第63号(2008年10月)

◆ 目次 ◆
1.来年(2009年)は、プロテスタント日本伝道150年ではなく163年です。
10月7日(火)に、講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が開かれる。


2.ジュゴン保護、IUCN(国際自然保護連合)が3度目の勧告をする。

3.大江・岩波沖縄戦裁判控訴審判決は、10月31日(金)午後2時。
夜6時より「判決報告集会」(於:エルおおさか)。ご参集ください。

4.10月13日(月・祝)、第1回沖縄大好き検定に挑戦する。

5.『沖縄通信』が、単行本で紹介される。


1.来年(2009年)は、プロテスタント日本伝道150年ではなく163年です。
10月7日(火)に、講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が開かれる。

 10月7日(火)午後6時半より、大阪教区社会委員会と沖縄交流・連帯委員会共催のもと、東梅田教会において講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が沖縄より石川教会・村椿嘉信牧師を講師に招いて開かれました。
日本基督教団は、来年2009年をプロテスタント日本伝道150年として記念行事や記念出版を企画していますが、「プロテスタント日本伝道150年」という場合の「日本」とは何を指すのでしょうか。そこには「沖縄」は含まれるのでしょうか、含まれないのでしょうか。「日本」とは、有史以来自明のものとして存在し続けてきたものなのでしょうか。このことは「日本基督教団」という場合の、「日本」とは何を指すのかという問題と密接な関係があり、合同のとらえかえしの中で問うてきたことです。


講演する村椿嘉信牧師

 ベッテルハイムが沖縄で宣教を開始してから、来年2009年で163年になります。1846年5月1日に、ベッテルハイムは当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国の那覇に上陸しました。当時の琉球王国は1609年の島津侵攻以後、幕藩体制に組み込まれていました。そして来年2009年は「島津侵攻400年」に当たります。
 ベッテルハイムの宣教により、琉球では1851年にプロテスタントの信仰を表明した者(琉球王府の役人であった崎浜秀能)が、キリシタン禁制の施策をとった江戸幕府の命令によって殉教するという事件が起きています。また、ベッテルハイムの1853年の書簡には「私は琉球人4人に洗礼を施しました。那覇で3名、首里で1名」とあります(日本基督教団「プロテスタント日本伝道150年」パンフによると、1865年に「最初の邦人受洗者が与えられる」とあるが、それよりも12年も前の出来事)。それ故、2009年を「プロテスタントが日本において伝道を開始してから150年に当たる」と見なすのではなく、「プロテスタントが琉球や日本において伝道を開始してから163年に当たる」とするのが当然です。少なくとも、1969年に当時の「沖縄キリスト教団」と旧「日本基督教団」が合同したことを前提に考えるなら、「日本宣教150年」という表現は「沖縄」を排除していることにほかならないといえます。
 ぼくは琉球大学大学院在学中、『欧米と琉球の異文化接触特論』という講義を受講しました。こんな講義は多分沖縄でしか受講できないと思います。教員は琉球大学名誉教授の照屋善彦さんでした。先生はベッテルハイム研究の第一人者です。受講生も二名だけだったので本当に家族的な雰囲気のもとで講義がおこなわれました。この講義で『琉球におけるペリーとベッテルハイム』、『ベッテルハイムの伝道と聖書和訳』、『英宣教師ベッテルハイムの琉球観』、『19世紀琉球の風俗−欧米人の見聞録−』『欧米人の琉球観−19世紀初期と中期−』、『琉球に於けるキリスト教の布教と中国−1840〜1860年代−』、『19世紀琉球における欧米との異文化接触』など、先生の論文を学びました。
 現在、沖縄教区議長である村椿嘉信牧師は、沖縄教区の見解として、2009年に、長崎や横浜のキリスト者が自分たちの地域の「宣教150年」を覚え「記念行事」を行うことは理解できるが、@沖縄教区の私たちにとっては「150年」ではない。A特定地域の記念行事を「日本」全体のこととして覚えることは、別の地域を切り捨てることにもなり、おかしなことだ。Bキリスト教の日本への宣教が、さまざまな経緯をたどって為されたことを想い起こす時、そもそも「150年」というように歴史を区切る必要があるのか。大切なことは、ていねいな歴史の検証であり、過去の事実を踏まえつつ、未来に創造的に関わることだ。と10月2日付沖縄教区議長から各教区議長宛文書で述べていますが、まさしくその通りだと思います。
 講演の最後に、村椿牧師は、琉球は「日本」だったのか?との問いに対して、「その当時の琉球は日本ではなかった」が、T.しかし、現在は日本の一部なのだから、琉球の歴史も日本史の一部として考えるべきである、との見解が導きだされる。下図のTである。
 これは、起源は複数(AもBもCも日本の起源)ということである。

 

 一方、U.当時の琉球は日本の外部にあったのだから、琉球の歴史は日本史の一部として考える必要はない、との見解がある。下図のUである。流入・同化であって本流は何も変わらないのだ。
 これは、起源は一つであると考える「建国神話」に基づくイデオロギーである、とまとめられました。

 

 ところで、合同問題を考えて見ましょう。Tは、現在は日本基督教団の一部なのだから、沖縄キリスト教団の歴史も日本基督教団史の一部として考えるべきである、となります。Uは、当時の沖縄キリスト教団は日本基督教団の外部にあったのだから、沖縄キリスト教団の歴史は日本基督教団史の一部として考える必要はない、となります。どちらの考えがまともかは自明のことです。

 

2.ジュゴン保護、IUCN(国際自然保護連合)が3度目の勧告をする。

 スペインのバルセロナで開かれていた国際自然保護連合(IUCN)総会は10月14日(火)、国の天然記念物で辺野古沖にも生息するジュゴンの保護を求める勧告案を賛成258、反対9の賛成多数で採択しました。「勧告は3度目で、同一生物では極めて異例。日米両政府は棄権した」と10月15日付『沖縄タイムス』は報じています。
 ジュゴン保護について、ぼくは『沖縄通信 20号』(2004年12月)で、次のように報告しました。
 「バンコクで開かれた世界最大の自然保護団体、国際自然保護連合(IUCN)の総会、世界自然保護会議は11月25日(木)、米軍普天間飛行場の移設をめぐり、ジュゴンなど希少野生生物保護と環境影響評価(アセスメント)の見直しを日米両政府に求める勧告案を採択しました。これは『2000年の前回会議に続く異例の再勧告』(『沖縄タイムス』2004年11月25日夕刊)です。
 国際自然保護連合(IUCN)は1948年に設立され、79カ国、112の政府機関、807の自然保護団体、約1万人の科学者らでつくる世界最大の国際自然保護団体で、本部はスイスにあります。
 総会の世界自然保護会議で採択される勧告は、国際条約に等しい価値を持つとされます。日本政府への再勧告は、石垣島白保のサンゴ保全勧告に続き2例目で、新石垣空港は再勧告後、建設場所が変更されました。
 採択された勧告は、ジュゴンなどについて『絶滅の危機がさらに進んでいる』と指摘した上で、日本政府に対し@米軍施設の建設計画撤回も含めた代替案の検討、A希少野生生物の保全計画作成 ―を要求、米政府には、野生生物保護の観点から日本政府と協議することなどを求めている内容となっています」と。

 
第219回「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」での筆者

 今回の勧告は、これに継ぐものです。2010年の国連「国際生物多様性年」でジュゴン保護の推進や、辺野古基地建設で日米共同の環境影響評価実施を求めるなど、従来より踏み込んだ内容となっています。中でも、「国際生物多様性年」の節目に行われる生物多様性条約第10回締約国会議は日本で開催されるため、議長国としての姿勢が問われるのは必至」(『沖縄タイムス』10月15日付)です。
 10月16日付『沖縄タイムス』「社説」は「最後通告だと考えたい」との見出しで、「前回採択の際、IUCNは提案理由を『その後の対策が十分に進んでいない』としていた。今回の勧告は現在でも日本政府の対応は鈍いという批判と受け止めたい」、「環境影響評価法(アセス)に基づく手続きで、事業主体の防衛省の調査は修正を余儀なくされている。勧告で日米両政府の共同による調査を求めていることは画期的だ」、「勧告が指摘する『すべての選択肢』とは、仮にジュゴンが生息する環境への一定の負荷が避けられないなら、基地建設計画そのものの見直しも視野に入れるべきだということだ」と述べています。
 IUCN総会に参加するためバルセロナに行った女性から、次のようなメールが届きました。
 「自然保護フォーラムの数あるブースの中で、私たちのブースはとっても目立っていました。たくさんの方にメッセージを書いてもらったバナーや沖縄の青く美しい写真やじゅごんの写真 また、活動・情報なども展示しました。じゅごん折り紙で飾りつけをし、じゅごんの販売グッズも並べてとっても楽しい感じでした。
 ブースの前を通る人は、笑顔で眺めていました。『キュート!』、『カラフル、ベリーナイス』、『ベリー、アクティブ』などなど賞賛のあらし♪ 署名もどんどん集まる!集まる! なんと約4日間で95カ国1,715筆もあつまりました。
 じゅごんの保護、沖縄・辺野古の新基地建設ストップなど精一杯伝えました。英語力がないところは、笑顔でにっこり。いろんな国の人たちと笑顔をかわすことができました。
 会場入口の前の広場では、じゅごんパフォーマンス♪ じゅごんダンス&エイサーは注目度抜群! みなさん写真をパチパチ撮り始め、一緒に撮影する人もたくさん。その合間で紅型衣装を着た署名隊が活躍! たくさん集まりました。
 もう一つ! 折り紙じゅごんのパワーはすごかった。署名してくださった方に折り紙じゅごんをプレゼント。みなさん、OH!ととっても嬉しそうに喜んでくれました。「息子のお土産にするよ!」と丁寧にお財布に入れていた人もいました。折り方を教わっていた人もいました。そして、今回の入場証(首にかけるやつ)のケースに折り紙じゅごんを入れてもらったのです。たくさんの人の入場証にじゅごんちゃんが。署名をした人は、私たちをみかけるとじゅごん入り入場証をかざして、『署名したよ〜』とニコッ♪ 会場中にじゅごんパワーがあふれていた感じです。
 私たちの楽しげなアクションを歓迎してくれている!って感じてとても嬉しかったです。きっときっとそんなジュゴンパワーが功を奏して本会議での勧告案が採択されたー!!と嬉しい気持ちで一杯です。
 国際会議に参加するのはすごく久しぶりでしたが、いろんな国の人たちと笑顔をかわして思いを共有できる、そんな場で素敵でした」と。このように臨場感あふれるメールを寄こして下さったのでした。
 この勧告を生かして、辺野古新基地建設阻止の力をさらに大きくしていきましょう。

 

3.大江・岩波沖縄戦裁判控訴審判決は、10月31日(金)午後2時。
夜6時より「判決報告集会」(於:エルおおさか)。ご参集ください。

 大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決は、10月31日(金)午後2時より大阪高裁で開かれます。午後1時半から傍聴券の抽選がありますので、遅くともそれまでに大阪地裁裏庭に集合して下さい。是非、多数のみなさまの傍聴をお願いします。
 また、同日夜6時より(毎回午後6時30分開会ですが今回は午後6時からです。お間違えのないようにして下さい)「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」は、「沖縄戦の歴史わい曲を許さず沖縄から平和教育をすすめる会」(沖縄)、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄戦の真実を広める首都圏の会」(首都圏)とともに、エルおおさかにおいて「判決報告集会」を開きます。集会では弁護団からの裁判報告を始め、平良宗潤さん(沖縄歴史教育者協議会委員長)から「高裁判決を聞いて」と宮城晴美さん(女性史研究家)から「『母の遺したもの』の著者として」と題する二つの講演を受けます。この集会にも多数ご参集ください。

 

4.10月13日(月・祝)、第1回沖縄大好き検定に挑戦する。

 10月13日(月)に第1回沖縄大好き検定が行われ、受験してきました。当初は“ミーハーものでは?”との思いも多少あって、このことは連れ合い以外には教会員の方お一人に話しただけでした。
 検定は3級と2級の2種類あり、制限時間は各60分、問題形式は全100問のマークシート4者択一方式で、3級は70問以上、2級は80問以上の正答で合格です。検定料は3級が4,000円、2級が5,000円ですから決して安くはありません。3級が午前、2級が午後に行われるので両方を受験することも可能ですが、すべったら格好悪いので、ぼくは3級のみを受けました。『公式ガイドブック』(ぴあ、2,100円)も出版されています。
 下記がHPにアップされていた練習問題ですが、この程度なら難なく合格するだろうと、ぼくは高を括っていました。

1.沖縄県の人口は?
@7万人 A37万人 B67万人 C137万人
2.沖縄本島の面積は?
@東京都の五分の一 A東京都の三分の一 B東京都の半分 C東京都の二倍
3.那覇市の年間平均気温は?
@18.4度 A22.4度 B30.4度 C32.4度
4.沖縄の県花は?
@デイゴ Aユウナ Bハイビスカス Cブーゲンビリア
5.沖縄の県魚は?
@アオブダイ Aマチ Bグルクン(タカサゴ) Cアバサー(ハリセンボン)
6.沖縄で一番高い山は何m?
@238m A526m B826m C1,247m
7.米軍基地が沖縄本島に占める割合は?
@1.80 A5.85 B10.80 C18.80
8.泡盛の原料は?
@麦 Aタイ米 B芋 Cサトウキビ
9.方言でメンソーレの意味は?
@いらっしゃいませ Aさようなら Bありがとう C好きです
10.沖縄県庁はどこにある?
@沖縄市 A名護市 B石垣市 C那覇市
(正解は、1.C 2.B 3.A 4.@ 5.B 6.A 7.C 8.A 9.@
10.C です)

 
沖縄「大好き検定」公式ガイドブック

 ところが、3級といえども大変難しい問題でした。HPに載っていた練習問題レベルではありません。沖縄大好き検定委員会のメンバーが、委員長:尚 弘子(琉球大学名誉教授)、委員:石川秀雄(元沖縄県副知事)、湖城英知(沖縄海邦銀行相談役)、田名真之(沖縄国際大学教授)、名嘉睦稔(版画家)という面々からしても、決して“ミーハーもの”ではなかったのです。名嘉睦稔さんは有名な版画家です。田名真之さんについて、『沖縄通信 24号』(2005年4月)で次のように報告しています。3月20日(日)から浦添市美術館で『海のシルクロードから琉球王国へ 琉球−中国・福建交流500年展』が開催され、「この500年展を記念して、3月26日(土)に『琉球−中国・福建交流史 −最新の研究成果−』というシンポジウムが開かれました。これには田名(だな)真之・那覇市歴史資料室長(4月より県立芸術大学教授)をコーディネーターに、沖縄側より小熊 誠・沖縄国際大学教授、安里 進・浦添市教育委員会文化部長、豊見山和行・琉球大学教授が、中国・福建省側より王 連茂・泉州海外交通史博物館館長、謝 必震・福建師範大学教授がパネラーとして出席しました。どのパネラーもその分野の第一人者ばかりです。そのこともあって300名を超える参加がありました」と。田名真之さんは那覇市歴史資料室長を辞めて2005年4月より県立芸術大学教授となり、現在は沖縄国際大学教授です。こうした方々が沖縄大好き検定委員会のメンバーだったのです。
 さて、10月13日(月)当日は那覇で800人、東京で300人、大阪で100人の計1,200人が受験しました。大阪の会場は寝屋川市にある電気通信大学です。政治、歴史、思想分野の問題は得意ですが、美術工芸、芸能、民謡、食という分野については分からないものが多く、ぼくの沖縄理解がどれだけ片寄ったものであるのかが、ここからもうかがい知ることができました。100問を60分で解かねばならないので、1問を30秒でしてもそれだけで50分かかります。100問中、完璧に出来たのは46〜7問だったので、多分合格していないだろうと思います。
 100問中52問は覚えているので、以下に載せます。残り48問は問題すら覚えていず、これは全く正答が分からなかったということと同じです。問題用紙も回収されましたので、これは貴重なものです(笑)。
下記の問題についての注意点は、
1.この順番で出題されたのではない。
2.問題の記述はこの通りであったのではない。
3.正解の一つは正しい記述だが、残り三つはそうだったかどうかは分からない、ということです。
では、挑戦して下さい。

1.2000年沖縄サミット開催の時の日本の総理大臣は誰か。
@小渕恵三 A橋本龍太郎 B森喜朗 C村山富市
2.沖縄戦において、「沖縄県民カク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ナ御高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を打って自決した軍人は誰か。
@大田実 A長 勇 B牛島満 C八原博道
3.米軍の沖縄侵攻必至という緊迫した戦況下、戦前最後の沖縄県知事は誰か。
@島田叡 A鍋島直彬 B上杉茂憲 C奈良原繁
4.沖縄県は国土面積の何パーセントを占めるか。
@0.3% A0.6% B1% C2%
5.『おもろさうし』は、次のどれを主体に表記されているか。
@カタカナ Aひらがな Bひらがなと漢字 C漢字
6.沖縄県内の離島架橋で最も長い橋はどれか。
@池間大橋 A来間大橋 B古宇利大橋 C瀬底大橋
7.沖縄中部にある行政区の「北谷」の読み方は。
@きたたに Aにしたに Bきたや Cちゃたん
8.沖縄県が日本と分離したのは次のどれによるか。
@カイロ宣言 Aポツダム宣言 Bサンフランシスコ講和条約 C日米安保条約
9.沖縄県の一番北にある島はどれか。
@伊平屋島 A伊是名島 B与論島 C北大東島
10.沖縄県唯一の活火山島はどれか。
@久米島 A石垣島 B黒島 C硫黄鳥島
11.1970年代後半、沖縄ホップを立ち上げ「ハイサイおじさん」を歌った歌手は誰か。
@知名定男、A喜納昌吉 B夏川りみ C安室奈美恵
12.沖縄料理の大切な材料だが、沖縄で産出されないものはどれか。
@昆布 Aアーサ Bモーイ Cもずく
13.普天間基地の代替として建設されようとしているキャンプ・シュワーブ沖はどこにあるか。
@名護市 A金武町 B宜野座村 C東村
14.移民の父と呼ばれている當山久三の出身地はどこか。
@名護市 A金武町 B宜野座村 C東村
15.1957年から復帰まで、米軍の沖縄統治の最高責任者は誰か。
@海軍司令官 A陸軍司令官 B高等弁務官 Cアメリカ大統領
16.沖縄が日本に復帰したのは何年か。
@1945年 A1952年 B1972年 C1975年
17.最後の琉球国王・尚泰の四男で、沖縄三筆の一人に数えられ、博覧強記の人と呼ばれたのは誰か。
@尚寅 A尚順 B尚徳 C尚寧
18.参政権獲得運動を展開した沖縄倶楽部が発行した機関誌の名前は。
@沖縄時論 A沖縄公論 B公同時論 C公同公論
19.1882年に第1回県費留学生に選ばれ、その後「極端に云ヘばクシャミすることまでも他府県人の通りすると云うあり」と言った人は誰か。
@高嶺朝教 A伊波普猷 B太田朝敷 C謝花昇
20.1967年、八重瀬町で発見された化石人骨は何というか。
@ピンザアブ人 A山下洞人 B大山人 C港川人
21.英祖王統初代の王・英祖は次のどの伝説に当たるか。
@源為朝の子である。
A母親が太陽の夢を見て懐妊した。
B男が天女の羽衣を盗み、帰れなくなった彼女と結婚して出来た子である。
C天帝の命をうけた阿摩美久という神が下界におりてきて住まわせた。
22.琉球政府の初代主席は誰か。
@志喜屋孝信 A平良辰雄 B比嘉秀平 C屋良朝苗
23.戦後、沖縄で最初に発行された新聞は何か。
@琉球新報 Aうるま新報 B南西新報 C南西日報
24.米軍人・軍属が飲食店に立ち入っても良いという許可証を何というか。
@Aサイン ABサイン BGサイン CVサイン
25.1956年、米国軍事委員会が行った沖縄に関する調査報告書は何というか。
@シーツ勧告 Aプライス勧告 Bオフリミッツ勧告 Cキャラウェイ勧告
26.1945年、沖縄に上陸した米海軍政府が最初に出した布告を何というか。
@マッカーサー布告 Aミニッツ布告 Bニミッツ布告 Cペルー布告
27.沖縄県に、日本に駐留する米軍の専用施設のどれくらいを占めるか。
@2割ほど A4割ほど B7割ほど C9割ほど
28.沖縄県の最南端の島はどれか。
@与那国島 A波照間島 B西表島 C新城島
29.オヤケアカハチの乱が起きたのは何年か。
@1458年 A1466年 B1500年 C1609年
30.第二尚氏初代の王・尚円の出身地はどこか。
@粟国島 A新城島 B伊平屋島 C伊是名島
31.『おもろさうし』が完成したのは何年か。
@1531年 A1613年 B1623年 C1637年
32.八重山の新城島で焼かれていた土器を何というか。
@パナリ焼 A喜名焼 B湧田焼 C荒焼
33.漆器を中心に美術工芸を担当した琉球王府の役所を何というか。
@申口 A物奉行所 B貝摺奉行所 C在番奉行所
34.目取真俊が芥川賞を受賞した作品の名前は。
@カクテルパーティー A豚の報い Bオキナワの少年 C水滴
35.型紙と筒描きに分けられる染物はどれか。
@藍型 A紅型 B朧型 C紅房
36.沖縄都市モノレールの愛称は何というか。
@はいさいレール Aはぶレール Bりゅうレール Cゆいレール
37.沖縄にある世界最大級の大水槽を持つ水族館の名前は。
@沖縄国際海洋博記念水族館 A沖縄ちゅら海水族館 B沖縄チュラ海水族館
C沖縄美ら海水族館
38.三山を統一した時の王は誰か。
@尚巴志 A察度 B尚泰久 C英祖
39.薩摩の支配下に置かれた琉球が、国王の代替わりや将軍の代替わりに使者を派遣し
たのを何上りというか。
@京上り A鎌倉上り B江戸上り C浪速上り
40.沖縄の伝統的な民家に見られる衝立状の前隠しはどれか。
@アシャギ Aカー Bジョー Cヒンプン
41.沖縄県の県木は何か。
@アカギ Aガジュマル Bフクギ Cリュウキュウマツ
42.米軍配給の缶詰の空き缶を胴に使った三線は何というか。
@カンカラ三線 Aカラカン三線 B胴三線 Cアメリカ三線
43.首里王府の実質的な行政の最高責任者を何というか。
@三司官 A親分 B摂政 C冊封使
44.これまでの間切・島が町村に、村が字にあらためられた1908年の制度を何というか。
@沖縄県間切島制 A特別町村制 B五郡二区制 C沖縄県及島嶼町村制
45.中国から琉球に持ち込まれ、青木昆陽によって全国に広められたものは何か。
@サトウキビ Aサツマイモ Bぼたんぼうふう C島にんじん
46.(宮古島の地図を示し)この島はどれか。
@石垣島 A西表島 B宮古島 C久米島
47.豆腐ように似た舌ざわりといわれるものはどれですか。
@揚げ豆腐 Aカステラかまぼこ Bチーズ C羊羹
48.次のうち、豆腐でないのはどれか。
@豆腐よう Aゆし豆腐 Bルクジュー C薫餅
49.清明祭の時に出す伝統的な料理は何か。
@重詰め料理 A清明料理 Bウチナー料理 C琉球料理
50.ゴーヤー、キャベツ、しまらっきょうなど季節の野菜と豆腐を取り合わせた炒め物を何というか。
@ジューシー Aンブシー Bイリチー Cチャンプルー
51.琉球王国時代、ハチマチという位階をあらわすための装身具はどれですか。
@帯 A冠 B簪 C刀
52.味噌仕立ての汁物はどれですか。
@アーサのお汁 Aイナムドッチ Bイラブーシンジ Cソーキ汁
(正解は、 1.B 2.@ 3.@ 4.A 5.A 6.B 7.C 8.B 9.@ 10.C 11.A 12.@ 13.@ 14.A 15.B 16.B 17.A 18.@  19.B 20.C 21.A 22.B 23.A 24.@ 25.A 26.B 27.B 28.A 29.B 30.C 31.B 32.@ 33.B 34.C 35.A 36.C  37.C 38.@ 39.B 40.C 41.C 42.@ 43.@ 44.C 45.A 46.B 47.B 48.C 49.@ 50.C 51.A 52.A です)

 6.は、『沖縄通信 16号』(2004年8月)で次のように書きました。ぼくは古宇利島と屋我地島を訪れていたので、この問題は解けたのでした。
 「古宇利島(人口約350人)と屋我地島(人口約2,500人)は向かい合っているのですが、古宇利島は今帰仁村(なきじんそん)で屋我地島は名護市です。屋我地島は奥武島(おうしま)との間に架かる、全長300mの屋我地大橋によって沖縄島とつながっていますが、古宇利島には運天港から船で行きます。所要時間約10分で、1日5便が往復しています。来春(2005年春)には古宇利島と屋我地島を結ぶ、全長1,960mの離島架橋で最長となる古宇利大橋が完成し、古宇利島も沖縄島とつながることになります」と。
 多分合格していないだろうと思いますが、11月下旬に合否の結果が分かりますので、『沖縄通信』12月号で報告できるでしょう。

 

5.『沖縄通信』が、単行本で紹介される。

 現在、社会評論社より『沖縄・問いを立てる』全6巻のシリーズが発刊され、3巻まで発売されています。テーマは、
 第1巻 沖縄に向き合う−まなざしと方法
 第2巻 方言札−ことばと身体
 第3巻 攪乱する島−ジェンダー的視点、です。
 『第3巻 攪乱する島−ジェンダー的視点』で、阿部小涼・琉球大学准教授が『「集団自決」をめぐる証言の領域と行為遂行』を書いています。実は阿部さんとは因縁があるのです。ぼくが琉球大学大学院に在学していた2003年から2005年に、ちょうど阿部さんはコスタリカの研究で2年間留学中でした。そのため受講したいと思っていた阿部さんの講義を取れないまま大学院を修了したのでした。この論文の中で、阿部さんが『沖縄通信』を紹介して、次のように書いています。
 「法廷における論争の状況を掌握するための文献資料は、新聞報道などを除けば、係争中の現段階においては、当事者双方とその支援者による独自の発表というかたちで入手可能となる。原告側については、『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』がウェブサイトで準備書面などを公開している(アドレス表記)。被告側については『大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会』が2006年6月に結成され、準備書面、傍聴記録、陳述書など資料が同名のサイトで公開されている。また、支援者のひとりによる手記は以下にあり、初発の状況について首尾良く整理されている。西浜楢和『2.大江・岩波裁判とは…』『沖縄通信』33号 2006年3月(アドレス表記)。日本基督教団西大和教会サイト内に設けられたこの『沖縄通信』(アドレス表記)は以後も継続して裁判についての報告をまとめている」(67ページ)と。
 このように『沖縄通信』が活用されているのを知ることは、とても嬉しいことです。


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