第56号(2008年3月)

◆  目次  ◆

1.またしても、少女への性暴力事件が。
沖縄では3月23日(日)に県民大会。私たちもヤマトゥで怒りの声をあげ続けよう。

2.沖縄密約とは何か。それは国家による犯罪であり、思いやり予算の原型だ。

3.大江・岩波沖縄戦裁判の判決日は3月28日(金)午前10時 大阪地裁で。
午後2時からエルおおさかで、「判決報告集会」。

 

1.またしても、少女への性暴力事件が。
沖縄では3月23日(日)に県民大会。私たちもヤマトゥで怒りの声をあげ続けよう。

 2008年2月10日(日)午後10時半ごろ、在沖米海兵隊キャンプ・コートニー所属の二等軍曹タイロン・ハドナット容疑者(38歳)が、北谷町内の公園前路上に止めた車の中で14歳の女子中学生を強姦し、翌11日(月)午前、逮捕されました。


2月13日、アメリカ領事館前での抗議行動

 大阪では、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」などが緊急に2月13日(水)、御堂筋にあるアメリカ領事館前で抗議の行動を起こしました。この日、ぼくはある高校にゲストスピーカーとして「沖縄」の話をしに行った帰りだったので、現場には不釣合いなスーツ・コート姿で駆けつけたのでした。


コートを着て中央に立っているのが筆者

 またしても、です。1995年9月の米兵3名による少女暴行事件後、2007年までに県警が摘発した米軍関係者(軍人、軍属、家族)による性暴力事件は14件、18人、凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)も43件、63人に上っています。(『沖縄タイムス』2008年2月10日付)これはあくまでも検挙数であり、実数はこれを上回ることは次の目取真 俊さんの文章からも明らかです。
 1995年9月の事件後、10月21日の県民大会「からしばらくして、勤めていた高校で女生徒の一人がこういう話を聞かせてくれた。/ 中部のある高校で女生徒が米兵にレイプされた。彼女はその後妊娠しているのが分かり、自ら学校をやめて中絶した。だからレイプされた事実を学校側は知らないし、マスコミが取り上げることもなかった。先生たちは今回の事件で騒いでいるけど、こういうことがあったのは知らないでしょう、とその生徒は話していた。/ 教師や親が知らないだけで、あるいはマスコミで報じられないだけで、米軍がらみの性暴力事件がどれくらい起こっているか。性犯罪事件で表に出るのは氷山の一角と言うが、まさにその通りなのだろう」(『沖縄タイムス』「広がる怒り−米兵暴行事件 その1」2月29日付)と。
 ハドナット容疑者は当初「抱き付いたり押し倒したりはしたが、暴行はしていない」と否認していましたが、2月21日(木)の段階で容疑を全面的に認める供述をしました。が、2月29日(金)、被害者本人が告訴を取り下げたため不起訴処分となり、同日午後8時42分、釈放されました。
 ああ、何という不条理。彼女はどれだけの重荷を背負ったことだろう。「そっとしておいてほしい」という言葉にそれは表れているでしょう。
 「綱紀粛正」、「再発防止」と何回、何十回聞いたか知れない言葉とは裏腹に、
2月18日(月) 名護市辺野古の民家に不法侵入したキャンプ・シュワブ所属の
         米海兵隊伍長 ショーン・コーディー・ジェイク容疑者(21歳)を
         現行犯逮捕。
2月20日(水) 18日(月)に沖縄市のホテルでフィリピン女性を暴行した容
         疑で、米軍当局はトリイステーション所属の20代男性伍長の身
         柄を拘束。
2月26日(火) 在沖米海兵隊普天間基地所属のデニス・メニチカ海軍大尉(2
         1歳)が原付バイクと衝突、バイクの男性会社員(20歳)は重傷。
3月 1日(土) 嘉手納基地内に住む米軍関係者ら3人を覚せい剤取締法違反の
         疑いで逮捕。
3月 2日(日) 沖縄市知花の県建設業協会中部支部のガラス戸を割って室内に
         忍び込んだとして、沖縄署は建造物侵入容疑で米空軍嘉手納基地
         所属の上等兵ウェスリー・タフト容疑者(21歳)を逮捕。
と、たて続けに事件が発生しています。

  一方、性暴力事件に抗議するため2月27日(水)、米総領事館を訪れた「沖縄平和市民連絡会」共同代表の平良夏芽牧師たちに対し、「多忙」を理由に面会を断わったはずのケビン・メア総領事は領事館近くでゆったりとコーヒーブレイクを楽しんでいました。沖縄タイムスの取材に対し、領事館側は「総領事は不当抗議行動で逮捕された人とは会わないとしている」と回答(『沖縄タイムス』2月28日付)したとのことです。2006年9月25日(月)に、平良夏芽牧師がキャンプ・シュワブ第1ゲート前で、公務執行妨害の現行犯で逮捕された出来事は、『沖縄通信』39号(2006年10月)でくわしく紹介しましたが、不当逮捕ゆえにその後不起訴処分となったものです。2月20日(水)から「反省の期間」とし在沖米軍人・軍属の外出禁止と決めてはみても、トップがこうした人権無視の態度である限り「良き隣人」などには決してなれるものではありません。ここに軍事植民地を擁する植民者の顔を見て取ることができます。事が大きくなるのを危惧したのか、翌日、沖縄タイムスに「コーヒーブレークを楽しんだものではなく、衝突を避けようと考えてのものだ」と弁明していますが、後の祭りというものです。
 「狭い沖縄でだいたい顔見知り、あるいは親せき関係の中で、新聞に投書することはとても勇気のいることだが、あえて言わないといけない時もあると思」い、神山郁子さん(54歳)が2月25日付『沖縄タイムス』「論壇」に次の投稿をされています。

 今から37年前、復帰前の1971年。私の家の敷地内に目の大きな魅力的な20代のお姉さんが住んでいた。私は当時、高校生で大学受験を控え、夜遅くまで勉強していた。彼女は夜も働いていたらしく、彼女の話し声が私の部屋までよく聞こえていた。… そして、目が合うと遅くまでよく勉強するね、絶対、大学合格すると思うよ、と優しい笑顔で声を掛けてくれた。昼間は電話を借りに、よくわが家に出入りしていて、いつも余分にお金を置いていった。その優しいきれいなお姉さんが殺された。そして、近くの川に捨てられたというのだ。それも、米兵が犯人だった。
 幼い娘を一人残してお姉さんは米兵に殺された。どんな思いであったろう。昼も夜も必死に働いて一人娘を育てていたお姉さんがなぜ殺されなければならなかったのだろう。
 また、こんな事件もあった。私が小学生のころ、いつも遊んでいた友達が私を呼びに来たが、昼寝をしていたので、母が断わったらしい…。友達数人は遊びの帰り、米兵の運転する車にはねられて亡くなった。いとこや隣近所の友達だった。… その犯人も無罪になり、その後、どうなったか知らされなかった。… いまでも夢を見たり、二つの事件のことが忘れられない。復帰したら、こんなに悲しむことはないし、裁判は日本の法律ででき、逃げ得を許してはいけないと思った。そして、犯人を必ず有罪にできると信じていた。
 あれから35年余り、今も、沖縄の現状は変わっていない。… 今回の事件で新聞を読む限り、米兵の教育が大事だとか、遺憾に思うというだけで、何も変わらない。… 命の大切さ、人間の尊厳さなどとても大切なものを基地がある故に、私たちは失ってきたように思う。
 神山郁子さんもおっしゃる通り、沖縄の状況は何も変わっていません。それは基地を沖縄に押し付けている私たちヤマトンチュの責任です。
 沖縄では3月23日(日)に抗議の県民大会が開かれる予定です。知念ウシさんは大会の必要性は認めつつも、大会を「もしまたこのままやるのなら、今度の大会と前の大会(筆者注:11万6千人が集まった2007年9月29日の教科書検定意見撤回を求める県民大会のこと)が、単なる数字として比較され、両者とも、その意義が軽んじられる結果にならないだろうか」(『沖縄タイムス』「ウシがゆく その33」3月2日付)との危惧を表明していますが、そんなことは乗り越えて怒りを燃やさなければ、と思います。

 
3月3日、アメリカ領事館へデモ

 3月3日(月)には、「おおさかユニオンネットワーク」などが呼びかけて、扇町公園で「米兵の沖縄中学生レイプ事件抗議大阪集会」が開かれ、アメリカ領事館前へのデモをおこないました。
 これからも、怒りを持続させて闘っていきましょう。

 

2.沖縄密約とは何か。それは国家による犯罪であり、思いやり予算の原型だ。

 沖縄返還協定の「密約」をめぐる取材過程で外務省の秘密公電を手に入れ、国家公務員法違反(秘密ろうえい教唆)で有罪判決が確定した元毎日新聞記者の西山太吉さんが、不当な起訴や、密約を否定し続ける政府側の発言などで名誉を傷つけられたとして、国に謝罪と3,300万円の損害賠償を求めた沖縄返還密約裁判の控訴審判決が2月20日(水)、東京高裁でありました。大坪丘裁判長は、西山さん敗訴の一審・東京地裁判決と同様、密約に言及せず、除斥期間(=時効)を適用して、控訴を棄却しました。西山さんは二審判決を不服として上告しました。
 昨年2007年12月22日(土)、「沖縄と共に基地撤去をめざす関西連絡会」の連続学習会が開かれ、『沖縄・「密約問題」がいま問いかけるもの』と題する西山太吉さんの講演を聞きました。

 
講演する西山太吉さん

 この沖縄密約とは何でしょうか。年表風に記すと下記のようになります。
1971年6月17日 沖縄返還協定に日米調印
      6月18日 毎日新聞記者の西山太吉さんが軍用地の原状回復補償費400
            万ドルを日本が肩代わりする密約があるのではと指摘する記
            事を掲載。
1972年3月27日 衆院予算委員会で、当時社会党の横路孝弘議員が密約を示す
           外務省の極秘電文のコピーを手に質問。
      4月 4日 外務省の女性職員が電文を流出させたことを認めて自首し、
           西山さんとともに国家公務員法違反容疑で逮捕される。
      4月 5日  外務省の女性職員、懲戒免職になる。
      4月15日 東京地検が2人を起訴
      5月15日 沖縄の日本「復帰」
1974年1月31日 東京地裁が西山さんに無罪、元職員に懲役6ヶ月、執行猶予1
           年の判決。
1976年7月20日 東京高裁が西山さんに懲役4ヶ月、執行猶予1年の判決。
1978年5月31日 最高裁が上告棄却決定、有罪確定。
2000年5月     我部政明・琉球大学教授が米国立公文書館で、密約を裏付け
           るアメリカ政府公文書を発見。
2002年6月     同様に密約を示す別の米公文書を発見。
2005年4月25日 西山さんが国に損害賠償と謝罪を求めて東京地裁に提訴。
2006年2月     日米交渉を担当した吉野文六・外務省元アメリカ局長が密約
           の存在を認める。
2007年3月27日 東京地裁は所要時間10秒で、密約の存否を判断せず請求棄却。
2008年2月20日 東京高裁は所要時間5秒で控訴棄却。西山さん、上告。

 1971年5月、外務省詰めの西山記者が同省から沖縄返還協定調印直前の「愛知外相−マイヤー駐日米大使会談」など3通の極秘電信文を入手しました。この中には米側が日本に支払うべき沖縄基地復元補償費など400万ドルを日本側が肩代わりすることを前提としたやりとりが含まれ、これを西山記者は同年6月18日、「請求処理に疑惑」と報道しました。
 西山記者から極秘電文のコピーを受け取った当時社会党の横路孝弘議員は1972年3月27日、衆院予算委員会で「密約がある」と政府を追及しました。外務省はコピーの流出ルートを調査し、同省の女性職員が親しい関係にあった西山記者に渡していることが分かりました。
 警視庁は同年4月4日、西山記者と女性職員を国家公務員法違反容疑で逮捕、
東京地検が2人を起訴しました。担当は東京地検特捜部検事の佐藤道夫氏(筆者注:検察庁退官後、1995年参議院議員に当選し、2001年二院クラブから民主党に移籍、2007年の選挙には立候補せず政界引退)で、彼が起訴状に「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」と書いたことで、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山さんの私的なスキャンダルに向けさせることに成功しました。2000年5月に米国側の公文書公開で密約が明らかにされた後、2006年3月8日に放映されたテレビ朝日の『スーパーモーニング』に出演した佐藤氏は、当時を振り返って「言論の弾圧といっている世の中のインテリ、知識層、あるいはマスコミ関係者なんかにもね、ちょっと痛い目にあわせてやれ」という思いから、起訴状の文言を考えたと明かしました。この手法は功を奏し言論の自由、報道の自由の問題が男女のスキャンダルにすり変えられたのでした。これを主導した人がのちの民主党議員ですから、民主党も国家による犯罪に一役買ったと言われても仕方がないのではないでしょうか。
 東京地裁は1974年1月31日、元職員に懲役6ヶ月、西山さんには「取材行為は正当なもの」として無罪を言い渡しました。元職員は控訴せず有罪が確定しますが、西山さんは控訴し、東京高裁は1976年7月20日、一審判決を破棄、「被告の行為はそそのかしにあたる」として懲役4ヶ月、執行猶予1年の有罪判決を下しました。西山さんが上告した最高裁は1978年5月31日、「秘密文書を入手するため女性の元外務省事務官と肉体関係を持ち、依頼を拒みがたい心理状態に陥ったことに乗じ機密文書を持ち出させ」、「元事務官の尊厳を著しく蹂躙」し「到底是認できない」として上告棄却を決定、西山さんの有罪が確定しました。
 西山さんは一審判決後に毎日新聞社を退社、郷里の北九州市に戻り、親族が経営する青果物卸会社で1991年、60歳の定年まで20年近く働きました。
 ところが2000年5月、我部政明・琉球大学教授が米国立公文書館で密約を裏付けるアメリカ政府公文書を発見します。それによると、@返還土地の原状回復補償費400万ドルを日本政府が肩代わりする。A日本政府が物品・役務で負担する基地施設改善移転費6,500万ドルなどの「秘密枠」をつくる、のが密約だったことが明らかになりました。2年後の2002年6月にも密約を示す別の米公文書が発見されました。我部教授は「400万ドルを認めると、秘密のすべてを認めなければならなくなる。内部文書を突きつけられても否定し続けたのは、そうした背景があったからではないか」と語っています。
 やや横道に逸れますが、ぼくは琉球大学大学院で我部教授の講義を受けないまま修士課程を修了しました。講義は英語ですると先輩に聞いたので、大阪弁しかできないぼくは我部教授の講義をすり抜けて単位を取得しました。今にして思えば講義を取っておけば良かったと残念に思います。
 その後2005年4月25日、西山さんは国に損害賠償と謝罪を求めて東京地裁に提訴をするに至りました。2006年2月には、日米交渉を担当した吉野文六・外務省元アメリカ局長が密約の存在を認めたにもかかわらず、東京地裁(2007年3月27日)、東京高裁(2008年2月20日)ともに密約の存否を判断せず、除斥期間(権利の法定存続期間、20年)を採用し、西山さんの請求を棄却したのでした。司法が政府の密約を追認したものといえます。
 社説で、『朝日新聞』は「日米密約裁判 政府のウソはそのままか」との見出しで「裁判の焦点は、日本政府が30年以上、国会や法廷で繰り返した『密約はない』というウソを裁判所が認めるかどうかだった。東京高裁は判断を示さず、請求権がないとの法律論で門前払いした。/ 東京高裁は、一審判決と同じく、不法行為から20年がすぎると賠償を求めることができないという民法の『除斥期間』の規定をあてはめた。/ 公務員の行為に除斥期間を適用すべきなのだろうか。/ 東京高裁は政府側の証人調べも拒んだ。これでは真相解明から逃げていると批判されても仕方あるまい」(2月23日付)と書き、『沖縄タイムス』は「沖縄密約控訴審 葬っていい問題ではない」との見出しで「それにしても、返還交渉の陣頭指揮を執った元局長の『密約はあった』とする発言に全く触れないのはなぜか。/ 国民を欺いてきた事実が当事者の証言や公文書で明白なのに、司法がそれを無視するのは責任の回避と言わざるを得ず、司法への信頼を落とす」(2月21日付)と書いています。
 この密約による「秘密枠」こそ、その後1978年6月、金丸信防衛庁長官が、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部(62億円)を日本側が負担すると決めたことから始まる「思いやり予算」の原型となったものです。

 

3.大江・岩波沖縄戦裁判の判決日は3月28日(金)午前10時 大阪地裁で。
午後2時からエルおおさかで、「判決報告集会」。

 大江・岩波沖縄戦裁判の判決公判は3月28日(金)午前10時からです。傍聴を希望される方は、遅くとも午前9時20分までに大阪地裁前に集合して下さい。
 この日は午前中に裁判が終わるので、当日午後2時からエルおおさかで「『大江・岩波裁判』判決報告集会」を開きます。集会では、弁護団からの報告とともに、沖縄国際大学・安仁屋政昭名誉教授より『判決を聞いて』との講演を受けます。
 この集会にも多くの方々が参集されますよう呼びかけます。

 

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