第52号(2007年11月)

 ◆ 目 次 ◆

1.10月23日(火)、3万6,367筆の請願署名を国会に提出。
同日、近畿中部防衛局にも申し入れをする。

2.10月16日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第6回口頭弁論が開かれる

3.次回の大江・岩波沖縄戦裁判は、11月9日(金)午前10時半より。
梅澤裕・赤松秀一両原告、大江健三郎被告の証人調べ。夜には報告集会を開催。

 

1.10月23日(火)、3万6,367筆の請願署名を国会に提出。
同日、近畿中部防衛局にも申し入れをする。

 @辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動を初め、A沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動(京都)、Bくまのみの会(福岡)、Cくまのみの会(大分)、D長野行動(長野)、Eナゴガイセン☆ダイサクセン(名護)、Fナハ行動(那覇)、GNO BASE HENOKO TOKYO(東京)、HNO BASE辺野古☆名古屋(名古屋)、I平和街角興行・赤穂(赤穂)、J辺野古に基地はいらない滋賀行動(滋賀)の11団体が呼びかけ団体となり、
 1.沖縄県名護市辺野古への米軍基地建設計画を白紙撤回すること
 2.普天間基地を無条件に、即時全面撤去すること
の2項目の国会請願署名活動を6月23日より9月末まで全国一斉に取り組みました。この署名活動については、『沖縄通信』48号(2007年7月)で報告しました。

 
第166回(10月13日)大阪行動での筆者(左端)

 日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会もこの取組みの賛同団体となりました。西大和教会は、馬見労祷教会の協力もいただき150筆の署名を集約しました。
 9月末までに全国で集めた署名は3万6,367筆に上り(署名は47都道府県全てで協力がありました)、10月23日(火)、国会に署名を提出しました。紹介議員も衆・参合わせて40名を越えました。
 時間もおカネもないので、ぼくは上京し国会に署名を提出する行動には参加出来ませんでしたが、この日、同時に近畿中部防衛局へ申し入れをおこない、これに参加しました。申し入れ項目は、
一、辺野古への新たな基地建設計画の白紙撤回
一、沖縄・普天間飛行場の即時無条件全面返還
一、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の中でなされた日米の軍事一体化と、基地機能の強化を進める日米両政府の「合意」の撤回
一、世界的な米軍再編の中止
の4つです。
 防衛施設庁が防衛省に組織再編されたことにともない、大阪防衛施設局も近畿中部防衛局に名称が変わりました。

 
名称も「近畿中部防衛局」に変わった。

 署名提出行動の時は、いつも大阪合同庁舎第2号館前での交渉となるのですが、この日は人数が少なかった(8名参加)こともあり、室内での交渉となりました。あわせて、2月16日の第5次署名提出時(『沖縄通信』44号(2007年3月)を参照して下さい)におこなった質問事項、すなわち「辺野古の新基地建設計画における『事前調査』に違法性について」も問い糾しましたが、局側は、沖縄のことは那覇防衛局の管轄なので分からないと、いつものようにのらりくらりした返答に終始しました。しかし、参議院での与野党逆転が大きく影響しているのでしょうか、テロ特措法の国会審議をむかえて、各地で説明会を開催している、大阪は9月21日(金)に実施し、この日は名古屋での説明会のために近畿中部防衛局・増田慎吾局長も出向いているとのことでした。下の写真は10月24日(水)に神戸で開催される説明会のポスターです。

 
10月24日の「防衛問題セミナー(テロに立ち向かう自衛隊)を知らせるポスター

  交渉中、局側は略して“テロ特”、“テロ特”と発言していましたが、今、アメリカが世界中で引き起こしている戦争は「テロリスト」との戦争なのか?「テロリスト」とは何か?「テロリスト」と一言で括っていいものなのか?というような疑問・疑念をあらかじめ封じ込め、「テロリスト」=悪という既成事実をはかり思考不能に落とし込めるような、こうした略語(「テロ特措法」からして略称なのですが)を不用意に使うべきではないと思います。
 それなら、米軍再編も国民にとって重要なテーマなのだから、米軍再編に関する説明会も各地で開催せよ、と迫りました。交渉は午後3時から4時15分までおこないました。

 
近畿中部防衛局との交渉(左側の二人が局側)

 

2.10月16日(火)に靖国合祀取り消し訴訟の第6回口頭弁論が開かれる。

 10月16日(火)午前11時より大阪地裁で靖国合祀取り消し訴訟の第6回口頭弁論が開かれました。こちらの公判は、大江・岩波沖縄戦裁判より傍聴希望者が少ないので抽選に当たる確率が高く、この日も法廷に入ることが出来ました。
 この日は、新たに原告に加わり、併合された松岡 勲さんの「訴状」陳述と、「原告第15準備書面(自衛官合祀事件最高裁大法廷判決の批判的検討)」の陳述がなされました。原告の「第15準備書面」に対し、国側は不埒にも「反論せず」と応え、靖国神社側は「反論するか、しないかを含めて次回に回答する」と述べて、公判は午前11時34分に終了しました。
 午後1時から、中央公会堂で「裁判かみ砕き報告・学習集会」が開かれました。松岡 勲さんの訴えは次の通りです。

 
松岡 勲さん


 原告の合祀取消請求と被告・靖国神社による拒否 
 原告(松岡 勲さん)は、2007年6月12日、被告・靖国神社に対し亡父・松岡徳一の合祀を取り消すように申し入れたところ、靖国神社は次の回答をしてきた。「国家有事に際して殉じられた方々に只管(ひたすら)感謝の真心を表しその遺徳を敬愛致しますことは大方の日本人の伝統的信念ではないかと存じます。当神社におきましては、この慣習に従い御奉仕を続けておりますので、今回の御申し越しのことは何としても貴意に添い難く何卒御理解下さるよう御願い申し上げます」(6月19日付)。「尚、この度の合祀取り消し再要求では、貴殿の御質問は『質問』という形式をとりながらも合祀の取り消しをお受けできないとしている靖國神社に対して、その是非の議論を求めているものと思われ、併せて靖國神社の根幹にかかわる合祀・祭祀に批判的な意思表明と受け止められます。従いまして当神社と致しましては、貴殿とこの様な内容につき議論することを差し控えさせて戴きたいと存じます。また、今後も同様の御質問には回答致しかねますので何卒御了承願います」(7月6日付)と。

 人格権としての妨害排除請求権 
 原告は、被告・靖国神社に対し、合祀取消を請求したが拒否された。もしこのまま放置すれば、原告が被っている合祀による深刻な精神的苦痛は今後も継続する。原告の人格に加えられているこの深刻な侵害を除去するために、原告には人格権に基づく妨害排除請求として、本来合祀の取消請求が認められるべきである。原告は、妨害排除請求権を実現するために霊爾簿、祭神簿、祭神名票から父・松岡徳一の氏名を抹消することを求める。

 父・松岡徳一の戦死の状況 
 原告の父・松岡徳一は2度目の召集の1945年1月22日、中国湖北省顎城県梁子島において35歳で戦死した。「現認報告書」は、徳一の壮絶な戦死のようすを記している。
   受傷状況 湖北省顎城県梁子島ニ向ヒ敵前漕渡ヲ実施中
          敵ノ船ニ依リ逃亡セントスルヲ認メ之ヲ急迫シ梁子島
          西南敵前三○○米付近ニ至リタル時「エンヂン」停止シタル
          ヲ以テ松岡軍曹ハ敵弾雨飛ノ間敢然トシテ櫓ノ操作
          ヲナシ船ヲ前進セシム 此ノ時対岸ニアリタル
          「トーチカ」ヨリ熾烈ナル敵火ノ射撃ヲ受ケ一月二十二日九時
          五分頃遂ニ壮烈ナル戦死ヲ遂グ

 神として祀り、顕彰することへの違和感 
 母・春枝の話しによると、原告が生まれた日の未明、父は「天保山の桟橋(大阪港)から出航した」。それ故に原告は、誕生から今日まで63年間、「まだ見ぬ父」の姿を折にふれ、脳裏に描くことしかできない。
 原告は、1958年7月、中学3年生の時、遺児代表として靖国神社参拝をしたことがある。参拝で「お父さんに会えた」といった感動もなかった。靖国神社は、原告に父の存在を感じさせてくれるものではなかった。

 戦死についての認識の転換
 原告が高校に入学してから、徐々に父である徳一を、戦争の被害者としてだけでなく、加害者として見る視点を持ち始めた。侵略軍の一員としてアジアや中国の民衆に対した(=殺す側にいた)父が、なぜ被告・靖国神社では「神」として祀られ、顕彰されているのか、被告・靖国神社と国家、あるいは天皇との関係は何なのか、一体靖国神社合祀の意味は何なんだろうという疑問が強まった。

 母子を引き裂いたもの
 原告と母とは、どちらも徳一の非業の死を心に刻み、追悼し、偲んでいるにもかかわらず、家族として徳一をどのように追悼し、偲んでいいのかを語り合う機会を持ち得なかった。これは、ひとえに、被告・国と被告・靖国神社が徳一を一方的に靖国神社に合祀し、殉国の英霊に祭り上げ、母の素朴な遺族感情を教化育成してしまったからに他ならない。

 原告が被っている精神的苦痛 
 合祀取消請求についての被告・靖国神社がなした原告への応答が、戦死者と遺族の実情と心情をまったく無視したものであり、また、遺族の了解を得ず、ただ一方的に原告の父・徳一を「神」として祀る(合祀する)ものであるため、原告は、父・徳一の靖国神社への合祀を認めることはできない。被告・靖国神社は、原告の父・徳一を合祀したことにより原告を苦しめ、また、原告と母との対話を母が死ぬまで不可能にし、原告と母との間に深い溝を作ったのである。また、被告・国は、憲法に違反して父に関する個人情報を被告・靖国神社に提供した。

 
康 由美弁護士

 続いて、康 由美弁護士より「原告第15準備書面(自衛官合祀事件最高裁大法廷判決の批判的検討)」についての説明を受けました。
 自衛官合祀事件(中谷康子さんの裁判)は、『沖縄通信』38号(2006年9月)、46号(2007年5月)で紹介しています。今回の裁判で、被告・国と靖国神社は自衛官合祀事件での最高裁判決と同じ事案だから、原告の訴えを却下せよと主張しています。「原告第15準備書面」では、この合祀取り消し訴訟は自衛官合祀事件のケースとは異なると述べ、かつこの最高裁判決を批判しています。
 この「裁判かみ砕き報告・学習集会」で、ぼくは主催者に乞われて、11月9日(金)の大江・岩波沖縄戦裁判への傍聴と夜の集会への参加をアピールしました。

 次回第7回口頭弁論は12月18日(火)午前11時より大阪地裁202大法廷で開かれます。当日は午前10時までに地裁正門前に集合して下さい。また裁判終了後「学習集会」も開かれます。こちらにも多くの参集をお願いします。

 

3.次回の大江・岩波沖縄戦裁判は、11月9日(金)午前10時半より。
梅澤裕・赤松秀一両原告、大江健三郎被告の証人調べ。夜には報告集会を開催。

 9月10日(月)那覇地裁での出張尋問を経て、11月9日(金)に次回(第11回)公判が開かれます。証人調べがおこなわれた7月27日(金)の公判を「最大、最高の山場」とぼくは書きましたが、11月9日(金)は最大、最高かつ最後の山場です。
 座間味島・梅澤裕第1戦隊長と渡嘉敷島・赤松嘉次第3戦隊長(故人)の弟・秀一両原告と大江健三郎被告に対する証人調べが丸1日おこなわれます。公判は、午前10時半より大阪地裁で開かれます。多分午前9時半から傍聴券の抽選がありますので、遅くともそれまでに大阪地裁前に集合して下さい。午前9時からとなるかも知れないので、余裕を持って来て下さい。
 この日11月9日(金)午後6時半から、エルおおさか南館ホールで「沖縄戦裁判本人尋問報告集会」を開きます。集会では、@「梅澤・大江氏は何を語ったか」と題して弁護団より公判報告を詳しく受け、A沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会事務局長の山口剛史・琉球大学准教授の講演「沖縄戦の真実は消せない−島ぐるみの闘い」と、B「著者が語る教科書検定問題」と題する報告を検定教科書執筆者である石山久男・歴史教育者協議会委員長よりいただきます。
 この集会にも多くの方々が参集されますよう呼びかけます。

 

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