第62号(2008年9月)

◆ 目次 ◆

1.9月9日(火)、大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審が結審。
判決は10月31日(金)午後2時より。

2.9月9日(火)夜には、公判報告集会が開かれる。
講演「オーラル・ヒストリーの力−住民証言から見える沖縄戦」を聞く。

3.9月4日(木)に靖国合祀取消訴訟の第11回口頭弁論が開かれる。
夜には高橋哲哉・東大教授の講演会が開かれる。


4.沖縄密約裁判、上告棄却。一体、この国はどうなっているのか。

 

1.9月9日(火)、大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審が結審。
判決は10月31日(金)午後2時より。

 9月9日(火)午後2時より、大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審第2回公判が大阪高裁で開かれ、194名の傍聴希望者が並びました(前回第1回公判には156名が並ぶ)。これに先立って、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会は、大阪高裁に署名を提出しました。署名は累計で23,064筆になり、大阪地裁に提出した数を約1万筆上回りました。
 この日、ぼくは抽選に当たれば、遠くから来られている方に傍聴券を譲ろうと思っていましたが、残念ながら外れでした。ですから、公判の報告は、弁護士から伺ったり、新聞記事を読んだりしたものに基づいています。
 公判で、大江・岩波側は「当時の座間味島の郵便局長が『米軍が上陸したら軍の足手まといにならないために、村の幹部は住民を玉砕させるよう軍から命令されていた』と話していた」とする、元村会議員の垣花武一さんの新証言を証拠提出しました。一方、梅澤戦隊長の命令を否定する根拠の一つとして、原告側が提出していた宮平秀幸証言は、本人のこれまでの証言内容や実母を含めた他の体験者の証言と、重要な部分で大きな食い違いがあるとして、その信用性を否定しました。
 この日、原告側・徳永信一弁護士は「世間の耳目を集める訴訟が個人の権利回復に止まらず、より大きな政治的目的を併有していることは珍しいことではない」とはっきり述べ、この裁判が政治目的でなされていることを明確にしたのでした。
 この日をもって、大阪高裁での控訴審は2回の審理で結審しました。

 
大阪地裁裏庭での報告集会

 6月6日の第1回公判の報告で、秋山弁護士が「(控訴審の)裁判官は既に膨大な資料を丹念に読み込んでいる。控訴人側に真偽をただすなど積極的な姿勢がうかがえる」と述べ、控訴人側の証人申請を却下した点は「メリハリをつけたスピーディーな判断だ」と評価し、今後の見通しについて「次回までに双方の立証の方針が出そろう。次回結審もあり得る」との見解を示した、とぼくは『沖縄通信』60号(08年7月)に書きましたが、文字通り、そのようになりました。
 一審判決を覆して、大江・岩波側逆転敗訴となる場合であれば、高裁でもっと事実審理が続くのではないでしょうか? 素人目からもそのように思います。予断は許しませんが、気を緩めることなく一審に続き高裁での勝利も確信しましょう。

 判決公判は、10月31日(金)午後2時より大阪高裁で開かれます。午後1時半から傍聴券の抽選がありますので、遅くともそれまでに大阪地裁裏庭に集合して下さい。是非、多数のみなさまの傍聴をお願いします。

 

2.9月9日(火)夜には、公判報告集会が開かれる。
講演「オーラル・ヒストリーの力−住民証言から見える沖縄戦」を聞く。

 9月9日(火)午後6時30分より、エルおおさかにおいて「公判報告集会」が開かれ、100名が参加しました。


会場風景

 集会は、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会の代表世話人である岩高 澄牧師の開会の挨拶から始まりました。


開会挨拶をする岩高 澄牧師

 つづいて、登壇した岩波書店の岡本 厚さんは「高裁での審理がこんなに早いとは思わなかった。原告側の宮平秀幸証言はほかの島民や昔の自分の証言と矛盾している。つじつま合わせのためにうそを重ねている。『この人が横で聞いていたことは知らない』と梅澤自身も言っている」と、原告側を批判しました。


岩波書店・岡本 厚さん

 公判報告に立った秋山幹男弁護士は「控訴審での成果は垣花武一証言だ。与儀九英の証言に続くものだ。宮平秀幸証言については準備書面(2)、(5)で反論した。この裁判は梅澤個人の名誉毀損ではなく、どのように軍が関与したのかを論ずる出版物は発禁とせよ!と求める裁判だった」と述べました。


公判報告をする秋山弁護士

 ぼくが教科書再訂正申請の動きについて質問したのに対して、教科書執筆者である坂本 昇さんは「教科書会社は文科省との関係をこれ以上悪化させたくないという思いがある。早めに取り組みたい。どの程度できるか現在各社で検討中だ」と答えました。


質問に答える坂本 昇さん

 休憩を挟んで、この日のメインである一橋大学名誉教授・中村正則さんの講演に移りました。中村さんは、「オーラル・ヒストリーの力−住民証言から見える沖縄戦」と題して、次のように話されました。
 私が沖縄戦研究に取り組んだきっかけは、文科省による高校日本史教科書からの「軍の強制」削除だった。検定結果が出た時、歴史家として黙っておれないと思った。また、大江・岩波沖縄戦裁判における右翼修正主義者たちの非学問的で乱暴な言説・活動に対する怒りが湧いた。例えば秦 郁彦氏が『諸君』なんかに書いているものを見て激怒した。あまりにも嘘が多すぎる。そういう人々に批判をするとすれば、@イデオロギー批判(レッテル貼り)、A内在的批判(論理矛盾を衝く)、B体系的批判の三つの形態がある。中でも「体系には体系を対置する(作品で示せ)」が批判の最高形態だ。
 今日の裁判を聞いていても、体系対体系だ。岩波の弁護士は実によく調べている。歴史の論理と裁判の論理は似ているなあと思った。
 1980年代の家永教科書裁判で、国側代理人は「オーラル・ヒストリーには市民権はない」として、『沖縄県史10 沖縄戦記録』(1974年)の信憑性を否定した。それから20年、オーラル・ヒストリーは世界的にも日本でも急速に発展し、拡大した。
 今まで黙して語らなかったおじぃ、おばぃが一斉に重い口を開いた。私の判断では、沖縄戦体験者の証言がピークに達したのは、2006〜7年である。私が沖縄戦研究に本格的に取り組んだ時期と重なる。
 軍の命令は一般的に口頭命令だ。文書によっては残らない。@ 証言者(年齢、場所、職業)によって、その内容が違う。A 重要なことは、伝令の経路は軍の統治構造と見合っているという点だ。<日本軍(→第32軍→守備隊長)→村の兵事主任→住民>という伝達経路が定まっている。この構造を見ないと、隊長命令があったかなかったかでは駄目だ。だから、住民は兵事主任からの伝言を隊長命令だと理解した。
 さらに、軍の立場に立つか民衆の立場に立つかが問題になる。曽野綾子は完全に軍の立場で聞いている。『Will』などには人格攻撃があり、人権感覚を疑う。書き方によって品性があらわれる。


講演中の中村政則さん

 座間味島の宮平春子さんの証言を聞いた。そこで、兄・盛秀が「軍の命令で自決せよ」と言われているという証言を聞いた。「『集団自決』があったことをマスコミが騒いだので、1958年に初めて知った」と梅澤裕氏が言っているといったら、宮村文子さんも「ヒエー」と言っていた。「だって、梅澤隊長は村一番の親分なんでしょう。それが知らないなんて…」と。夫の幸延氏の『詫び状』についても、「酒を飲まされ、だまされて書かされた」ものだと話した。宮里芳和さんにも会い、その後長い手紙をいただいた。「叔父さんをだまして、戦争の記録を書き換えるのは犯罪だ。絶対許せない」と書いてあった。
 渡嘉敷島の北村登美さんは「自決命令なぞ聞いていない」。吉川嘉勝さんは「アメリカ軍の上陸で、狂乱状態になった。豪雨の中、北山高地へ夢中で向かった」。金城重明さんは「米軍上陸一週間前に軍から手榴弾を手渡され、一発は敵に投げ込み、一発は玉砕(自決)用に」と命令された、と。金城さんは「家族を愛するがゆえに肉親に手をかけた」と言われた。昭和ヒト桁代は、一番「戦陣訓」の影響を受けた。証言は、このように微妙に食い違う。証言者の立場によって違う。
 従来は「集団自決」に関心が集まっていたが、赤松隊が徹底抗戦を豪語したのと違って、住民は早期の投降を願っていた。赤松隊は投降を認めず、伊江島から連れてこられた捕虜や大城教頭を殺害した。不足する食糧を強奪した。住民を守らない軍隊、天皇の軍隊の本質が露呈した。赤松隊は結局降伏し、アメリカ軍に“牧牛のように”連行されたと、渡嘉敷村役場資料に書かれている。
 最後に、この裁判について触れる。従来の手法ではこんなに証言を重視した判決はない。それが大阪地裁判決だった。裁判官もオーラル・ヒストリーを勉強している。具体性と迫真性と信用性で判決を書いている。相補性という概念で、証言のもつ信用性を語っている。今度の高裁判決も何が起こるか分からないけれど、大阪地裁判決を引き継ぎ、証言重視の判決に落ち着くんじゃないかと思っている。
 オーラル・ヒストリーは現実の社会問題に接近する武器であるとともに、闘う武器にもなる。
 概ね中村正則さんは、以上のように話されました。

 判決公判が開かれる10月31日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会は、夜6時30分よりエルおおさかにおいて「判決報告集会」を開催します。この集会にも多数ご参集ください。

 

3.9月4日(木)に靖国合祀取消訴訟の第11回口頭弁論が開かれる。
夜には高橋哲哉・東大教授の講演会が開かれる。

 9月4日(木)に大阪地裁で靖国合祀取消訴訟の第11回口頭弁論が開かれました。ぼくは、大阪市大人権問題研究センターより韓国ナヌムの家を訪れ、帰国が3日(水)の夜遅くになったので、4日の公判の傍聴には行けず、夜の「報告・講演集会」にだけ出席しました。
 この日の公判は丸一日かけ、原告の内3名の本人尋問と原告側証人尋問が次の時間配分で開かれました。

@11時〜   原告・西山俊彦さん

 
原告の西山俊彦さん

A11時30分〜 原告・釈氏(きくち)政昭さん
B13時30分〜 原告・松岡 勲さん


原告の松岡 勲さん

C14時〜   学者証人・高橋哲哉さん

  夜の「報告・講演集会」はエルおおさかで開かれました。この日のメインは、高橋哲哉・東京大学教授の講演「『靖国問題』のこれから」でした。
 高橋さんは次のように話されました。

 
講演する高橋哲哉さん

 現在、靖国問題は3度目の山場、波を迎えている。
 1回目は、1969年から75年ごろにかけての国家護持運動の時
 2回目は、1985年夏の中曽根公式参拝の時
 3回目は、2001年夏の小泉参拝から今日まで、である。
 小泉参拝により日韓、日中の首脳会談すら開けなくなり、靖国派の安倍は参拝できなかった。今日は三点についてお話したい。一点は麻生太郎の「靖国に弥栄(いやさか。ますます栄えること)あれ」について。二点目はロスジェネについて。最後に死刑制度について。
 まず、麻生太郎の「靖国に弥栄あれ」について。
 今、自民党総裁選が繰り広げられているが、候補者の中でただ一人麻生だけが靖国についての政策を出している。2006年8月8日に出されたものである。麻生はここで次のように言っている。靖国を本来の姿に戻す必要がある。靖国神社を特殊法人化し国家の管理下に置く。全国52の護国神社についても同様にする。国家のために死んだ軍人を最高の礼を持って祀る必要がある。靖国を「国立追悼施設靖国社」とする。ここに誰を祀るのか、疑義のある者については国会で論議する。ここまで整えて、初めて晴れて天皇陛下に参拝願う、というものだ。靖国神社から宗教性を抜き、名称を「靖国社」として「神」を取って曖昧にするのは、かつての自民党の靖国神社法草案要綱の焼き直しである。民主党の小沢の考えもこれと同じだ。

 
西山さんの本人尋問を担当した加島 宏弁護士

 次にロスジェネについて。
 ロストジェネレーションを略してロスジェネと呼んでいるが、バブル崩壊後の就職が厳しかった時期を差す言葉で、現在25歳から35歳くらいの年齢を言う。
 赤木智弘が『論座』2007年1月号に、『「丸山真男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争』を掲載した。彼は新たな貧困層である不安定雇用者の救済を期待すべき左派勢力がその期待に答えないとして批判し、団塊世代の正社員層の所得水準を引き下げて、その分を我々に回すべきだと主張している。
 赤木がいう「戦争になり戦死すれば、人間としての尊厳が回復する」との回路は靖国につながるものである。ここには国家に承認されたいとの思いがある。

 
松岡さんの本人尋問を担当した康 由美弁護士

 最後に死刑制度について触れる。
 これは本日の「『靖国問題』のこれから」というテーマに即していないようにも見えるが…。今、日本で死刑制度賛成は80%にのぼり、戦後最高となっている。世界で、死刑制度存置国は50カ国を切っているという時代においてである。賛成論者の理由の多くは“遺族の応報感情を満たす”というものだ。これは一方で靖国合祀が維持され、他方で死刑が維持される同一の論拠となっている。これを疑っていくことが必要だ。
 以上のような講演に続いて、質疑に移りました。ぼくは「戦中、国家神道は宗教ではないと称して、キリスト教も宮城遥拝をおこない、戦争に協力していった。ところがこの合祀取消裁判を見ても明らかなように、靖国神社は自分たちにも信教の自由があると、その宗教性を盾にしているが、この関連はどのように考えればいいのだろうか?」との趣旨の質問をしました。それに対し、高橋さんは「国民道徳と呼んでいたものが、戦後になって、靖国は宗教を前面に出して、宗教に逃げるようになった」と答えられました。

 次回第12回公判で、この靖国合祀取消訴訟も結審となります。裁判は11月25日(火)午前11時より大阪地裁202大法廷で開かれます。傍聴券の抽選がありますので、当日は午前10時までに地裁正門前に集合して下さい。多くの参集をお願いします

 

 

4.沖縄密約裁判、上告棄却。一体、この国はどうなっているのか。

 ぼくは『沖縄通信』56号(08年3月)で、沖縄密約裁判について次のように書きました。
 「沖縄返還協定の『密約』をめぐる取材過程で外務省の秘密公電を手に入れ、国家公務員法違反(秘密ろうえい教唆)で有罪判決が確定した元毎日新聞記者の西山太吉さんが、不当な起訴や、密約を否定し続ける政府側の発言などで名誉を傷つけられたとして、国に謝罪と3,300万円の損害賠償を求めた沖縄返還密約裁判の控訴審判決が2月20日(水)、東京高裁でありました。大坪丘裁判長は、西山さん敗訴の一審・東京地裁判決と同様、密約に言及せず、除斥期間(=時効)を適用して、控訴を棄却しました。西山さんは二審判決を不服として上告しました」と。
 そして9月2日(火)、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は、西山さんの上告を退ける決定をしました。これで請求を棄却した一、二審判決が確定しました。第三小法廷は「事実誤認や単なる法令違反の主張で、適法な上告理由に該当しない」としただけで、密約の存在についての判断をしないまま、裁判は終わりました。
 この決定に対して、9月5日(金)付『朝日新聞』社説は次のように書いています。
 「政府が国民にうそをつき続ける。動かぬ証拠や証言を突きつけられても、しらを切る。そんなことがこの日本でまかり通っている。/ 1972年に沖縄が日本に返還される際、日米両政府は密約を結び、本来は米側が負担するはずだった返還費用400万ドルを肩代わりした。/ この密約の存在は、後に公開された米政府の外交文書で裏付けられた。交渉にあたった当時の外務省アメリカ局長も事実を認めている」「密約を明かせば、これまで国民にうそをついていたと認めなければならない。だから、どんな証拠が出てこようと無理を承知でしらを切り続ける。そうだとすれば、国民の知る権利を政府自らが侵害していることになる」「日本への核持ち込みや朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの出撃などに関して、もっと重大な密約があることが、公開された米外交文書で明らかになっている。それも認めなければならなくなる、というわけだ」と。
 また、『沖縄タイムス』も9月4日(金)付社説で、「司法が政府の『ウソ』にお墨付きを与えてしまった」と述べています。
 「沖縄密約訴訟を考える会」世話人の田島泰彦・上智大学教授は「この国の本質に、またも司法が目を背けた。/ この裁判には、西山太吉さんの名誉回復という個人的な問題にとどまらず、国会に提示された沖縄返還協定が、本当に政府の説明通りだったのかという重大なテーマが含まれていた。密約があったということになれば、国権の最高機関で唯一の立法機関たる国会に、うそが提示されたことになる。すなわち憲法違反だ」と語っています。まさにその通りでしょう。
 一体、この国はどうなっているのでしょう。
 しかし、こうした流れに掉さす動きも起こっています。最高裁決定が下された同じ9月2日(火)に、外務、財務両省に対して沖縄返還に係わる「秘密合意議事録」など3通の行政文書の情報公開請求がなされたのです。請求した文書は、1969年12月2日付で日米財務官僚が交わした「秘密合意議事録」と1971年6月11、12両日付で日米の外交官が交わした「秘密合意書簡」の3通です。具体的文書を指定して公開請求をしたのは今回が初めてとのことです。
 請求者には筑紫哲也さんや琉球大学の我部政明教授、それに西山太吉さんら63名が名を連ねています。西山さんは「文書には日米の交渉責任者のサインがあり、存在しないと逃げることはできない。国民の主権を根本的に検証するものだ」と語っています。
 果たして、この情報公開請求に対して、外務、財務両省は、すなわち日本政府はどのような対応を取るのか、注視していきたいと思います。

 

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