☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


☆沖縄通信のご感想・ご意見はこちらまで☆

第78 号(2010年2月)

◆ 目次 ◆
1.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月16日(土)、講演「戦後日米関係の転機としての普天間問題」を聞く。

 
2.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月24日(日)、名護市長選で基地反対派が勝利する。

 
3.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月28日(木)、近畿中部防衛局へ第8次の署名4,207筆を提出

 
4.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月28日(木)の夜には、中之島中央公会堂で大阪集会が開かれる。

 
5.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月18日(月)、ついにヤマトゥから「普天間基地声明」が発せられる。

 


1.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月16日(土)、講演「戦後日米関係の転機としての普天間問題」を聞く。

 1月16日(土)、沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会主催の「普天間基地即時閉鎖!緊急集会」がエルおおさかで開かれました。集会で は、新崎盛暉・沖縄大学名誉教授の「戦後日米関係の転機としての普天間問題」と題した講演と衆議院議員・服部良一さんの訪米報告を受けました。
   新崎さんはレジメに沿って、概ね次のように話されました。


講演する新崎盛暉さん

T.なぜ、いま普天間か
 普天間基地返還の日米合意は1996年になされたのに、なぜ今改めて問題になるのか。「新基地建設は認めない」というのが沖縄の世論であっ て、民主党は沖縄で政治基盤をつくるためには「基地を造る」とは言えない。そのため「普天間基地は国外・県外移設」と衆議院選挙中に口約した。 これは基地問題を沖縄に押し込めておくという64年間の自民党の政策の枠組みを変えるのだと、戦後の日米関係を少しは変えるのだという意思表示 として受けとめられた。だから普天間移設が大きな問題となった。
U.戦後日米関係の本質的属性は、対米従属と構造的沖縄差別である
 戦後の日米関係は、「勝者・アメリカの権利行使を敗者・日本への恩恵(“核の傘”や市場開放)というフィクション」で覆い隠してきた。矛盾は 沖縄にしわ寄せする。私はこれを構造的沖縄差別と言うが、対米従属と構造的沖縄差別は密接不可分な関係、表裏一体の関係であって、“密約”がそ の補足的役割を果たした。
 @ 平和憲法と沖縄の分離軍事支配
 アメリカは占領政策の一貫として日本の牙を抜くためにいわゆる平和憲法を敷き、そのセットとして分離支配した沖縄は米軍の要塞とした。
 A 日本の独立と対日平和条約第3条
 1952年4月28日に対日平和条約が発効して、日本が占領下から独立した。その第3条で、沖縄を日本から分離し、アメリカの施政権下に置く と明記された。この時(旧)安保条約も締結された。安保条約で日本全土に米軍基地を置くことが出来るのに、アメリカはなぜ沖縄を分離軍事支配し たのか。日本は主権国家であり国内法上の制約があるからだ。ところが沖縄にはその配慮は全くいらない。
 B 60年安保と第一段階の基地しわ寄せ
 この時期に本土でもいろんな基地反対闘争が起こっている。有名なのは立川基地反対闘争、いわゆる砂川闘争である。60年安保以降、第一段階の 沖縄への基地のしわ寄せが始まり、本土の基地は半分、沖縄の基地は倍となる。これで基地面積は同程度になる。沖縄の面積は0.6%、本土が99 .4%で基地の面積が同じだということは、密度からすれば沖縄は本土の100倍だということになる。朝鮮半島を睨らんで本土に居た海兵隊もこの 時沖縄に行く。この時期の密約が一つある。刑事裁判権を巡るもので、日本側はできるだけ第1次裁判権は行使しないというものだ。これは法務省関 連の密約だから、今真相解明といわれている外務省関連のものとは異なる。
 C 沖縄返還と第二段階の基地しわ寄せ
 沖縄返還−「返還」というのは、沖縄で米軍基地反対闘争が広がり、アメリカが直接統治できなくなったから日本に「施政権」を返還した−により 、第二段階の基地のしわ寄せが始まった。ここで本土の基地は4分の1に、沖縄はほとんど減らなかった結果、日本の米軍基地の75%が沖縄に集中 することになる。
 それとともに全国的な安保問題が見えなくなり、基地は沖縄・厚木・岩国のような「地域」の問題として扱われるようになった。
 (筆者注:在日米軍基地−専用施設−面積の変遷は、次のアドレスを参照してください。)
 http://www.jca.apc.org/HHK/Heliport/99/USbase.html
 D SACO合意と県内移設
 1995年の少女レイプ事件をきっかけとして、普天間基地を返還し、その代替施設を沖縄・辺野古に作るというSACO合意がなされた。この時 期、“一人の少女を守れない安全保障とは何か”という有名な言葉も生まれた。
 当初はもっと小さな基地の予定だったが、地元利権のため沖合いリーフ上に巨大な埋立地を造ることに化けてしまった。
 E 米軍再編とグアム移転
 その後のブッシュ・ラムズフェルドの「テロとの闘い」に代表される米軍戦略の変換から、米軍再編ということが計画された。これはこれまでソ連 や中国を対象とした重厚長大な基地よりも、よりコンパクトな基地をネットワーク化させ、どこにでも動かせる軍隊にするものだ。アメリカの戦略の 変化に伴い、日米安保・日米同盟の内容やそのあり方−沖縄に米軍基地があり続けること−も変わっていく。
 一方で北朝鮮を睨むはずの在韓米軍も減らされる中、沖縄に海兵隊が存在し続ける理由はない。SACO合意の代替施設建設もうまく行かない中で 、辺野古への基地建設はアメリカにとっては軍事的よりも政治的なもの、日本から金を出させたりするための駆け引きの道具となった。沖縄はまだ政 治的価値があるとアメリカは考えている。
V.象徴としての普天間基地の歴史
 普天間基地は1945年6月に出来ている。まだ沖縄戦の最中だ。日本を守るためではなく、日本を攻撃するために造られた基地だということを押 さえておいてほしい。1960年から海兵隊基地となる。世界一危険な基地になったのは1972年返還後のことだ。P3C・対潜哨戒機が訓練をす るようになった。
 その後、普天間を返してほしいということが焦点になってきたので、1995年に日米両政府は普天間を目玉にした。そうすると、勝手に造ってお いて“返せ”と言ったら“変わりを寄こせ”というのは、盗人猛々しい。
 現在、マスコミでも「普天間移設問題」というが、“何処かへ持って行ってくれ”と言った人は一人もいない。“閉鎖せよ”と言っているだけ。そ れが、ここから何処へ持って行くかの問題にすり替えられた。
W.安保・外交政策の全体像がバラバラな鳩山政権
 普天間に手をつけることが安保にどう火が点くのかを民主党がどこまで考えていたのかどうかは分からない。旧来型の政治家・北沢防衛相は、自公 政権による日米合意に基づく辺野古建設案を実施したい防衛官僚に包囲され、当初から「現実主義的発言」を繰り返していた。岡田外相はゲーツ・米 国防長官の一喝で変わってしまった。岡田外相は、今沖縄で一番評判が悪い(筆者注:斟酌しない発言の平野官房長官も同じ程度に評判が悪くなって いるのではないでしょうか)。
X.マスメディアの主要論調−危機をあおる惰性的戦後思考
 一方マスコミは、相変わらず戦後64年余続いてきた「日米関係」そのままの発想で、アメリカが言っているからとの理由で「(普天間移設は現行 の辺野古が)唯一実現可能な案だ」と声高に叫んでいる。なぜ辺野古が必要なのかをトータルで考えることが出来ないのだ。
Y.“移設”論議によって何が試されているのか
 “移設”というなら、私は国内移設だと思う。グアム移設と言うがそこにはチャモロの先住民がおり、植民地状態だ。アメリカ本国への移設ならよ いが…。国内移設だと当然反対運動が起こる。そこで、どうして基地がなければならないのかの議論を戦わせればよいのだ。
 基地建設反対の側は、“沖縄にいらないものはどこにもいらない”という建前論が、64年間結果として沖縄への構造的差別を覆すことができなか った、そのことも問われている。普天間移設は、どこに持っていくのかという賛否両論、それは安保や日米同盟のあり方を問うことをどれだけ共有で きるか、というところから始めなければならない。
 概ね以上のように、新崎さんは話されました。


訪米報告する服部良一さん

 続いて、沖縄基地問題検討委員会の委員として訪米し、この日10時間かけてワシントンから帰国したばかりの衆議院議員・服部良一さんが生々し い報告に立ちました。
 日米同盟の危機と報道されているが、アメリカはどう考えているのかを調査し、また辺野古・沖縄への基地のたらい回しは無理だということを伝え るために1月12日(火)から15日(金)まで訪米してきた。民主・共和両党の3人の議員、超保守からリベラルまでのシンクタンクとも会い、ま た環境や平和を考えるNGO団体とも討論した。実際、アメリカでは普天間の問題はほとんど知られていない。今、日米同盟の危機だと騒いでいるの は、冷戦構造の頭脳のままの記者連中だ。アメリカで一番問題になっているのは、医療保険、雇用とアフガニスタン問題である。
 一番うれしかったのは、民主党の大統領候補にもなったデニス・クシニッチ下院議員が「辺野古にアメリカ政府が基地を押しつけるのは日本国民に 対する侮辱だ」と言ってくれたことだ。アメリカの声は多様だというのを見てきた、と報告されました。
 更に、服部さんはいろいろ検討した結果、やっぱり沖縄にということは何としても阻止したい。沖縄から撤退させるためにドンドン基地機能を分散 させて、やっぱり日本では不便だということで撤退させるというような、過渡的な長期戦略も必要で、その中で朝鮮半島や東アジアの平和構築を考え ていくことも大切だと語られました。


2.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月24日(日)、名護市長選で基地反対派が勝利する。

 名護市長選前日の1月23日は土曜日なので、ぼくはいつものように「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」に参加しました。第285回目 の行動です。行動が終わって集約の時に、ぼくは「期日前投票が32%にもなり、企業ぐるみの締め付けでその8割は島袋陣営に流れていると思う。 日本に民主主義があるのかが問われている」と危機感溢れる発言をしました。
 実は、『けーし風』第65号のインタビュー「民意で政権を動かし、外交を動かそう−住民投票と民主主義」で、井原勝介・元岩国市長が「民主主 義の一番元になる選挙の自由が奪われてしまったら、民意は正確に反映されない…それを岩国でも痛切に感じました。民主主義国といいながら、会社 に言われて相手方に投票し、…勤務時間中に全員で事前投票に行かせる…。主権者の自由が奪われたそのようないい加減な投票が行われては、民主主 義は成り立ちません。ここで自由に投票できて初めて、民意にたった政治ができるのです」(25ページ)と語っておられるのを思い出したからです 。
 この日は大阪行動が終わってから、連れ合いとお寿司を食べに行きましたが、そこで大胆にもぼくは「それでも稲嶺が勝つ!」と宣言したのでした 。そんな予感がしたのです。
 投開票日当日の1月24日(日)、午後8時に投票箱が閉められ開票は9時からなのに、午後8時14分に大正めぐみ教会の上地 武牧師より「勝っ たヨ!」との電話が入りました。上地牧師も高揚していました。こんなに早く当確が出たのに最終得票数ではそんなに差がひらかなかったのは、期日 前投票の影響だとぼくは思います。浦島悦子さんが『沖縄タイムス』2月2日付「論壇」で「前回の市長選で9,588票と投票総数の30%を超え 、前代未聞と言われた期日前投票が、今回はなんとその1.5倍、1万4,239票(投票総数の40%超)という驚異的な数字を示しました。期日 前投票所周辺で、明らかに企業組織を使った動員と思われる光景を目にすると、民主主義の原点が失われるような危機感も覚えました」と書いている 通りです。しかしながら「選挙結果を見て、動員されても自らの権利は手放さない市民の良識が勝利したのだと確信しました」と。
 名護市長選の勝利を聞いて、ぼくは在日の詩人・金 時鐘(キム シジョン)さんの発言を思い出していました。それは2007年2月10日、友人 の橋本康介さんの『祭りの海峡』出版記念会で話されたもので、氏は「支配者は常に勝ち続けなければならない。しかし、ぼくたちは最後に一度だけ 勝てばよいのだ」という趣旨のものでしたが、この名護市長選の勝利こそ当てはまると思ったのです。ついに勝つことができました。前述した浦島悦 子さんは「私の脳裏にはこの13年間のさまざまな出来事が走馬灯のように駆けめぐり、熱いものが込み上げてきました。長い間の苦労がやっと報わ れる。あきらめないでよかった。…まだ夢心地の中で、心からそう思いました」とも書かれていますが、まったく同感です。
 1月25日付『朝日新聞』は、「市長選で敗れたのは、島袋氏だけではない。最大の敗者は、戦後の日本の基地政策そのものである」「名護市の拒 絶は、国の外縁部に負担を強いる手法への不信任も意味する」「公共事業による利益誘導で、沖縄に基地を封じ込める手法は限界に来ている。安保体 制を支えてきた構造を見直さない限り、基地問題の解決はない」との那覇総局長・後藤啓文署名解説記事を全国版で報じました。
 『沖縄タイムス』は、1月25日付「社説」で「沖縄にだけ負担を押し付ける矛盾を振興策で取り繕う仕組みは『終わり』を迎えた」「単に基地容 認、反対の対決ではなかった。基地を安定化させるために政府が支出する基地関連予算に基づく地域振興か、あるいは基地依存構造からの脱却を目指 すかどうかの選択だったといえる。/市民の判断は『アメとムチ』の構造を終わらせることだった。これは日米安保体制を支えてきた『補償型基地行 政』の破綻を意味する」「名護市長選は今後、『日米安保=基地提供=沖縄』という戦後日本の安保政策を終わらせるきっかけになるかもしれない。 /日米安保改定50周年の節目の年に、大きな地殻変動が起きようとしている。」と書きました。
 昨年は薩摩侵略400年 琉球処分130年 宮森小墜落50年の節目の年でした。今年2010年は朝鮮植民地100年 安保改定50年の節目 の年です。今年こそ、沖縄にとって私たちにとって、安保とは何なのかを問う年にしていかねばなりません。


3.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月28日(木)、近畿中部防衛局へ第8次の署名4,207筆を提出

 1月28日(木)、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は第8次となる4,207筆(累計42,389筆)の署名を近畿中部防衛局に 提出しました。今回は沖縄・辺野古からヘリ基地反対協・共同代表である安次富 浩さんも参加くださいました。
 以下の要請文は中略しても長文ですが、「大阪行動」の現在の問題意識がよく分かるものなので、引用します。


署名を提出する松本亜季さん

 沖縄に基地を押しつけることを絶対自らに許したくない。私たちはその思いで2004年8月以来、毎週大阪駅前を中心に呼びかけを行い、応じる 一人一人と対話して一筆ずつ大切に署名を集めてきました。(中略)貴局においては、「辺野古に基地を絶対につくってはならない」という一人一人 の声の重みを受け止め、その声を実現するべくしっかりと全力で政府に働きかけることを約束してください。
 沖縄は、徳川幕府により400年前薩摩侵攻をうけ、明治政府により130年前琉球処分で軍事的要衝と位置づけられて、以来日本の版図に「戦の 島」「基地の島」として統合され、「異国」の人間として差別される長くきびしい苦難の歴史を歩んできました。外交、経済活動、教育その他生命と 生活、財産に関わる、自分の運命を自分で決定することの出来ない「孤島苦」の苦しみに乗じ、日本帝国は植民地の扱いでもって沖縄の人間に同化を 強制しました。そして自らが起した第二次世界大戦のおいては、敗戦必至となるや「皇土防衛」「国体護持」のために沖縄を「捨て石」とし、米軍占 領下での偽り多き「民主主義」と「主権維持」の引き換えに、沖縄を分断することを米国と約束し、「太平洋の要石」と位置づける米国の「冷戦」戦 略に従属する軍事的安全保障の犠牲に、その後の沖縄を供しました。(中略)


近畿中部防衛局との交渉風景

 1995年9月の米兵3名による少女レイプ事件を期に、(中略)1996年SACO報告で、なし崩しに沖縄県内への「代替施設」建設を条件と した、普天間基地の「返還」が書き込まれました。しかしこれが、ふだん向き合うこともなくなっていた日米両国の軍事問題を、多くの人々の脳裏に 「沖縄の主張」として片付けて押し込み、今日も米軍基地が集中的に局地化する沖縄に対する差別を隠蔽する構図をつくった発端です。
 普天間基地の「返還」を人質とし、満を持して日米両国政府が「代替施設」建設による「見返りの受益」に沖縄を巻き込んで実現させようとした辺 野古の新基地建設計画は(中略)食い止められ続けてきました。(中略)
 こうした長年にわたる沖縄の努力と犠牲によって「沖縄問題」が、米軍基地を押しつけて「移設」先を沖縄に集中的に局地化する日本及び米国すべ ての人々に対し、ようやくそれが不平等と差別に立脚した政治であることを突きつける力として輝くに至ったのです。この意味において「沖縄の民意 」を無視する者は、卑怯者であることを免れ得ません。私たちがこれから直ちになすべきことは普天間基地の無条件返還、辺野古新基地建設の白紙撤 回であることは言うまでもありませんが、しかしそれに止まらずに一歩を進め「沖縄問題」を「自分の問題」とし、日米軍事同盟で沖縄を踏みつける 自分の足下を見つめ、自らの意志でその足を外していく決意を一つ一つ積み重ねてゆき、それを今後の「生きるべき道」として描いていくことにある と、希望しています。
 すなわち「沖縄の民意」が問うているのは、私たちに沖縄が歩んだ「長くきびしい苦難の歴史」を生きなおす決断を、自ら受け入れる覚悟があるか 否かなのです。日米軍事同盟に関して言えば、「米国に守られている」ことを「国益」として経済的利益をおねだりしあう共同体的ムラ的幻想を断ち 切り、一方が他方に駐留し他方が一方に貢ぐ、対話なき軍事的緊張と脅威を前提としなければ維持できない歪んだ関係から離脱することが求められて いるであり、日本と沖縄の関係で言えば、双方が自らを対等に信頼関係に立つ者として認め合えるまで、それぞれが真に価値のある生き方を自由に発 揮していく方法を模索する以外にはあり得ないのです。(中略)


交渉後、近畿中部防衛局前にて。右から3人目が筆者

 日米軍事同盟すなわち安保体制は、沖縄に基地を押しつけることで成立した「新たな国体」に他なりません。そしてその「新たな国体」によって基 地を押しつけつづけられる沖縄の「戦略的重要性」「抑止力」とは、沖縄の政治的地位が「治外法権」状況にあり、実質的に米軍占領下に「捨て置か れた」状況を前提とした沖縄差別の別名に他なりません。
 このような状況にあるままでは、沖縄の命の尊厳と生活を最低限度補償する生存権が確立される可能性は万に一つもあり得ません。いまだに日米両 国政府によって、沖縄がその時々の軍事計画の生贄になる数々の「合意」や「協定」や「特別措置法」の対象となる現実に何の変化も見られない現状 は、今すぐ撤回されるべきです。(後略)


4.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月28日(木)の夜には、中之島中央公会堂で大阪集会が開かれる。

 1月28日(木)、近畿中部防衛局への署名提出を終えた私たちは、その夜中之島中央公会堂で開かれた「普天間基地はいらない!新基地建設を許 さない!大阪集会」に駆けつけました。


中央公会堂で大阪集会が開かれる。(西川さん撮影)

 集会で安次富 浩さんは、沖縄は復帰前から平和的生存権を求めて闘ってきた。それは軍事基地との共存・共生を拒否する闘いだ。グアム協定成立 後、自公政権は「番犬に与えるおカネにすれば安いものだ」と言った。沖縄からイラク・アフガンに出兵している米軍は番犬ではない、猛犬である。 安保改定50年と言われているが、安保を見直し、軍事同盟ではなく平和条約を結ぶことが必要だ。私たちの立場は「県内移設」は駄目、普天間飛 行場はすぐ閉鎖だ。政府は長々と移設先を探す前に、アメリカ政府と閉鎖について交渉を開始すべきである。


沖縄からの報告 安次富 浩さん

 北沢防衛大臣が辺野古基地建設ありきの環境影響評価報告書を提出しようとしているのはおかしい。アメリカの顔を見るのではなく、名護市民の 顔を見よ。基地の城下町は栄えることはない。稲嶺 進・名護新市長は、自然と共に歩む観光政策を市民とともにススムと思う。人間は変わる。私た ちが闘えば連立政権も変わる、と訴えられました。


決意表明する松本亜季さん

 決意表明で、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」代表の松本亜季さんが近畿中部防衛局への署名提出について発言しました。


5.普天間閉鎖!辺野古に新基地はつくらせない
ー1月18日(月)、ついにヤマトゥから「普天間基地声明」が発せられる。

 宮本憲一・大阪市立大学名誉教授、小森陽一・東京大学教授、岡本 厚・岩波書店「世界」編集長ら18人が呼びかけ人となって、1月18日(月 )、「普天間基地移設についての日米両政府、及び日本国民に向けた声明」が発表されました。これには作家の大江健三郎さんや加賀乙彦さんらヤ マトゥの有識者ら340人が賛同しました。
 呼びかけ人の一人である岡本 厚さんは「年末年始のわずかの期間に、300を超える賛同が集まった。反応は非常に強く、また熱かった。特に中 央メディアの論調への違和感、怒りを表明してきた人が多かった」(『沖縄タイムス』2月3日付「本土発『普天間』声明の意義 中」)と書いて います。
 「声明」は、普天間移設は日本に住むすべての人々が解決策を模索すべきとし、簡単に日米合意に妥協しなかった鳩山政権を評価、時間をかけて 検討すべきで、「その間、米国は圧力をかけるべきではない」。その上で、名護市辺野古を含む県内移設に反対、現在の日米安保体制を前提とする 場合でも本土や国外への移転を「真剣に検討すべき」と要求。さらに冷戦構造を前提にした安保体制の見直しを求め、他の基地についてもいずれは 撤去を目指すべき、というのが主な内容です。
 県内移設に反対し本土への移転を検討すべきとのヤマトゥからの発信は、画期的なものです。ぼくの知る限り初めてです。10年後、20年後、 この「声明」は歴史的なものだったとの評価を受けるだろうと思います。にもかかわらず本土の新聞にはまったく報道されませんでした。
 重要な「声明」ですので、やや長文になりますが以下に全文を紹介します。


署名提出と全国集会を報じる1月31日付『沖縄タイムス』

普天間基地移設についての日米両政府、及び日本国民に向けた声明
 米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の移設をめぐって、鳩山政権と米国政府との間に緊張が生じている。この飛行場は、米軍基地が集中する沖縄 においても、住宅密集地の中にあり、最も危険な基地といわれている。米国政府は、旧自民党政権との間で「合意」した辺野古(キャンプ・シュワ ブ沿岸部)への移設計画を「合意」通りに進めることを要求している。これに対して、鳩山政権は、選挙において同基地の県外・国外移設を主張し てきた上に、沖縄県民の沸騰する反対の意思表明を意識し、さらに社民党の反対を考慮して、2009年12月にこの要求を年内に受け入れること を回避した。そして、2010年5月までに方針を決めると表明したのである。
 この問題は、鳩山政権と沖縄県民だけが考えなければならない問題ではない。日本に住むすべての人びとが真剣に考え、知恵を出しあい、解決策 を模索すべき問題である。私たちは、普天間移設をめぐる現在の動きを黙視することはできない。私たちは沖縄県民の意思を尊重し、簡単に日米「 合意」に妥協することをしなかった鳩山首相の決断を、その点においては評価する。その上で、次のように日米両政府、及び日本国民に声明する。
 (1)私たちは、辺野古に新しい基地を建設することはもちろん、沖縄県内に普天間基地の機能を移設することに反対する。すでに沖縄には過重 な基地の負担が押し付けられている。これ以上沖縄の負担を増やしてはならない。またこれまで行なわれた住民投票にせよ、各種世論調査にせよ、 県議会選挙や直近の衆院選挙にせよ、沖縄県民の意思は、新基地建設に対して明確に「否」と示されている。日本は民主主義の国であり、選挙で示 された県民の意思は尊重されなければならない。さらに、日米「合意」で基地建設が計画されている大浦湾は、ジュゴンなども棲息する自然豊かな 海域である。地球温暖化への人類全体の対応が迫られている中で、なぜこの貴重な自然を潰して基地を建設しなければならないのか、私たちは納得 のいく説明を聞いたことがない。
 (2)米国は、旧政権との「合意」の確認と履行を新政権に迫っている。しかし、辺野古移設計画は、自民党政権、自民党県政であっても、13 年間、まったく動かすことのできなかった計画である。もともと普天間移設問題は、1995年の海兵隊員による少女暴行事件が発端であり、沖縄 の負担軽減策として、5〜7年以内の全面返還が約束されたものである。それが、いつの間にか県内北部への巨大基地建設へとすりかえられた。沖 縄県民ならずとも、納得できる話ではない。麻生政権は、政権交代を見越して、きわめて不平等性の強い「グアム移転協定」を米国との間で結び、 当時持っていた衆議院3分の2の議席によって強引に採決・批准した。新政権は、この「グアム移転協定」も含め、問題の推移について改めて検証 し、今後の方針について時間をかけて再検討すべきである。米国はその間、圧力をかけるべきではない。
 (3)日米安保に基づく米軍への基地供与は、沖縄にあまりに集中し過ぎている。かりに、現在の日米安保条約体制を前提とする場合であっても 、本土の米軍基地への受け入れの可能性や国外移転を真剣に検討すべきである。
 (4)ただし、日米安保条約は、50年以上も前の米ソ(中)冷戦構造を前提にして作り上げられたものである。冷戦は終結して20年が経ち、 東アジアの国際環境も大きく変わっている。冷戦時代に想定したような大規模な軍事衝突が、近い将来東アジアで発生するとは考えられない(また 仮にそうした軍事衝突が発生したとしても、沖縄の海兵隊基地はまったく役に立たない)。私たちは、冷戦思考から脱却し、周囲の国々との間に信 頼を醸成し、敵のいない東アジア地域を作り上げていくべきときである。その視点からいえば、普天間基地を初めとする沖縄の基地は不要である。 そこで、普天間基地だけではなく、他の基地についてもいずれは撤去を実現することを目指して努力すべきである。私たちは、いま、日米安保条約 体制を見直していく必要があると考える。まずは、日米地位協定からはじめて、新日米ガイドライン(防衛協力の指針)を見直し、続いて鳩山首相 がかつて主張した「常時駐留なき安保」の実現や、さらには安保条約そのものの見直しへと進んでいくべきであろう。


沖縄通信に戻る

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system