶はない。そこで「米軍が上陸してきたら自決するように」と訓示したこともない、と証言しました。
 宮城氏は、座間味村の集団自決(1945年3月26日)の前日、自決用の弾薬提供を梅澤隊長に断わられた兵事主任の宮里盛秀助役が「忠魂碑に集まるよう」住民に伝令したとする自著『母の遺したもの』の表記によって宮里助役が自決命令を出した加害者と受け取られる記述となったことについて「書き方が軽率だった」と認め、助役単独による命令説を否定しました。その上で、宮里助役が「軍の命令で敵が上陸してきたら玉砕するよう言われている。今夜11時に忠魂碑前に集合することになっている」と父親に話していたという助役の妹・宮平春子さんの証言などをもとに、住民を集団自決に追いやった軍命の存在を明確にしました。

 次回公判は、9月10日(月)に金城重明牧師の証人調べが出張尋問として那覇地裁で開かれます。これには「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」からも代表参加します。
9月14日(金)午後6時半より「出張尋問の報告ならびに学習会」をエルおおさかで開きます。『集団自決(強制集団死)の取材を通して』と題して沖縄タイムス編集委員・謝花直美さんにお話いただきます。日本ジャーナリスト会議(JCJ)は優れたジャーナリズム活動にJCJ賞を贈っていますが、今年のJCJ賞に沖縄タイムスの『挑まれる−沖縄戦』が選ばれました。謝花さんはこのキャンペーンを中心になって進めてこられた方です。

 9月10日(月)に継ぐその次の公判は、11月9日(金)です。梅澤裕、赤松秀一両原告への尋問とともに、わが方(被告側)の証人として大江健三郎氏が出廷することが決まりました。
 そして、裁判は12月21日(金)に最終の口頭弁論を持って結審となります。判決は来年3月頃までに出るものと予想されます。

 

2.7月27日(金)の夜、会場を超満員にして「支援連絡会学習会」が開催される。

 7月27日(金)の夜、エルおおさかで「支援連絡会学習会」が開かれ、会場を超満員とする150名が参加しました。

 
超満員の会場

 集会は第1部:大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会第2回総会、第2部:報告・学習会という2部形式で持たれ、ぼくは司会を仰せつかりました。

 
司会を務める筆者

 第2部では、まず岩波書店の岡本 厚さんが「大江健三郎氏の証人尋問が今日決まった。12月結審となるだろう。本日の証人調べは中味のある議論となった。毎月8日の大詔奉戴日には赤松隊長か代理が必ず出席していたことも明らかになった。沖縄の怒りが地裁にどう反映するか、本土でどう応えるかが問題だ」と話しました。

 
岩波書店の岡本 厚さん(月刊誌『世界』編集長)

 弁護団からは秋山・近藤両代理人が立ちました。秋山弁護士は「軍の強制があったことがかなり立証されてきた。宮里盛秀助役の証言が新たに出てきた。助役の妹である宮平春子証言は教科書検定のあとに出てきたものだ」と、

 
秋山幹男弁護士

 近藤弁護士は「弁護団は安仁屋政昭・沖縄国際大名誉教授の証人申請をしていたが、安仁屋陳述書はあるものとして理解するとの裁判所の発言を得た。これは大きい」とそれぞれ述べました。


近藤卓史弁護士

沖縄からの報告は「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」共同代表の高嶋伸欣・琉球大教授より受けました。


高嶋伸欣・琉球大教授

 高嶋教授は「原告側の徳永信一弁護士は弱気だなぁと前回公判から感じていたが、宮城晴美さんに対する反対尋問で一層強く感じた。『隊長命令があったか否かですよネ』と念を押していた」と語りました。
 「大江・岩波裁判を支援し、沖縄戦の真実を広める首都圏の会(略称:沖縄戦首都圏の会)」からは共同代表の石山久男・歴史教育者協議会委員長が立ち「今日の裁判は成功だった」と簡潔に述べました。石山さんは、検定で書き換えを求められた高校教科書の執筆者でもあります。


「沖縄戦首都圏の会」共同代表の石山久男さん

 報告の最後に、この日証人に立った宮城晴美さんより「自分の著書が悪用されたとの思いだ。記憶の記録に力を入れていかねばならないと痛感している」との挨拶を受けました。


宮城晴美さん

 

3.目取真 俊さんの講演『沖縄戦裁判と歴史教科書歪曲の背景』を聞く。

 その後、この日のメインである講演『沖縄戦裁判と歴史教科書歪曲の背景』に移りました。目取真 俊さんは概ね次のように話されました。
 私は1960年生まれなので、戦争を知らない世代だ。あと10年もすれば証言者もいなくなるので、沖縄戦を知らない40代、50代が伝えていかねばならない。
「集団自決」のとらえ方について、「集団自決」の直前に梅澤、赤松両隊長が直接命令を出したか否か、に問題が矮小化されてはならない。○アジア・太平洋戦争末期における日本・沖縄の状態はどうだったのか、○国体護持、本土決戦、「一億玉砕・一億特攻」、「捨て石作戦」という大本営の方針は、○沖縄現地における第32軍の方針と動向は、○慶良間諸島における現地部隊の方針と動向は、などを立体的に把握する必要がある。この裁判で相手側弁護士は沖縄県民の側に責任をなすりつけようとする、梅澤、赤松両隊長の責任を相対化しようとしている。
 政府は「戦争をする国」に向けた国民意識を形成するために、“軍隊は住民を守らない”という沖縄戦の教訓を抹殺したいと考えている。国民を戦争体制に動員するために、友軍=皇軍による沖縄人への蛮行(住民虐殺、暴力、強姦、食料強奪、壕追い出し、「集団自決」の命令・強制・誘導など)を隠蔽し、否定する必要がある。それは沖縄戦の歴史を偽造し、記憶を暗殺することである。


講演する目取真 俊さん

 在日米軍再編は同時に自衛隊の強化でもある。米軍と一体化して自衛隊を海外で活動させる追求と同時に、沖縄では対中国を想定した島嶼防衛のために自衛隊の強化が着々と進められている。沖縄の位置付けが、日米両軍の軍事拠点として対中国・対テロ戦争の前線基地化へと変化してきている。今回の辺野古「事前調査」で海上自衛隊を投入したのは、新基地建設に向けた日本政府・防衛省の決意を米国政府に示す一方で、沖縄において米軍と一体化して島嶼防衛を進めようとする自衛隊の存在を誇示するものであり、沖縄県民の反自衛隊感情と反基地運動を力ずくでねじ伏せようという意志を示すものだ。
 在日米軍再編の中で、沖縄の「負担軽減」と「抑止力維持」の名のもとに沖縄の自衛隊強化が急速に進められている。沖縄の自衛隊強化と今回の裁判は根っこでつながっていると思う。
 そこで、大江・岩波訴訟と教科書検定にいたる過程を見よう。

 @2004年1月23〜26日、天皇夫妻が国立劇場沖縄の開館にあわせて来沖し、初めて宮古島と石垣島を訪問する。
 A
2005年5月20〜22日、藤岡信勝拓殖大学教授をはじめとした自由主義史観研究会のメンバーが、渡嘉敷島、座間味島で現地調査を行う。
 B
同年6月4日、自由主義史観研究会が東京で集会を開き、「集団自決強要」の記述を教科書から削除するよう文部科学省に指導を求め、さらに教科書会社や出版  社に記述の削除を要求する決議を上げる。藤岡信勝代表は「この集会を起点にすべての教科書、出版物、子ども向け漫画をしらみつぶしに調査し、一つ一つ出版社  に要求し、あらゆる手段で嘘をなくす」と発言。
 C
同年8月5日、旧日本軍の梅澤裕・元大佐と故赤松嘉次・元大尉の弟が、岩波書店と大江健三郎氏を大阪地裁に提訴。
 D
同年8月14日、「小林よしのり沖縄講演会」が開かれる。
 E
2006年5月27日、曽野綾子著『ある神話の背景』が『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 日本軍の住民虐殺はなかった』と題名を変えて再出版される。
 F
2007年3月30日、高校教科書の検定結果が公表される。文部科学省が「集団自決」は軍の命令や強制であったという記述に意見をつけ、それらの記述が削除、「修  正」されることにより、「集団自決」への軍の関与が曖昧にされる。
 
個々の出来事はそれぞれの団体や個人の考えで行われているように見えて
も、その底流に流れている意志は共通している。沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」すること、つまり旧日本軍の沖縄住民への蛮行=否定的側面を隠蔽する一方で、住民の犠牲を国家のために身命を捧げたものとして賛美し(殉国美談化)、軍隊への否定感を取り除くことによって沖縄における自衛隊の強化を側面から支援していくというものだ。
 @は沖縄戦に直接は関係ないように見える。しかし、2004年1月下旬という時期は、自衛隊のイラク派兵を前にして、日本への「テロ攻撃」の可能性がいわれ緊迫した状況にあった。そういう中で警護の難しい宮古島・石垣島を天皇夫妻がわざわざ訪問した意味は何だったのか。天皇の軍隊としての旧日本軍がもたらした悪しき記憶を慰撫し、南西領土防衛のために宮古島や石垣島を拠点化しようとしている自衛隊を先導する意味を持っていたのではないか。
 そして、AからFに関しては、沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」するために渡嘉敷島と座間味島で起こった「集団自決」の軍命の問題を標的にしている。注目すべきはAからFの関連である。Aの現地調査をふまえたBの集会における決議と藤岡代表の発言をみれば、Cの提訴とのつながりを考えざるを得ない。そしてFの教科書検定で、文部科学省が「集団自決」への軍の命令や強制について記述変更を求めた理由として挙げたのが、Cの裁判において原告の元隊長が軍命を否定する意見陳述を行っているということである。文部科学省が学説状況把握の参考にした「集団自決」に関する著作物の中には、Eで再出版された曽野綾子の著書も挙げられているという次第だ。

 
同じく目取真 俊さん

 次に、沖縄における自衛隊強化の動きを地元紙の『琉球新報』『沖縄タイムス』の切り抜きから、そのいくつかを紹介する。
2005年1月16日付「南西諸島有事に陸自5万/防衛庁 侵攻阻止へ対処方針」とあり、リードに「防衛庁が『島しょ防衛』について検討する部内協議で『南西諸島有事』を想定、海上での侵攻阻止などの対処方針をまとめていた」「南西諸島有事に対する防衛庁の方針が明らかになったのは初めて」と。
 同年8月5日付「陸上自衛隊と米陸軍が来年1月に予定している日米共同図上演習『ヤマサクラ』に、南西諸島有事などを念頭に置き、日本の島しょ部が武力侵攻を受けたとの想定で共同対処する内容が盛り込まれる」「日米共同図上演習で島しょ防衛を扱うのは初めて」
 同年9月21日付「防衛庁は沖縄に配備している陸上自衛隊第一混成団(那覇市)に約850人の普通科連隊を新設し、2,300人規模の旅団に増強する方針を固めた。宮古島への陸自部隊配置も検討する。離島侵攻の危険に対処するため、旧ソ連の侵攻を想定した北方重視の防衛態勢を転換し、南西諸島への部隊配置強化を明確にするもので、尖閣諸島の領有権をめぐり対立する中国を刺激する可能性がある」
 2006年10月4日付「中期防衛力整備計画(2005〜2009年度)で明記された陸上自衛隊第一混成団(約2千人)の旅団化(3千〜4千人)の一環として、09年度をめどに宮古島に新たに約200人規模の部隊を配備させ、新たな基地建設も検討している」
 同年10月24日付「防衛庁と航空自衛隊が、東シナ海の軍事的な電子情報を収集・分析するための地上電波測定施設を宮古島分屯基地に設置する。2009年度運用開始予定」、と。
 このように南西諸島への自衛隊の強化が図られている時期に、自由主義史観による渡嘉敷島、座間味島への現地調査(2005年5月)、梅澤、赤松の弟による提訴(同年8月)、『ある神話の背景』の再出版(2006年5月)がなされている。
 さらに、2006年11月4日付「防衛庁の弾道ミサイル防衛(BMD)システム整備計画で、航空自衛隊の那覇基地与座分屯基地(糸満市)のレーダー更新で、2009年度から弾道ミサイルの探知・追尾が可能な新警戒管制レーダー・FPS−XXの整備を開始し、2011年度に運用開始との計画である」
 同年12月30日付「尖閣諸島に中国が武力侵攻し、日米が共同で対処する想定の演習を、海上自衛隊と米海軍が11月に硫黄島近海の太平洋上で実施していた」「日米の演習は、海自のイージス艦隊など約90隻、P3C哨戒機など約170機が参加した『海上自衛隊演習』の期間中に実施、海自のほか米海軍の空母キティホークなど10数隻が加わった」、と。
 以上から分かるように、部内協議(2005年1月)⇒日米共同図上演習(2005年8月)⇒海上演習(2006年11月)へと突き進んでいる。そして南西諸島の中でも特に宮古島が狙われている。

 それ以外にも、資料をつけておいた。

@2006年2月15日、航空自衛隊那覇基地の滝脇博之司令が、宮古島の下地島空港を自衛隊が使用することが望ましいと発言。
A
同年2月17日、防衛庁首脳が航空自衛隊那覇基地所属のF4ファントム戦闘機を2008年中にF15イーグル戦闘機に更新する方針を明らかにする。
B
同年2月21日、陸上自衛隊のライフル射撃場が米軍嘉手納弾薬庫地区内に建設されることが明らかになる。
C
同年2月26日、那覇防衛施設局の佐藤勉局長が、米軍キャンプ・ハンセン基地内で陸上自衛隊第一混成団(那覇)による射撃訓練を2006年度中にも開始することを明らかにする。
D
同年6月23日、沖縄戦慰霊の日に、陸上自衛隊第一混成団の藤埼護団長を含む25人が、第32軍司令官牛島 満中将らを祀った糸満市摩文仁の黎明の塔を参拝。
E
同年11月、米海兵隊キャンプ・ハンセン基地内で、米軍がイラクから持ち帰った路上爆弾を使い、米軍と陸自第一混成団が発見・退所の訓練を行う。
F
2007年1月29日、熊本県の大矢野原演習場で、陸上自衛隊第一混成団と在沖海兵隊第3海兵師団の共同演習。沖縄からの陸自参加は初めて。
G
同年4月3日、衆議院安全保障委員会で、久間防衛大臣が、宮古島の下地島空港について地元合意を得て自衛隊が使用可能となることが望ましいと発言。
H
同年4月27日、嘉手納基地に暫定配備中の米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが参加する初の日米共同訓練が行われ、沖縄の南西航空混成団のF4戦闘機などの航空自衛隊機とF22Aラプターなどの米軍機が模擬空中戦を展開した。
I
同年5月18日、辺野古沖で行われている環境現況調査(アセス法に違反した事前調査)に海上自衛隊が投入される。掃海母艦「ぶんご」で威嚇する。
J
同年6月6日、陸上自衛隊の情報保全隊が、自衛隊の活動に批判的な全国の市民団体や政党、労組、ジャーナリストなどの動向を調査した「内部文書」が明らかとなる。
K
同年6月25日、宮古島を訪れた久間防衛大臣が、下地島の自衛隊使用について言及。この日与那国島の民間港に米軍艦2隻が抗議の中寄港、と続く。

 こうした沖縄の基地の現状を相手(原告)側の徳永弁護士らはどれだけ知っているのだろうか。彼らは日本の安全とか防衛とかを口にするかも知れないが、戦後一貫して沖縄は基地を押し付けられてきたのだ。そうした沖縄の痛みを考えてきたことがあるのか。
2001年の9・11テロ以降、観光客が沖縄に来なくなった。修学旅行のキャンセルも相次いだ。その時、観光業者は“観光業は平和産業である”ことをまざまざと知った。戦争が起こらなかっても中国との間でちょっとしたトラブルが起こるだけで宮古・八重山は大変なことになる。この裁判は過去の歴史認識だけの問題ではない。将来の戦争の危機を沖縄県民は実感している。

 

4.7月27日(金)、大阪防衛施設局前で抗議の座り込み。

 現在、日本政府と防衛施設局は、基地建設を前提とした環境アセスメント法にも基づかない違法な調査を辺野古で進めています。
 7月21日(土)正午過ぎ、海中で作業を止める行動をしていたうふざと伝道所の平良夏芽牧師を作業員2〜3人が羽交い絞めにし、エアーボンベのバルブを閉めるという事件が起きました。これは明白な暴力行為であり、ひとつ間違えば人命にかかわることです。医師の診断によると、平良牧師は軽い減圧症とのことですが、水深4メートル付近だったので、今回は急浮上しても命を取り留めましたが、もっと深いところなら肺に重い障害が残っていたでしょう。
 2005年に沖合い案が撤回され、V字型滑走路案が浮上して以降の政府のやり方は、まさに「異常」です。4月には基地建設計画の基本合意もないまま、環境アセスメント法にも則らない「事前調査」を強行しました。5月18日には海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を辺野古に投入し、自衛隊員に機材の設置を行わせました。
 今回の事件を許さず抗議するため、7月27日(金)に大阪防衛施設局前で座り込みをおこないました。


大阪防衛施設局前座り込み(左端が筆者)

 緊急の行動だったので人数は多くはなかったのですが、大阪教区・兵庫教区につらなる方も参加しました。前述したように、ぼくは傍聴券を「京都行動」のメンバー2人に返したので、午後からは法廷に入れず、大阪防衛施設局前の抗議座り込みに沼田さんと一緒に参加しました。

 

5.反基地運動のリーダー・山内徳信さんが参議院議員に見事当選。

 145,666票を獲得し、山内徳信さんが参議院議員に見事当選しました。7月30日(月)早朝に当選が確定した山内さんは、その日の午後5時には辺野古と高江を訪れ、新基地建設阻止を誓いました。
 145,666票の内、沖縄で100,178票(68.77%)、ヤマトゥで45,488票(31.23%)。ぼくが住む奈良県で465票(0.32%)、平群町で14票でした。
 選挙区から当選した糸数慶子さんとともに今後の活躍が大いに期待できます。

 

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