第68号(2009年3月)

◆ 目次 ◆
1.「在沖米海兵隊のグアム移転協定」に反対する。
2月16日(月)、大阪市北区のアメリカ領事館前で抗議の意志表明。


2.2月26日(木)、靖国合祀イヤです訴訟の判決が出る。
原告側主張を一顧だにしない、最低の内容。

3.「侵略神社の“神”にされるのはもうイヤだ!と言ってるじゃないですか!!」
2月25日(水)に判決前夜集会が開かれる。



1.「在沖米海兵隊のグアム移転協定」に反対する。
2月16日(月)、大阪市北区のアメリカ領事館前で抗議の意志表明。

 オバマ新政権のもとで国務長官に就任したヒラリー・クリントンが2月16日(月)に来日しました。日本政府との間で「グアム移転協定」を締結することが主な目的です。
 この協定の正式名称は「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」といい、その柱は、
 @ 海兵隊のグアム移転は名護市辺野古への新基地の建設と日本側の資金の貢献に懸っていること。
 A 嘉手納以南の基地の返還は海兵隊のグアム移転完了に懸っていること。
 B 海兵隊のグアムへの移転費のおよそ6割を日本側が負担すること。即ち、総額102億7,000万ドル(約9,243億円)の内、日本が60億9,000万ドル(約5,481億円)、アメリカが41億8,000万ドル(約3,762億円)となる。
 C アメリカ政府が日本側の資金を基地移設以外の目的で使用することを禁止する。
以上の4つです。


海兵隊移転協定に署名。その左に中川財務相が辞意と。

 在日米軍再編の行程について両国政府が合意した2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」のうち、グアム移転と普天間飛行場移設(と辺野古新基地の完成)を今回“条約”と同レベルの拘束力を持つ二国間“協定”へと格上げしましたが、その狙いは何でしょうか?
 衆議院で3分の2の勢力があるうちに、国会の承認を経て協定を発効させる(衆議院を通過すれば、参議院で否決されても「衆議院の優越規程」で30日後に自然承認となる。古くは60年安保もこの手で承認となった)ことで、仮に政権交代がなった場合でも、国家間の取り決めが縛りとなり、修正や手直しを不可能にしようとの意図が明白です。片やアメリカは今のうちに証文を取っておこうという魂胆なのでしょうが、こなた日本の麻生政権たるや、クリントン長官の来日中に朦朧(もうろう)大臣が辞任するというように、今やヨレヨレで政権基盤も消え失せているというのに、です。
 2月18日付『沖縄タイムス』「社説」は“グアム協定/むなしく響く負担軽減”との見出しで「協定締結の動きが突然、表面化し、内容(全文)も知らされないまま、あっという間に協定が交わされる」「グアム移転協定の中身は、県民生活に深くかかわり、県の将来を大きく左右する」。昨年7月、辺野古新基地建設の反対決議を挙げた「県議会の意志は今回、一顧だにされなかった。衆院選で民意を問うならまだしも、なぜ今、唐突に協定なのか。いくつもの『なぜ』が次から次に浮かび、疑問はふくれ上がるばかりだ」と論じています。
 「新基地建設に反対する」と、沖縄では2月16日(月)、宮里政玄・沖縄対外問題研究会代表、我部政明・琉球大教授、新崎盛暉・沖縄大名誉教授ら学者、作家、ジャーナリスト計14名が3項目からなる声明を発表しました。
 @ 私たちは、日米両政府に対し新基地建設(名護市での飛行場、東村でのヘリ・パット)の中止を求めます。
 A 私たちは、日米両政府に対し米軍再編合意のパッケージ取引が強者の論理に過ぎないと考えており、無条件での普天間飛行場の返還を求めます。
 B 私たちは、日米両政府に対し米軍基地の一層の縮小(計画されている嘉手納以南の米軍基地返還を含む)を求めます、と。


学識者14名が辺野古基地建設中止の声明を発表

 更に、2月16日(月)の夜、平和市民連絡会は那覇市・県民ひろばで緊急集会を開きました。この集会を報じる2月17日付『沖縄タイムス』の左には大田昌秀元知事の「国が強硬手段の可能性」との談話が載っており、そのまた左には「伊芸区流弾事件/抗議大会開催へ」とあります。まさに沖縄は今も戦場です。


「グアム移転協定」反対集会を報じる2月17日付『沖縄タイムス』

 大阪でも「グアム移転協定」に反対する抗議行動を2月16日(月)の夜、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が取り組みました。この日、大阪市北区にあるアメリカ領事館前で午後6時30分より抗議集会を開き、日本の内閣総理大臣、外務大臣、防衛大臣とアメリカ合衆国の国務長官宛に「抗議声明」を提出しました。


大阪市北区のアメリカ領事館前での抗議行動

 以下が「抗議声明」です。
(前略)私たちは沖縄県名護市辺野古の基地建設白紙撤回、普天間基地無条件撤去を求める立場から、「沖縄駐留米海兵隊のグアム移転に関する協定」の締結に反対であり、断固抗議します。
 この協定は、本来米国が全額負担すべきである、沖縄の米海兵隊員約8,000名とその家族約9,000名、およびその施設・インフラ等を2014年までにグアムへ移転する費用(約103億ドル)のうち約61億ドルを、普天間基地移設を名目として日本の税金で負担する法的根拠となります。そればかりでなく、辺野古新基地建設を日米両国で再度確認するものです。
 辺野古への基地建設は、13年前の名護市民投票で過半数が「反対」の意志を表明し、また現在も座りこみをはじめとする反対運動が根強く行われています。このような中、基地建設を推進する国際協定を締結することは、沖縄の人をさらに踏みにじるものです。また、海兵隊の移転先となるグアムの住民の意思も無視して、二国間の協定で決めることも許されることではありません。
 去る日、防衛省の高見沢将林防衛政策局長は衆議院予算委員会の答弁で、在沖米海兵隊のグアム移転に伴う日本の財政負担が、海兵隊以外も使用する空軍基地や軍港などの基盤整備にまで及ぶことを明らかにしました。今もイラクやアフガニスタンにおいて、アメリカ軍は戦争を続け、多くの人々を殺し続けています。その多くが沖縄やグアムで訓練をうけ、そこから出撃しています。私たちの税金をこのような戦争のための基地建設に使うことは、平和主義をかかげる日本国憲法の精神からも逸脱しており、また基地の存在による様々な被害、苦しみを沖縄やグアムに押しつけ続けることも、人が平和に生きる権利を奪うものとして、これを見過ごすわけにはいきません。また基地建設に伴い、沖縄本島でも有数のアオサンゴ群落が有り、国の特別天然記念物ジュゴンの餌場でもある豊かな海が破壊され、取り返しのつかないこととなります。
 私たちは重ねて「沖縄駐留米海兵隊のグアム移転に関する協定」締結に抗議
します。

 そうこうしていると、在沖海兵隊のグアム移転をめぐり、移転への賛否を問う住民投票法案が2月17日グアム議会に提出されたというニュースが飛び込んで来ました(『沖縄タイムス』2月20日付)。法案は移転への賛否のほか、公共の土地を米軍に貸すことを認めるかどうかを問うもので、法案が成立しグアムのカマチョ知事が同意すれば、住民投票は年内にも実施される可能性がある、といいます。
 ぼくは『沖縄通信』46号(2007年5月)で、次のように書きました。
グアムでは2000年から基地機能が強化されてきました。艦船修理施設の返還が中止になり、新たにミサイル搭載原子力潜水艦基地が設置され、地上戦闘隊や航空遠征隊が配備されました。
 2000年、米海兵隊・ジェームス・ジョーンズ総司令官は「在沖米海兵隊の訓練をグアムでもっと行うべき。グアムは移動性、戦略的にも米軍にとって重要な位置にある」と指摘しました。つまり、少なくとも7年前(筆者注:2007年に書いているので、7年前)から米政府は在沖米海兵隊の移設を受け入れる体制にあったのです。米軍再編で沖縄から海兵隊8,000人がグアムに移設される計画ですが、これは沖縄の負担軽減が眼目なのではなく、アメリカが日本政府に移設関連費用を支払わせることに成功したからです。アメリカは7年間この機会を待っていたのかも知れません。
 どうしてグアムが海兵隊の移設先となったのでしょう。グアムが自治的未編入地域という、民主主義が制限された地域だからです。グアムへの海兵隊の移設はチャモロ人のアメリカへの従属をさらに深め、日本政府は膨大な資金によってそれに加担しようとしています。
 だから、普天間基地をグアムへ移設すれば良いという問題ではないのです。移設なき普天間基地の即時閉鎖こそ求めるべきです。そのためにはウチナーンチュとチャモロ人の連携を深め、それに日米の民衆が連帯していくという陣形を早急に形成する必要がある、と。
 グアムではこれまでの世論調査で、移転による雇用創出や景気浮揚への期待から、島民の7−8割が海兵隊移転に賛成していましたが、移転が明らかになって以来「島民の基地拡大への懸念が急速に広がった」と、グアムの先住民団体「チャモロ・ネーション」代表のデビー・キナタさんは話します。「軍への視線が変わったもう一つの理由に『対テロ戦争』がある。グアム出身の兵士がアフガニスタンとイラクで既に11人死亡、人口10万人当たりの戦死者は米本土の5倍以上だ」(『沖縄タイムス』2008年11月18日付)といいます。
 今後、住民投票の実施がどのような経過をたどるのか大いに注目せねばなりません。

 

2.2月26日(木)、靖国合祀イヤです訴訟の判決が出る。
原告側主張を一顧だにしない、最低の内容。

 @ 靖国神社は合祀欄記載の氏名を霊爾簿(れいじぼ)・祭神簿(さいじんぼ)・祭神名票から抹消せよ
 A 遺族一人につき慰謝料100万円を支払え、と求めた靖国合祀取消裁判の判決が、2月26日(木)に大阪地裁でありました。
 この日、ぼくは傍聴券の抽選に当たり、法廷に入ることができました。判決は原告側完全敗訴という不当なものでした。
裁判は下表のような経過をたどって、判決日を迎えました。

回 数

備 考

公判年月日

『沖縄通信』記載号

訴状提出

 

2006年8月11日

第38号(2006.9)

第1回

 

同年10月24日

第40号(2006.11)

第2回

 

2007年2月13日

第44号(2007.3)

第3回

 

同年4月10日

第46号(2007.5)

第4回

 

同年6月5日

第48号(2007.7)

第5回

 

同年8月28日

第50号(2007.9)

第6回

 

同年10月16日

第52号(2007.11)

第7回

 

同年12月18日

な し

第8回

 

2008年2月12日

な し

第9回

 

同年4月15日

第58号(2008.5)

第10回

本人尋問

同年6月10日

な し

第11回

同上、学者証言

同年9月4日

第62号(2008.9)

第12回

最終弁論

同年11月25日

な し

第13回

判 決

2009年2月26日

今 号(2009.3)

 


不当判決を弾劾する地裁前での原告たち

 村岡 寛裁判長は判決でまず、自衛官合祀事件(中谷康子さんの裁判。『沖縄通信』38号(2006年9月)、46号(2007年5月)で紹介しています)の最高裁判決(1988年)に照らして「他者の宗教的行為で不快感を持つこともあるが、こうした感情をもとに法的な救済を求めることができるとすれば、他者の信教の自由を妨げる」としました。
 原告側は「第15準備書面」で、この裁判は自衛官合祀事件のケースと異なることを明らかにし、かつこの最高裁判決を批判しましたが、村岡裁判長はこのことに全く触れていません。
 また判決は「原告らが主張する感情は、被告靖國神社に対する不快の心情や嫌悪の感情としかいえず、法的に保護するべき利益とは言えない」とし、合祀は抽象的・概念的行為で、誰かに何らかの強制や不利益の付与があったとは認められない、としました。
 でも、判決後の報告集会で、原告の一人は「合祀は嫌だ!取り消してくれ!と言っているのに靖国神社は強制的に合祀している。強制や不利益の付与があるではないか」と発言されましたが、全くその通りで、でたらめな判決だというべきです。  
 国の関与について、判決は「戦没者情報の収集に協力するという国の行為は合祀で重要な要素だが、合祀は靖国神社が決めたもので、国の行為に事実上の強制と見られる影響力があったとは言えない」としました。
 これも、2007年8月28日の第5回公判で加島 宏弁護士が『新編靖国問題資料』に基づいて、靖国神社と国が一体となって合祀事務をおこなっていたことを明らかにしましたが、このことを無視した判決となっています。
 総じて判決は原告側の主張を一顧だにしない、最低の内容といえるものです。


大阪地裁判決を批判する加島 宏弁護士

 午後、会場をエルおおさかに移して「判決報告集会」が開かれました。
 加島 宏弁護士は「判決文は全部で82ページあり、その内、裁判所の判断は66〜81ページまでの16頁分だが、当事者の主張について、我々の倍のスペースを国側に当てている。全面的に自衛官合祀事件に乗っかった不当な判決だ」と批判しました。


控訴審に向け、決意を述べる古川佳子さん

 続いて、原告お一人おひとりから控訴審に向けての決意が語られました。古川佳子さんは「もう82歳になろうとしていて、どこまでやれるか分からないが最後まで闘いたい」と述べられました。

 

3.「侵略神社の“神”にされるのはもうイヤだ!と言ってるじゃないですか!!」
2月25日(水)に判決前夜集会が開かれる。

 判決を翌日に控えた2月25日(水)、エルおおさかにおいて「判決前夜集会」が開かれました。少し会場が狭かったということもあったのですが、入り切れないほどの超満員となりました。集会名称は、そのものずばり「侵略神社の“神”にされるのはもうイヤだ!と言ってるじゃないですか!!」です。


侵略神社の“神”にされるのはもうイヤだ!と言ってるじゃないですか!!

 田中伸尚さんの講演は圧巻でした。この集会の呼びかけ文には「2年半にわたる訴訟の間一度も空けることなく東京から大阪地裁での傍聴を貫徹された田中伸尚さんを講師に迎えます」と書かれています。
 田中伸尚さんは要旨、次のように語られました。


講演する田中伸尚さん

 この裁判をひとことで表現すれば、国と一体とならずに生きることを求める裁判だった。裁判では、宗教論争にはまらない新しい論理が展開された。
 私が傍聴を続けた理由は三点ある。一つは、古川佳子さんが原告になられたことだ。不遜にも古川さんを支えなければならないと思った。自分は原告になれない。そうであるなら傍聴し続けることだ。二つ目は、無断合祀という“靖国の心棒”を正面から撃つ歴史的訴訟の現場に居たい、同行したいとの思いだ。そしてマスメディアの報道を見届けたい。三つ目は、中谷訴訟との関連だ。中谷康子さんは同じような訴訟が起こることを希望しておられた。しかし15年間起こらなかった。そして遂に起こったのがこの裁判だった。
 私は、原告らが語った言葉の豊饒さに驚いた。
○ 合祀は、父を靖国のオリに閉じこめている。
○ 合祀は、個別の死をないがしろにしている。
○ 合祀は、国家が殺したことを隠蔽している。
などなど一つひとつが爆発しそうな言葉である。
 優しい言葉、柔らかい言葉も一方にある。
○ 合祀されている父親がかわいそうだ。
○ 兄たちが哀れで悲しい。
などである。亡くなった肉親と対話しているのだ。そこから出て来た言葉だ。かつて合祀をこれほど批判した言葉があっただろうか?合祀されている246万6千人にそれぞれの生と死がある。ここに靖国と原告らとの違いがある。靖国の戦死者の抽象化に対して原告らにとっては私の父、私の叔父なのだ。中山 元さんが言う「思考は言語によって紡がれる」ということだ。このように遺族個人の気づきがないと、訴訟にはならない。
 2007年2月に合祀取り消しを求める裁判を東京地裁に起こした(「ノーハプサー」と呼ばれている。韓国語で合祀取り消しの意味)イ ヒジャ(李 煕子)さんは“絶止訴訟”と言っている。絶対に阻止するということだ。裁判で、彼女が「汚い朝鮮人!帰れ!」と罵倒を浴びせられた時、彼女は「裁判に勝とうが負けようが靖国は汚い朝鮮人を永久に祀らなければならないのだ」と語った。ここに靖国の無断合祀の本質があるといえる。
 概ね、以上のように田中伸尚さんは語られました。

 一審敗訴を受けて、舞台は大阪高裁に移ります。この裁判の重要性を考え、今後も田中伸尚さんと同様、ぼくも「歴史的訴訟の現場に居たい、同行したい」と思います。

 

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