第55号(2008年2月)

 

◆  目次  ◆

1.1月24日(木)、沖縄ジュゴン訴訟で判決。アメリカ国防総省が敗訴。

2.「軍の関与が復活」か、 「軍の強制認めず」か。
1月18日(金)、沖縄戦裁判勝利・教科書検定意見撤回要求集会が開かれる。


3.1月26日(土)に、「山内徳信近畿後援会第1回総会」が開かれる。

 

1.1月24日(木)、沖縄ジュゴン訴訟で判決。アメリカ国防総省が敗訴。

 普天間飛行場の移設をめぐって、名護市キャンプ・シュワブ沖に生息するジュゴンの保護を求め、日米両国の自然保護団体らがアメリカ国防総省を相手に起こしていた「沖縄ジュゴン訴訟」で、サンフランシスコ連邦地方裁判所は、1月24日(木)、米文化財保護法(NHPA)違反との判決を出しました。
 これは画期的な判決で、辺野古新基地建設阻止に向けた大きな橋頭堡となるものです。
 「沖縄ジュゴン訴訟」とは何でしょう?今までの『沖縄通信』から振り返ってみましょう。ぼくは『沖縄通信』第6号(2003年10月)で、次のように書きました。
 「2003年9月25日(日本時間26日)、日本環境法律家連盟所属の籠橋隆明弁護士らは日米の環境保護団体とともに、ジュゴンの保護を求めてカリフォルニア州の連邦地裁へ提訴しました。
 この提訴は、米国文化財保護法(NHPA)に基づくもので、辺野古沖に計画されている海上基地建設が、NHPAと同等の内容をもつ日本の文化財保護法において天然記念物に指定されている沖縄ジュゴンに影響するため、NHPA違反となることを確認するものです。原告の中にはジュゴンも入っており、被告は合州国国防省長官ドナルド・H・ラムズフェルドです」と。
 それから1年半後の2005年3月、『沖縄通信』第23号では次のように述べています。
 「さる3月3日(木)、連邦地裁は被告の合州国国防総省とラムズフェルド長官から出されていた訴え却下の申し立てを退けました。これにより今後、判決に向けて審理が進められることになります。
 『同地裁は判断に際し、31ページの詳細な文書を作成。1997年と2001年の2度、辺野古沖海上基地の運用条件や概念をまとめた文書の策定などで、米政府の関与、指示があったと認めた。
 米国防省が“日本単独の行為で、米国の関与はない”と答弁したことに対し同地裁は文書の中で“不誠実な主張”と批判。基地建設の本体工事に着手する前に調査や住民・市民団体を含む関係者との協議など、NHPAが定める手続きに入る必要性を強調している』(『沖縄タイムス』2005年3月4日付)と報じています。
 米原告のブレンダン・カミングスさん(生物多様性センター)も『今回の決定は判決に向けて非常に重要な意味を持つ』とコメントしています」と。

 このような経過をへて、今回の判決に至りました。
 サンフランシスコ連邦地裁判決の要旨は次の通りです。
一、国防総省は、文化財保護法の要求に従わなかった。不合理な遅滞と違法な保留があった。
一、国防総省に対して、文化財保護法に従うよう命じる。
一、国防総省に対して、ジュゴンへの影響を評価するために、どのような追加情報が必要かを示した文書を90日以内に提出するよう命じる。
一、提出文書は、次の点を含む必要がある。どこから情報を得るか。対象には、 関係する個人、組織、政府機関を含む。日本の環境影響評価の性格や適用範囲についての情報。日本の環境影響評価は、国防総省にとって文化財保護法に基づく義務を果たすのに十分であるか。
一、 これらの情報を、影響軽減のために検討、考慮する国防総省の権限と責任ある担当者の名前を明らかにすること。(『沖縄タイムス』2008年1月26日付)
 練られていない日本語ですが、要は、被告である国防総省は、辺野古の基地建設計画においてジュゴンへの影響がないことを示せる文書を90日以内(ということは4月23日(水)まで)に裁判所に提出せよ、というものです。
 「米国の環境訴訟に詳しい上智大学の畠山武道教授(環境法)は『(裁判所は)提出文書に納得できなければ、基地が完成しても米軍が使わないよう命じることも考えられる』と指摘」し、『米政府は、ジュゴン保護をクリアできる計画へ変更するよう、日本政府に働き掛けざるを得ないのではないか』とみ」(『沖縄タイムス』同日付)ています。
 「判決のどこが画期的か」と、『沖縄タイムス』は社説で「第一に判決は、海外における米軍基地建設に米国の国内法を適用し、沖縄周辺海域のジュゴンを保護対象として認定した。第二に、判決は、米国防総省のこれまでの取り組みが米国の文化財保護法に違反していることを認め、是正措置を求めた」(1月27日付)ところが画期的だと述べています。
 「沖縄ジュゴン訴訟」は、米国文化財保護法(National Historic Preservation Act NHPA)をアメリカ政府は守れという裁判です。この法では、アメリカが国外で行う活動において、相手国の同様な法律で保護されている物事については、アメリカもそれを守らなければならないと定めており、アメリカが守らない場合は誰でもアメリカを訴えることができる、とも定めています。
 ジュゴンは日本の文化財保護法で天然記念物に指定されていて、捕獲や生息環境を乱すことなどが禁じられています。それでNHPA法に従って、アメリカ政府はジュゴンへの悪影響を回避するための方策を示せ、つまり基地建設を断念せよ、という原告の主張であるわけです。ですから、この勝利判決は非常に意義のあるものです。

 また、1月31日(木)、沖縄弁護士会は『米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴う環境影響評価(アセスメント)の方法書撤回・手続きやり直しを求める声明』を発表しました。『声明』は、普天間代替施設建設に伴う環境アセスメントについて「方法書の手続きが終了する前に、自然環境への影響が懸念される環境現況調査に着手している」と指摘し、「沖縄防衛局は、環境影響評価法が定める手続きを形骸化し、法の趣旨を没却している」として、手続きのやり直しを求めています。
 こうした正義をもバックに、辺野古新基地建設を絶対に阻止しましょう。

 

2.「軍の関与が復活」か、 「軍の強制認めず」か。
1月18日(金)、沖縄戦裁判勝利・教科書検定意見撤回要求集会が開かれる。

 大江・岩波沖縄戦裁判と教科書検定問題を「支援連絡会」という枠組みからもっと広めようとの試みの一つとして、支援連絡会、教育・文化大阪府民会議、子どもと教科書大阪ネット21、出版労連大阪地協の4団体が実行委員会を形成し、1月18日(金)に大阪府教育会館たかつガーデンで「沖縄戦裁判勝利・教科書検定意見撤回要求 大阪集会」を開催しました。


真栄田義且さん

 当日は、真栄田義且さんが「沖縄出身者の立場から沖縄戦を語る」と題した体験を報告し、メインの講演を歴史教育者協議会委員長・石山久男さんより受けました。演題は「教科書検定意見の撤回を求める−執筆者の立場から」です。
 石山さんは要旨、次のように話されました。
 昨年12月27日付朝刊は、いわゆる「集団自決」に関して提出されていた教科書の訂正申請の結果を一斉に報道した。『琉球新報』『沖縄タイムス』の地元2紙は「『軍強制』認めず」という大見出しを掲げたのに対し、東京の全国紙の大見出しはいずれも「『軍の関与』が復活」という趣旨だった。どちらが事の本質を表していたのだろうか。
 まず、今回の訂正申請にいたる経過を簡単にふりかえってみる。昨年9月25日、第1回「教科書執筆者懇談会」を開き、訂正申請の実現に努力する、密室検定を避けるため可能な限り訂正申請内容を公開することなどを申し合わせた。
 政府・文科省は2007年9月29日の沖縄県民大会の成功に驚いて、急遽、訂正申請があれば受け付けると表明した。これは検定に誤りがあったことを事実上認めたことを示している。一方、訂正申請受理によって県民大会決議である検定意見撤回をうやむやにして決着をはかろうとする政治的意図も見えていた。
 「執筆者懇談会」は、今春2008年の教科書供給に間に合わせるため11月上旬に6社8冊が訂正申請を行い、うち4社6冊が申請内容を公表した。
 問題はそれからだ。文科省は訂正申請を検定調査審議会にかけ、それを理由に申請内容や途中経過の公開を一切禁止する旨出版社に厳命した。審議会は『基本的とらえ方』をまとめ、これを12月4日に『指針』として各出版社に口頭で伝達した。それは、軍の責任を曖昧にし軍が強制したのではなく住民の側が強制と思い込んだのだという趣旨だった。結果、山川出版社の1冊を除き、ほかの7冊すべてが訂正申請文案の修正を強要された。
 しかも『指針』にもとづく訂正文の「調整」は教科書調査官に委任されたため、密室の中で調査官と出版社の間での訂正申請文の修正が行われることになった。訂正申請の結果は、日本軍が強制した、強要した、強いたという趣旨の記述は一切認められず、日本軍の関与によって追い込まれたという記述だけが認められることになった。


講演する石山久男さん

 そもそも今回の問題は、文科省が根拠のない検定意見によって「集団自決」が日本軍の強制によって起こったという歴史的事実を削除させたところに核心がある。その核心部分について文科省は記述の回復を拒否したのだから、沖縄2紙の見出しこそ事の本質をとらえたものといえよう。
 布村審議官は2007年6月の段階では「検定意見に誤りはない。撤回できない」と言っていたが、10月15日には「検定意見を撤回する規則がない」と、その発言に変化がみられた。ところが12月4日になると元の発言に戻った(筆者注:この日の交渉には筆者も参加した。『沖縄通信』54号参照)。前述したように、この日の午後、『指針』が各出版社に口頭で伝達された。
 訂正申請結果公表の翌12月27日、「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」、「沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」の3団体と出版労連は、文科省に対する『抗議声明』を発表した。声明では次の要望をおこなった。
@ 今回の沖縄戦に関する検定意見をただちに撤回すること。
A 今回の訂正申請についての審議をやりなおし、記述の回復を求めた各社の当初の訂正申請をすべて基本的に認めること。
B 検定基準に近隣諸国条項に準ずるいわゆる「沖縄条項」を新設すること。
C 今回の訂正申請の審議経過など関係資料をすべて公表すること。
D 検定制度の抜本的改善にただちに着手すること。そのなかで教科書調査官制度の撤廃についても検討すること。
 こうして基本的な問題の多くが持ち越された。やはり歴史認識には息長い取り組みが必要だといえる。今のところ検定意見撤回も記述の回復も実現するに至っていないが、この間の大きな運動が無に帰したわけではない。それは多くの人々の歴史認識を深める機会となり、歴史を改ざんする右翼勢力に大きな衝撃を与え、検定の若干の手直しをせざるを得ないところへ追い込んだ。
 また、検定制度のあり方への関心を深め、改善への世論を高めた。その結果、今回の訂正申請の経過については、初歩的とはいえ事後の公開を一定程度拡大した。
 「教科書執筆者懇談会」を「社会科教科書執筆者懇談会」という恒常的組織へと再編成した。これからの課題は、
   1. 検定意見撤回と記述回復をめざす。再度の訂正申請も含めて。
   2.検定制度の改善と廃止にむけて。今の制度は欠陥検定制度である。
   3.今後の検定批判、採択制度批判、教科書記述の改善
  となろう。
 石山さんは概ね、以上のように話されました。
 この集会は、「支援連絡会」という枠組みからもっと広めようとした初めての取り組みでしたが、参加者数(60名)から見ても十分な成果を上げたとはいえません。しかし、ヤマトゥにおける世論形成のためにも、もっともっと努力を積み上げていく必要があります。

 11月上旬、訂正申請⇒12月4日、審議会が『指針』を伝達⇒12月27日、訂正申請結果公表というこの時期は、ちょうど薬害肝炎訴訟の最終局面と重なっていました。「いのち」の問題であるこの取り組みは、マスコミでも大きく報道され、世論も圧倒的に原告団支持でした。この力が政府・厚労省の厚い壁を突き破りました。「明日中に回答せよ」との原告団の要求に政府・厚労省は従わざるを得ませんでした。厚労大臣も首相も原告団と面談しました。多くの人たちは原告団の毅然とした対応にエールを送りました。今後の課題もあるのでしょうが良い方向で解決を見、何よりでした。
 沖縄戦における軍の強制も実は「いのち」の問題だとぼくは思いますが、この時期、マスコミは教科書検定について黙殺しました。文科大臣も首相も沖縄の代表団と会おうともしません。その後も経過を丹念に追っていたのは『沖縄タイムス』『琉球新報』の地元2紙だけで、ヤマトゥのマスコミは報道しませんでした。そして、流した記事も「『軍の関与』が復活」というトンチンカンなもの、いや間違ったものなのでした。

 これもヤマトゥのマスコミでは報道していませんが、次のような衝撃的な事実が沖縄の新聞で報道されました。
 すなわち、「政府機関が軍命否定/防衛研究所資料/裁判事案 一方的に断定」との見出しで、「防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)が、所蔵している沖縄戦の『集団自決(強制集団死)』に関する資料に、渡嘉敷、座間味両島で『戦隊長の命令はなかった』という趣旨の見解を付していた…事実関係が裁判で争われている事案に、政府機関が一方の主張を認める断定的な記述を付していたことになる」(『沖縄タイムス』2008年1月14日付)と。また、1月16日付同紙は「集団自決は村の独断/軍命ねつ造と断定も/防衛研 公開資料に所見/問題なしと削除せず」とも報道しました。防衛研究所資料には「『渡嘉敷島及び座間味島における集団自決に真相』に付された『所見』」として、「軍命令による集団自決とされていた両島の事件が、村役場の独断であり、戦後補償のために軍命令とした経緯に関する当事者の貴重な証言である。平成(ママ)12年10月18日 調査員 永江太郎」とあります。こうした防衛研究所資料について、関東学院大・林博史教授は「明らかになった資料をセットで考えると、防衛研究所が1970年代の非常に早い段階から『軍命はねつ造である』という見解を持ち、現在に至るまで一貫していることが分かる。非常に一面的な沖縄戦の見方を一般公開しているのも、資料保存の方法として問題が大きい」と話し、『沖縄タイムス』は1月17日付「社説」で「手記『集団自決の渡嘉敷戦』『座間味住民の集団自決』は、元大本営参謀が陸上自衛隊の幹部学校で『沖縄戦における島民の行動』の演題で講演した際の講演録に添付されていたという。/両資料について、見解は『事実とは全く異なるものが、あたかも真実であるがごとく書かれた』と断定。…『命令は出されていないことが証明されている』と言い切っている。/文科省の検定意見といい防衛研究所の見解といい、政府は一貫して日本軍の責任を希薄化する姿勢を見せてきた。沖縄地元の研究者や住民側証言との落差が際立っている。/沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦が展開された。『集団自決』や日本軍による『住民殺害』が起きたことが大きな特徴である。重要な史実の評価をめぐって、国内においてさえ、こうも歴史認識が懸け離れていることに暗然とする」と述べています。
 暗然とするどころか、ぼくは身震いをすら覚えます。この大江・岩波沖縄戦裁判にしても教科書書き換えにしても、大きな政府権力が背後でうごめいているのだと思うと、自分の微力さを感じると同時に何とかせねばとも思うのです。

 さて、大江・岩波沖縄戦裁判の判決公判は3月28日(金)午前10時からです。傍聴を希望される方は、遅くとも午前9時30分までに大阪地裁前に集合して下さい。
 この日は午前中に裁判が終わるので、当日3月28日(金)午後2時からエルおおさかで「『大江・岩波裁判』判決報告集会」を開きます。集会では、弁護団からの報告とともに、沖縄国際大学・安仁屋政昭名誉教授より『判決を聞いて』との講演を受けます。
 この集会にも多くの方々が参集されますよう呼びかけます。

 

3.1月26日(土)に、「山内徳信近畿後援会第1回総会」が開かれる。

 昨年7月の参議院議員選挙で当選した山内徳信さんの「近畿後援会第1回総会」が1月26日(土)に開かれました。


国会報告をする山内徳信さん

 山内徳信さんより、緊迫する国会報告を聴くとともに、この日の圧巻は照屋エイサー隊(だったと思います)の6歳のジュリーちゃんによる三線演奏、お父さんと一緒に踊ったエイサーです。


ジュリーちゃんによる三線演奏@

 会場のマイクで紹介されるまで、ぼくは男の子だとばかり思っていましたが、ジュリーちゃんは6歳の女の子でした。


ジュリーちゃんによる三線演奏A

 そして、「ジュリーちゃんは明日(1月27日)午前10時55分から読売テレビに出演するので見て下さい」とも紹介がありました。テレビ放映は日曜日で、この時間帯には主日礼拝に出ているので、ぼくはテレビを見ることができません。そこで連れ合いに見てもらうように頼みました。


お父さんと一緒にエイサーを踊る。

 以下が連れ合いのレポートです。
 読売テレビの『スタぴか!』は驚きの技や能力をもつ子供たち(すごいキッズ)を紹介する人気番組。
 新年の放送『すごいキッズ祭り』では、この間番組で取り上げた100名のなかから、特に人気の高かったキッズのベストテンが選ばれました。
 ジュリーちゃん(6歳)は、並み居る天才少年少女たちのなかから、堂々のベストテン入りを果たし9位にランキング、ダイジェスト版で再放映されたのがこの番組でした。

 

 

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