第64号(2008年11月)

◆ 目次 ◆
1.10月31日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判控訴審判決が出る。
控訴が棄却され、ふたたび大江・岩波側が勝利する。一審判決より踏みこんだ内容。

2.判決が出た夜、会場を超満員にして「報告集会」が開かれる。

3.10月21日(火)〜23日(木)、第36回日本基督教団総会を傍聴する。

4.国連が琉球民族を先住民と勧告する。

 

1.10月31日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判控訴審判決が出る。
控訴が棄却され、ふたたび大江・岩波側が勝利する。一審判決より踏みこんだ内容。

 10月31日(金)、大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決で、大阪高裁(小田耕治裁判長)は控訴を棄却しました。一審の地裁に続き大江・岩波側がふたたび勝訴しました。この日、65の傍聴席を求めて281人が並びました。ぼくは幸いにも抽選に当たりましたが、裁判所というところに生れて初めて来たという教会員に傍聴券を譲りました。


「大江・岩波勝訴 控訴棄却」の垂れ幕

 判決で、小田耕治裁判長は、座間味島や渡嘉敷島の「集団自決」について「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で、日本軍の深いかかわりは否定できず、日本軍の強制・命令と評価する見解もあり得ると指摘しました。ここで裁判長は、戦隊長による住民への直接命令について「証するに足りる的確な証拠はないのが素直」とする一方で、「なかったかと断定できるかといえば、それもできない」として、一審判決が暗示していた直接命令の可能性をより明確に摘示した点が特筆されます。
 証拠に対する判断では、原告・梅澤 裕戦隊長が「集団自決」のための弾薬を求めた村の幹部らに「決して自決するでない」などと述べたとする主張の信用性を全面否定し、「到底採用できない」と退けました。原告側が梅澤命令説を否定する証拠と位置付けた、座間味島住民の「新証言」についても「明らかに虚言と断じざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」としました。ここで裁判長は、名指しこそ避けたものの、藤岡意見書や『正論』、『Will』などを一蹴しているのです。隊長命令が援護法適用のためのねつ造だったとする主張も退け、渡嘉敷島住民のために、戦隊長命令を創作したとする元琉球政府職員の証言も、一審に続いて信用性を否定しました。
 その上で、米軍上陸の際は捕虜にならず、玉砕するという日本軍の方針があれば、部隊長が玉砕を指示することは避けられず、軍隊組織であればそれは命令を意味すると述べています。
 また、小田裁判長は名誉毀損と出版の差し止めをめぐる新たな司法判断を示しました。書籍発刊当時、その記述に真実性や真実相当性が認められるのであれば、その後、時が経って新しい資料が見つかり、その真実性が揺らいだ場合であっても、出版の継続が直ちに違法になると解することはできない、というものです。著者が常に新しい資料の出現に意を払い続けなければならないとしたら、そのような負担は言論を萎縮させることにつながる、と指摘し、ある主張に対し、別の資料や論拠に基づく批判、再批判が繰り返されて「その時代の大方の意見」がつくられ、それが時代を超えて再び批判されていく−という過程を保障することが「民主主義社会の基盤だ」と述べています。
 総じて、この判決は一審判決をより踏みこんだ内容であると言えます。


判決後、記者会見する支援連絡会代表世話人の岩高牧師

 ところで、原告側は控訴審が始まった第1回公判(2008年6月25日)の段階では、自らのホームページで小田裁判長を次のように持ち上げていました。「地裁のときと違って、裁判官はすでに提出された各種書類、証拠を徹底的に読み込んでいる事が双方弁護団への質問で直ぐに分かりました。当方の控訴理由書の記述の修正済みのものについて、更に誤記を指摘されたり、また梅澤さん関連で提出している証拠について、1枚目と2枚目の行数が違うのはなぜかと言うような、非常に細かいところまで、真剣に読み込み、調べ尽くしている事が分かりました。これは当方にとって大変有利な状況であると言えます。当方が求めているのは厳正な審理であるからです。地裁では裁判官が本当に当方が精魂こめて作った書証を読んでくれたのかと、疑わざるを得ない点が多々ありましたが、今回の情況は、当方が地裁に提出したすべての証拠を、高裁の裁判官はきっちり読んでくれていると確信できるものでした」(これとて、「精魂こめて作った書証」が「修正済み」でもなお「誤記」があり、「1枚目と2枚目の行数が違う」ものは「証拠」にもならない、という杜撰な代物であることを自ら暴露したに過ぎないのですが…)と。
 ところが、高裁判決が下ったあとの同じホームページでは、「このような下品な表現で、批判したいと思いません」と言いつつ、「この裁判官にしても、『考え得る限りの良心の偽装によって自身の欺瞞に目を閉ざし続けてきた男』とか、『最大級の偽善者』などといくら書かれても、また『羞恥心の欠片すらあれば、受け取るはずのない種類の精神的で、かつ結果的には物的な支援を、ある特定の勢力から受け続けていると疑わざるを得ないその男』とか、『自身の内奥にその心の動きを密かに隠したままで、特定の反日勢力と結びつき、その実体は売国奴であった事が今後明らかになって来るであろうその裁判官』」、などと罵倒するありさまです。

 この日、ベルリン滞在中のため大阪高裁に来ることのできなかった大江健三郎氏から、次のようなコメントが寄せられました。
 ベルリン自由大学での講義のためにベルリンに滞在しており、判決を直接聞くことができませんでした。いま、私たちの主張が認められたことを喜びます。
 私が38年前にこの『沖縄ノート』を書いたのは、日本の近代化の歴史において、沖縄の人々が荷わされた多様な犠牲を認識し、その責任をあきらかに自覚するために、でした。沖縄戦で渡嘉敷島・座間味島で七百人の島民が、軍の関与によって(私はそれを、次つぎに示された新しい証言をつうじて限りなく強制に近い関与と考えています)集団死をとげたことは、沖縄の人々の犠牲の典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。
 私のこの裁判に向けての基本態度は、いまも読み続けられている『沖縄ノート』を守る、という一作家のねがいです。原告側は、裁判の政治的目的を明言しています。それは「国に殉ずる死」「美しい尊厳死」と、この悲惨な犠牲を言いくるめナショナルな氣運を復興させることです。
 私はそれと戦うことを、もう残り少ない人生の時、また作家としての仕事の、中心におく所存です。

 

2.判決が出た夜、会場を超満員にして「報告集会」が開かれる。

 この日夜6時より「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」は、「沖縄戦の歴史わい曲を許さず沖縄から平和教育をすすめる会」(沖縄)、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄戦の真実を広める首都圏の会」(首都圏)とともに、会場を超満員とする中、エルおおさかで「判決報告集会」を開きました。


超満員の会場

 開会挨拶に続いて、3人の弁護士から控訴審判決の報告を受けました。近藤卓史弁護士は「(裁判官は)事実についても細かく見ていた。理論的にも大変いい判決」と評価し、秋山幹男弁護士は「本当にホッとしている。いったん出版を許されたものを、反対意見が出てきたからといって、出版を差し止めなければいけないのか悩んだ。判決は理論的にも進化させてくれ、全く新しい判断が示された。最高裁の判断がどうなるか、重要な裁判となってきた。更なる支援をお願いしたい」と述べました。


判決の報告をする秋山幹男弁護士

 次に、この日のメインである講演に移りました。講演は二つあり、平良宗潤・沖縄県歴教協委員長より『高裁判決の意義』を、宮城晴美さんより『「母の遺したもの」の著者として』を受けました。
 平良宗潤さんは次のように話されました。
 私自身がとらえた判決の意義を3つ上げてみる。
 一つは裁判の争点は軍の関与だったが、それにとどまらない軍命、隊長命令によって「集団自決」が起こったとする住民の側の証言とこれを否定する戦隊長の証言のいずれが真実であったかが問われた裁判だ。その意味で日本軍の関与を一層明確にした。その有無については断定することはできないとしつつ、総体として日本軍の強制・命令と評価する見解もあり得ると言っている。
 二つ目は、新たな軍命令説を否定する控訴人側の主張はすべて退けられた。特に宮平秀幸証言とそれの辻褄あわせで出された藤岡意見書も採用されなかった。宮平陳述書が17ページに対して藤岡意見書は60ページに及んでいる。正しく黒子が黒衣を脱いで役者に代わってしゃべり始めたというか、猿回しが猿に代わって踊り始めたということだ。藤岡意見書こそ裁判を仕掛けたのが誰であるのかを明確にした。こういう準備書面などを見ていると判決で「虚言である」と断定されたことの意味がもっとよく分かってくる。
 三つ目。教科書検定と一体となった、改憲と戦争へつながる歴史偽装の企みを打ち砕いたと思う。彼らの野望を未然に防ぎ、これから続くであろう攻撃に対して一定の歯止めができた。
 教科書検定によって教科書から命令・強制が削除されたことは訴訟目的の一つを達成したと原告側が述べていることを考えると、裁判の中心は教科書問題であったと思う。この裁判は沖縄の真実、沖縄戦の真実をゆがめようとする人々、教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民に敵対する人々、日米同盟を維持し、改憲と自衛軍の創設を目指す政府に呼応して、愛国心教育により軍隊と戦争に進んで協力する国民づくりを進めようとする人々によって起こされた。この訴訟が戦隊長らの名誉回復にあるのではなく、教科書を書き換え、国民の歴史認識を作り変えようとすることにあったことは明らかだ。
 ところで、問題の慶良間島ではどういう戦闘が行われていたのか。渡嘉敷、座間味、阿嘉島で住民に自決を命じたとされる戦隊長はいずれも生き残っている。戦陣訓を守るべき軍人が投降して命を永らえ、軍隊に守られるべき住民が命を奪われた。このことが正しく天皇の軍隊が住民を守らなかったことの確かな証拠だ。「集団自決」が起こったことそのことが沖縄戦の一つの教訓として「軍隊は住民を守らない」ということを示している。


講演する平良宗潤さん

 宮城晴美さんは次のように話されました。
 今日来たのはもちろん判決を聞きたかったからだが、何より皆さんにお礼を申し上げたくて来た。ありがとうございました。
 私は、今回の判決に非常に危機感を持っていた。何故かと言うと、もし嘘つきの、おじである宮平秀幸の証言が通れば、座間味の人たちが証言してきたことがうそだったということになる、あるいは第三者の藤岡さんが入り込んできて、一人の人間の証言を合作して、捏造したことが認められることになることは、私たちがこれまでずっと活動してきてやっと話してくれた人たちの証言を信用できないといわれてしまうからだ。そういう意味で、今回の勝訴は私にとって非常に重い意味を持つものだ。
私は今日の判決をきっかけに今日から出発しないといけないと思っている。気持ちをリセットしている。それは、やはり確かに一審も二審も勝ったけれど、上告審はどうなるか分からない。法廷を離れたところで、藤岡さんや宮平さんの行動、教科書が顕著だが、今後必ず出てくる攻撃、それに対して私たちはどうしなければいけないかを考える必要があると思う。
 みなさん、機会があれば座間味に行ってほしい。渡嘉敷でもいい。実際に島の人の声を聞いてほしい。これまで戦後60年余りずっと心に体にも傷を負いながらここまで生きてきた島の人たちの声をぜひ聞いてほしい。彼女たちが言わんとしていることがなんなのか、体験したことがなんなのか、直接聞くということは継承していく意味で大きい。
 教科書検定の問題では、昨年大勢の方が集まってくださった。座間味、渡嘉敷の人にとって大きな励ましになった。特殊な体験なので、人に話をしても分からないだろうと自分たちを自分たちで劣等化していたところがあった。分かってくれないと思っていた沖縄本島の人たちがあれだけたくさん集まってくれたことで、島の人をすごく励ましたと思う。
 上告審でも今日と同じような判決が出てほしいと思う。今日は私にとって新たな一日だった。これからももっと真剣に戦争の問題を考えていきたい。


講演する宮城晴美さん

 心に沁みるお二人のお話を聞き、集会参加者全員で最高裁でのみたびの勝利を誓い合いました。
 第2部は、場所を変えて交流会に移りました。50名を越える参加があり、みなさんと共に美酒に酔ったのでした。

 

3.10月21日(火)〜23日(木)、第36回日本基督教団総会を傍聴する。

 10月21日(火)〜23日(木)、東京・ホテルメトロポリタンで開かれた第36回日本基督教団総会を傍聴してきました。2002年の第33回教団総会で合同関連議案が時間切れ審議未了廃案となり、それに抗議して沖縄教区が「教団と距離を置く」ことを決めてから、34回、35回、36回と沖縄教区不在の総会はこれで3回目(6年目)となります。この状態を異常だと思わねばなりません。
 第36回総会では「合同のとらえなおし」関連議案は2本上程されました。一つは第57回西中国教区定期総会で決定された「『合同のとらえなおしと実質化』特設委員会を設置する件」(議案第39号)で、もう一つは第57回東中国教区定期総会で決定された「『合同のとらえなおし』を自分のこととして聴き直し、再度合同関連議案を提出するために、合同記念の日を2月25日に設置する件」(議案第40号)でした。
 東中国教区は提案理由を次のように述べます。
 「(前略)1941年に教団は沖縄の5教派17教会を九州教区沖縄支教区に組み入れましたが、やがて沖縄戦に巻き込まれます。そして日本基督教団は事もあろうに、1946年朝鮮、台湾、中国、その他の植民地、占領地の教会とともに沖縄を削除、抹消しました。しかし戦後ようやく教会形成を推し進め、1957年『沖縄キリスト教会』は、『沖縄キリスト教団』と名称を変更しました。その後紆余曲折あって1969年2月25日合同式典、3月21日沖縄教区設立へとなりました。しかし式典に際して交わされた『議定書』を見る限り、吸収合併としか解せないものでした。それを反省して『合同のとらえ直し』など、20年に渡って諸議案が提出されることになりました。
 そして時間をかけて真摯な対話を続けながら担っていた第33回総会において、私たち日本基督教団は沖縄教区をまたもや切り捨てました。
 それは執行部の責任ばかりではなく、各教会、信徒一人一人が、何回『合同のとらえ直し』を耳にしてもよそ事であり、自分にはまったく関係ないこととして聴く耳を持たなかったところに大きな原因があります。沖縄だけに名称変更手続き等の痛みを負わせ、『大が小を飲み込んだようだ。復帰ではなく吸収だ』と訴え、対等であるべきではないかという沖縄が主体性をかけた呼びかけに対して、あまりにも鈍感であったということではないでしょうか。このことは沖縄教区の叫びであると同時に、日本基督教団の姿勢を真にキリストの道へと糾し、成熟した教団となるためのものでした。しかし、すべてを『時間切れ審議未了廃案』で排除してしまったのです。
 『距離を置く』ということは、沖縄教区側からは教団に向けて働きかけないと言うことでしょう。日本基督教団の所業が許されるものではありませんが、沖縄教区の方々にもう一度チャンスをいただけるならば、上記のような議案を提案し、諸集会を持ち、特に2月25日に『合同のとらえ直し』とは何だったのかを学び直し、教団、教区、教会で、沖縄を無視し続けてきた歴史を覚え、自分のこととして受け止め、信仰を問い直し、沖縄教区の方々と再度議案提出に漕ぎ着けたいと願って上記議案を提案することになりました。(後略)」と。
 採決の結果は、前者の議案が賛成171、後者が賛成140(過半数は184)で、いとも簡単に否決となり、またもや「沖縄」は葬り去られてしまったのでした。
 この「合同のとらえなおし」関連2議案に対し、ウチナーンチュは牧師3人が発言に立ちました。二人は沖縄在住の男性、一人は広島(西中国教区)の女性です。教団と距離を置いている沖縄教区は、教団総会に議員を送らないことを教区総会で決定しています。この意味するところを何ら解明しようとせず、“それなら推薦議員で”と、教団は沖縄教区から何名かの教職と信徒を推薦議員に指名しました。事の本質からいって教団からのこの誘いに乗るべきではないとぼくは思いますが、結局沖縄から二人の教職が参加していました。この二人の発言はかなりの程度対極をなすものなので、メモなどを基に可能な限り再現してみましょう。
 一人の発言はこういう趣旨でした。
 「今回も沖縄が来てないと言われている。沖縄教区不在の総会だと言われる。35回総会の時もそうだった。36回では5名出席しているのに『居ない』と言われ『存在』を否定された。『沖縄の意見を聞くべし』と言う多くの発言があるが、みなさんが言う『沖縄』とはどの『沖縄』のことなのか。沖縄教区の合同は間違いだったと言われたが、私は間違いだとは思っていない。『今、合同のとらえなおしをしている場合か』と叫んでいる信徒たちがいる。合同のとらえなおしは一歩間違えば沖縄教区が分裂する事柄である。沖縄教区でも、各個教会が判断するという時を迎えている。議案第39号や40号が可決されたとしても、こうした取り組みからは何も生れない」というものです。
 しかし、この発言にはうそがあります。そのことは発言者も分かって主張しているはずです。すなわち、沖縄教区から選出された議員が教団総会に「居ない」ということを「沖縄が来てない」「存在を否定された」とわい曲しているのです。「沖縄から来ている」のは、教団が指名した推薦議員だけです(それもそのごく一部)。だから、この人たちは沖縄教区を代表してはいません。それを自分が「沖縄」を代表しているかのように、どの「沖縄」のことを言っているのか?と半ば恫喝しているのです。「合同のとらえなおしは一歩間違えば」「分裂する事柄である」のは、何も「沖縄教区」に限らず全教区に波及する問題です。だからといってこの緊張関係から逃れてはならないのです。この発言は、合同のとらえなおしを進めれば賛否が別れるから何もするな、議案第39号や40号も無意味であり、このまま黙ってヤマトゥに併合されていようとの趣旨であり、絶望に満ちたものです。ここに未来はありません。この発言を聞いていて、ぼくはアンクル・トムを思い出していました。「アンクル・トム」とは、黒人の間で通常「白人に媚を売る黒人」、「卑劣で白人に従順な黒人」という軽蔑的な形容を意味しており、ジンバブエのムガベ大統領がライス・アメリカ国務長官を“アンクル・トムの娘”と罵倒したことがあります。
 この発言に比べれば、広島(西中国教区)の女性教職が「自分も沖縄の出身である。第39号議案に賛成だ。新しい風を吹かせるためにこの課題に向き合うべきだ。ぜひ取り組んでいきたい。まずやってみるべき」と語った発言の方がよほど前向きです。
 沖縄人アンクル・トムについて、野村浩也は次のように書いています。
 「劣等コンプレックスを植えつけられた沖縄人は、最終的には、日本人以上に日本人を愛するようにさえなるであろう。また、日本人という『主人が不機嫌になること』をのぞまないがゆえに、『ホントのコト』を述べる沖縄人を憎むようにもなるであろう。しかも、それをあまりにも当たり前のこととしてしまうがゆえに、自身の行為の問題性を意識することもないだろう。ただし、日本人に沖縄人アンクル・トムをわらうことなどできない。沖縄人アンクル・トムをもっとも必要とし、彼/彼女らを悪用することによって沖縄人をもっとも収奪しているのは、いうまでもなく、日本人にほかならないからである。(中略)
 『ホントのコト』を述べる沖縄人に対して、真っ先に『沖縄の内側』から攻撃してくるのは、沖縄人アンクル・トムであろう。それが日本人のよろこびそうなことだからである」(『無意識の植民地主義』P244)
 発言者は、野村浩也のこの指摘をどのようにとらえるでしょうか。仮に、彼が沖縄人アンクル・トムであったとしても、「日本人」であるぼく「に沖縄人アンクル・トムをわらうことなどできない」のです。
 もう一人は、この方は前沖縄教区議長ですが、
 「私がこの場に居るのは沖縄教区から送られて、とは思っていない。沖縄の
一教会の牧師としてここに参加している。沖縄教区からは『参加しないでほし
い』と言われたが…。特設委員会の報告では『合同は誤りであった』というこ
とも記されたのだが、それは承認されていない報告であり、趣旨は合同を急ぎ
過ぎた、その過ちを認めようというものである。合同は問題があったことは事
実である。教会が合同することに対して認識が甘かった。その自己批判の中で、
過ちを認めようと語っている。合同のとらえ直しとは、自分のことがらを自分
のことがらとして考えていくことである。教団三役からは何の接触もなかった
が、それでも教団は生きている。議案第39号や40号を“通してほしい”とか“通
してくれるな”とか言っていない。そうした想いを、沖縄におみやげを持って
帰りたいというのが正直な思いだ」というものでした。
 前の発言者と異なり、彼は「沖縄教区から選出された議員ではない」と自ら
の立ち位置を明確にした上で、議案第39号や40号の賛否はヤマトンチュが主体的に判断する課題だと言っています。その結果をおみやげとして沖縄に持って帰りたいと、ヤマトンチュ・キリスト者に投げかけているのです。
 しかし、この呼びかけにすら応えることができなかった教団総会でした。傍
聴者には発言権がないので、ぼくがいらついていたのは言わずもがなです。


忍耐強い対応を呼びかける北村慈郎牧師

 さて、第36回総会はさしずめ北村慈郎教師戒規申立を巡る様相を呈していました。これについては、「教団第35総会期第5回常議員会における『北村慈郎教師に対する戒規申立を行う件』の決議の無効を確認する件」(議案第44号)が提出され、賛成167(過半数は164)で可決されました。挙手採決でなく無記名投票で、との動議が可決されてのものでした。さて、挙手採決だとこういう結果になったかどうか?ここには締め付けが働いているナと素人眼からも分かりました。しかし、こんな締め付けはいずれ破綻するものです。
 結局、日本伝道関連2議案(第62回兵庫教区定期総会で決定された「『日本伝道150年』記念行事開催を中止する件」(議案第48号)と第53回大阪教区定期総会で決定された「日本基督教団『日本伝道150年記念行事』に『琉球伝道163年』を加え、沖縄教区へも配慮し、検討されることを求める件」(議案第49号)の2本)や、セクシュアル・マイノリティ関連3議案に至っては廃案になってしまいました。山北議長は「琉球伝道163年は存じている。それはそれとして150年記念を」という趣旨の発言をしました。理解している振りをしてそれを改めないというのは、理解していないことより悪質だといえましょう。

 
部落解放劇2008 「荒れ野の40日」

 教団執行部の強引な議事運営ばかりが目立ち、やり切れない気分になりましたが、総会2日目の10月22日(水)の夜に、250名以上もの参加で開演された「部落解放劇2008 『荒れ野の40日』」は、とても良くできていて、感動しました。あらすじは「別府 渉牧師は、教会員の水谷豊彦の息子の就職を助けようと知り合いの中島しおりに相談する。だが、そのやりとりの中で、彼は自分の差別意識を明らかにしてしまった。差別者だと罵られ、牧師を辞めようかと悩む別府。一方、教会の役員である斉藤 真らは、教会の名誉を守ることを優先しようとする。苦悩の中で、別府は荒れ野でのイエスに思いをはせる。そして、自分の中にある差別心と向き合いながら、教会が差別問題に取り組むとはどういうことなのかに気づかされていく…」というものでした。

 日本基督教団は何処へ行く、との想いを強くして帰路に着きました。

 

4.国連が琉球民族を先住民と勧告する。

 11月1日付『沖縄タイムス』朝刊は大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決の記事で埋め尽くされていますので、注意して見なければ見落としかねない、重要な記事が掲載されています。それは「国連『琉球民族は先住民』/人権委認定/文化保護策を日本に勧告」との見出しで、次のように報じている記事です。
 「国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は(10月)30日、日本政府に対して『アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること』と勧告する審査報告書を発表した。同委員会の対日審査は1998年以来、10年ぶりで、人種差別・マイノリティーの権利として『琉球民族』が明記されるのは初めて。
 勧告では、『彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ・琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ』と求めている。
 国内の人種差別問題などで同委員会の委員らに働き掛けてきた反差別国際運動日本委員会は『日本政府はこれを重く受け止めて、国際人権基準に合致した履行に努めることが求められる』と評価した。
 同勧告をめぐっては、沖縄市民情報センター(喜久里康子代表)なども同委員会に琉球・沖縄に関する報告書を提出していた」
 というものです。
 これは歴史的にみて画期的な勧告です。今年の6月6日、国会は「アイヌ民族」を先住民族と認め、地位向上などに向け総合的な施策に取り組むことを求める決議案を全会一致で採択しました。この決議を受け、政府は有識者懇談会の設置を決めています。先行したこの取り組みに引き続いて、国連の勧告をテコに琉球民族に関する国会決議を求めていく運動が必要です。

 それにしても、教団総会で「合同のとらえなおし」に反対した人たちは、この勧告をどのように受けとめるのでしょうか。

 

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