☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第83 号(2010年7月)

◆ 目次 ◆
1.6月23日(水)、慰霊の日に「琉球自治共和国連邦独立宣言」が発せられる。
 
2.ヤマトゥはまたも普天間・辺野古を忘れるのか。
 
3.6月14日(月)、沖縄米軍基地に反対するアメリカの市民組織
(The Network for Okinawa)が、日米合意の破棄を求める声明を発表

 


1.6月23日(水)、慰霊の日に「琉球自治共和国連邦独立宣言」が発せられる。

 6月23日(水)の慰霊の日に、松島泰勝、石垣金星両氏が呼びかけ人となり「琉球自治共和国連邦独立宣言」が発せられました。  以下が、「琉球自治共和国連邦独立宣言」です。
 2010年、われわれは「琉球自治共和国連邦」として独立を宣言する。現在、日本国土の0.6%しかない沖縄県は米軍基地の74%を 押し付けられている。これは明らかな差別である。2009年に民主党党首・鳩山由紀夫氏は「最低でも県外」に基地を移設すると琉球人の 前で約束した。政権交代して日本国総理大臣になったが、その約束は本年5月の日米合意で、紙屑のように破り捨てられ、辺野古への新基地 建設が決められた。さらに琉球文化圏の徳之島に米軍訓練を移動しようとしている。日本政府は、琉球弧全体を米国に生贄の羊として差し出 した。日本政府は自国民である琉球人の生命や平和な生活を切り捨て、米国との同盟関係を選んだのだ。
 琉球人は1972年の祖国復帰前から基地の撤去を叫び続けてきたが、今なお米軍基地は琉球人の眼前にある。基地があることによる事件 ・事故は止むことがない。日本国民にとって米軍の基地問題とは何か?琉球人を犠牲にして、すべての日本人は「日本国の平和と繁栄」を正 当化できるのか?われわれの意思や民族としての生きる権利を無視して米軍基地を押し付けることはできない。いまだに米国から自立するこ とができない日本国の配下にあるわれわれ琉球人は、絶えず戦争の脅威におびえ続け、平和に暮らすことができない。
 琉球人はいま、日本国から独立を宣言する。奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島からなる琉球弧の島々は各々が対等な立場で自治 共和国連邦を構成する。琉球は三山時代(14C半ば〜15C初期)を経て、1429年に琉球王国として統一された。その後1609年、 薩摩藩は琉球王国に侵略し、奄美諸島を直轄領とし、琉球王国を間接支配下に置いた。1850年代半ばに琉球王国は米・蘭・仏と修交条約 を結んだ。1872年に日本国は琉球王国を一方的に自国の「琉球藩」と位置づけ、自らの命令に従わなかったという理由で1879年、「 琉球処分」を行い、「琉球王国」を日本国に併合した。その後、琉球王国の支配者たちは清国に亡命して独立闘争を展開した。日本国に属し た期間は1879年から1945年、1972年から2010年までのわずか104年間にすぎない。琉球が独立国であった期間の方がはる かに長いのである。
 太平洋の小さな島嶼国をみると、わずか数万の人口にすぎない島々が独立し国連に加盟している。これらの島嶼国は、民族の自立と自存を 守るために、一人ひとりの島民が「自治的自覚」を持って独立の道を選んだのである。国際法でも「人民の自己決定権」が保障されている。 琉球も日本国から独立できるのは言うまでもない。
 これからも日本政府は、「振興開発」という名目で琉球人を金(カネ)で支配し、辺野古をはじめとする基地建設を進めていくだろう。長 い歴史と文化、そして豊かな自然を有するわが琉球弧は、民族としての誇り、平和な生活、豊かで美しい自然をカネで売り渡すことは決して しない。平和運動の大先達・阿波根昌鴻は「土地は万年、金は一年」と叫び、米軍と闘った。われわれ琉球人は自らの土地をこれ以上、米軍 基地として使わせないために、日本国から独立することを宣言する。そして独立とともに米軍基地を日本国にお返しする。
 2010年6月23日 慰霊の日に
 呼びかけ人 松島泰勝
       石垣金星


6月12日(日)、沖縄平和ネット関西の会で講演する輿石 正さん

 呼びかけ人の一人松島さんは龍谷大学教授で、この『沖縄通信』でしばしば取り上げており「ゆいまーる琉球の自治」の代表です。もうお 一人の石垣さんは「ゆいまーる琉球の自治in西表島」の報告で、ぼくは次のように書いています。
 「今回の集いでは…祖納公民館・石垣金星館長が、八重山諸島、西表島が抱える諸問題と自治の実践について報告しました。ヤマトゥでは 実感できませんが、八重山では公民館長は行政職として権威があり、集落の民衆から信頼される人が就任するとのことです。ぼくは石垣金星 さんとは初対面ですが、書物を通して大柄な人と想像していました。ところが160cmもない小柄な方でした。でも巨人のような人物でし た」(『沖縄通信 65号』2008年12月)と。
 ぼくも「独立宣言」の賛同人の一人に名を連ねていますが、6月22日(火)現在、賛同人は次の方々です。
 前利 潔(沖永良部島)、上勢頭芳徳(竹富島)、内間 豊(久高島)、新元博文(奄美大島宇検村)、高良 勉(沖縄島南風原)、謝花悦子 (わびあいの里)、平 恒次(イリノイ大学名誉教授)、久岡 学(奄美大島龍郷町)、森本眞一郎(1609年を考える奄美三七の会)、山 田隆文(鹿児島在住奄美大島出身者)、照屋みどり(沖縄島豊見城)、本村紀夫(宮古島)、渡名喜守太(琉球弧の先住民族会)、島袋マカ ト陽子(琉球センター・どぅたっち)、勝方=稲福恵子(早稲田大学)、上原成信(一坪反戦関東ブロック)、石坂蔵之助(沖縄市泡瀬)、 喜久里康子(沖縄市民情報センター)、当真嗣清(琉球弧の先住民族会)、島袋 倫(ウチナーグチ振興研究家)、アイヌ・ラマット実行委員 会、藤原良雄(藤原書店)、西川 潤(早稲田大学)、上村英明(市民外交センター)、竹尾茂樹(明治学院大学)、佐藤幸男(富山大学)、 大林 稔(龍谷大学)、西浜楢和(沖縄通信)、中村尚司(龍谷大学)、崔 真碩(広島大学)、手島武雅(先住民族政策研究者)、日比野純 一(FMわぃわぃ)


6月12日の講演会は同志社中学で開かれた。

 松島さんは“自治”とは言うが“独立”とは言わない立ち位置だとぼくは思っていましたから、「独立宣言」が送られて来た時、“ついに ”との思いを強く持ちました。
 宮良長起さんは、松島さんは“自治”と言うが、実はそれは“独立”ではないのかと評価しています。例えば「『琉球の「自治」』(松島 泰勝著)への好意的批判」(『うるまネシア 第9号』2008年10月)の中で、「氏は『太平洋諸島は独立してネットワークを形成し自 立したが、琉球の場合は自治度を深めて…』というようにわざと言葉を濁し(またはすり代え)ているように読める。太平洋島嶼国に学ぶな ら何故『沖縄も同じように独立し、そのネットワークに参画すべきだ』とはっきり言えないのか、それが筆者にはどうにも納得できない。/ しかも、そのすぐ後に(沖縄が自治度を深めて)『内政権、外交権を有するようになれば…』と述べているが」、「琉球の住民が『内政権、 外交権』を獲得すれば、それは太平洋島嶼国が実現したのとまったく同じ『独立』ではないのか」(106ページ)というようにです。『う るまネシア』は、2000年7月に創刊された琉球弧の自立・独立論争誌で、21世紀同人会が発行し現在10号まで発刊されています。平 良 修牧師は同人会の顧問です。
 それとともに、松島さんから賛同人になってほしいとの依頼を受けた時、ぼくは躊躇しました。それはウチナーンチュが自らの営為として “独立”を表明するのに対して、ヤマトンチュとして賛同するとかしないとか言うことは、傲慢ではないのかと考えたからです。
 このような思いがいろいろとよぎりましたが、最終的にぼくは賛同人になることを了承しました。
 そうすると、「独立宣言」発表当日の6月23日に賛同人の一人である勝方=稲福恵子(早稲田大学)?さんから、「独立宣言書への追記 をお願いできないでしょうか?」とのメールが賛同人に届きました。以下がその内容です。
 沖縄に深くコミットしている人たちのやりきれない思いを、「独立宣言」という思い切った行動に表現していただき、深く感謝します。と もかくも動き出すことによって事態を変えなければならないという思いは、賛同者のみんなが共有しているように思います。ただ宣言書の文 言には、少なからず違和感を感じるところもありましたので、この期に及んで恐縮ですが、私の思いを、取り急ぎ言葉にさせていただきたい と思いました。
 違和感の一つは、宣言書の中で、琉球王国に大きなスペースを割いていらっしゃることです。王国の支配によって八重山諸島や宮古諸島な どが抑圧された歴史が頭をよぎり、また封建制や儒教思想によって当然ながら基本的人権など存在しない時代だったことも想起すべきだと思 いました。ですから、そんな琉球王国に懐古的な感慨を抱いているのではないことをはっきりさせた方がいいのではないかと愚考しました。 たとえば、以下の文章を追加するのはいかがでしょうか?
★「もちろん封建制の『琉球王国』に懐旧の念を抱くものではない。私たちの主体性や自治を取り戻すという意味で、『琉球王国』という イメージを借りたまでのことである。」
 また、国家によらない主体性の確立を目指した新川明「反復帰の思想」によって展開された「国民国家を超える思想」や、「被害者である と同時に加害者でもある」という痛恨の思いも沖縄の思想の到達点の一つだと考えます。ですから次の文章もぜひ加えていただきたいと願い ます。
★「もちろん沖縄はただただ被害者であったわけではない。アジアの近隣諸国に対して加害者として加担してきた歴史があることは否めな い。歴史的な主体として立ち上がるときには、わが身の内奥に潜む加害の面や芽にも、自覚的でありたいと考える。だからこそ、基地の存在 そのものによって(驀進する戦闘機を観るにつけても)沖縄もまた加害の立場にあることを痛感し、なおのこと基地を撤廃したいという深い 反戦の意志にもとづいて独立を表明する。」
 独立宣言書は、これからも多いに書き換えられていくものだと理解しています。たとえばネット上で大いに議論するような場を作ってもい いと思います。議論と推敲の余地を残していただけると、収拾がつかなくなるほどに、さらに多くの賛同者が集まると思うのですが。プレス リリースに際して、私の愚考したことが追記と言う形ででも反映されることがあれば、幸甚に存じます。
 以上が勝方=稲福さんからの要望です。
 それに対し、松島さんが以下のように返答されました。
 この度は、大変お世話になっております。また先生の率直な思い、違和感をお伝えくださいまして、感謝します。
 第一の違和感につきまして:
 私は石垣島で生まれ、これまで沖縄島中心のものの考え方を『琉球の「自治」』等で批判してきました。独立宣言でも「沖縄、沖縄人」を 使わず、「琉球、琉球人」を使っているのもそのためです。
 本宣言では「王国」を全面的にだしたのは、現在の沖縄県という従属的な状態が時期的に短く、異常な自体であることを強調するためでし た。
 第二の違和感につきまして:
 日本国という「国民国家」を超えるために独立宣言をし、今後、独立運動を世界的に展開していきたいと考えています。私は近代国民国家 の再生産ではなく、琉球らしい海洋島嶼国の形成を目指しております。
 これまでの琉球の社会科学研究は、琉球が日本の一部であることを前提に研究がすすめられてきましたが、世界の島嶼国との比較、琉球が 独立国になるための過程論、独立後の経済運営のシュミレーション、島嶼国型国家のネットワーク論等、琉球が日本国とは別の政治体(つま り国)であることを土台にした、客観的で具体的な研究があまりありません。小生は、そのような研究も進めつつ、その研究成果を踏まえて 独立のムーブメントをつくることができればと思っています。
 琉球には加害者としての側面があることは承知しております。自らの被害者性を主張するだけでなく、加害者としての側面を乗り越えなけ ればなりません。現在の最大の加害者性は、琉球に基地が存在していることです。その基地を撤去するには、日本国から独立しかないと思っ たゆえに、独立宣言を呼び掛けさせていただきました。
 琉球独立については多くの思い、ご意見があり、それを巡る議論も活発であっていいと思います。さらに、多くの独立宣言が琉球人から出 され、独立運動が盛んになることも重要です。
 勝方=稲福先生以外にも、ほかにお二人から語句や文章の修正や追加のご提案を頂戴しております。
 「本独立宣言」の原文に基づいて、賛同者を呼び掛けさせていただき、日本政府やマスコミへの送付を行い、英語・中国語・仏語の翻訳を 進めております。当分は、オリジナルの独立宣言をもとに、運動を展開させていただけましたら幸いです。
 一枚紙におさまる簡潔で、力強い宣言にしたかったので、あのような形になりました。先生のご意見や違和感については私も全面的に同意 しております。
 独立国の中味を考えるとき、そして、新しいバージョンの独立宣言を書く必要がでたときにご参考にさせていただきたいと思います。
 昨日以来、賛同人の申し込みが何件か来ております。また独立宣言を昨日アップしたブログ「ゆいまーる琉球の自治」に約150人の人が アクセスしました。
 今後ともお世話になるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
                                     以上が松島さんの返答です。
 ぼくが『沖縄通信』に掲載してもいいかどうかをお二人に問い合わせたところ、勝方=稲福さんから「私の文章は考える時間もなく感覚的 に反応しただけの拙いものですが、松島先生が応答された部分はたいへん貴重なご意見だと思いますので、『独立宣言』の厚みや深さを知っ てもらうためにも、広く知らしめる必要があるのではないかと考えます。松島先生のお考えに従います。どうぞ宜しくお願いいたします」と の返答をいただきました。
 以上、松島・勝方=稲福往復書簡を掲載しましたが、実に深い内容を含んでいます。ぼくも今後一層考察を進めていきます。


2.ヤマトゥはまたも普天間・辺野古を忘れるのか。

 6月2日(水)鳩山辞任⇒6月4日(金)菅首相選出という流れの中で、普天間・辺野古が急速に置いてけぼりになっています。例えば、 6月8日(火)〜9日(水)、朝日新聞が実施した全国緊急世論調査では、「沖縄にあるアメリカ軍の普天間飛行場の移設問題についてうか がいます。菅首相は、普天間飛行場を沖縄県名護市に移設するとした、日本とアメリカ両政府の合意を踏まえて対応するとしています。菅首 相のこの姿勢を評価しますか。評価しませんか」との質問に、評価するが49%、評価しないが26%となっています(『朝日新聞』6月1 0日付)。同じ6月8日(火)〜9日(水)に共同通信社が実施した全国緊急世論調査では、「米軍普天間飛行場を名護市辺野古崎に移設す る日米合意を踏まえて対応するとした菅首相の方針を評価しますか。評価しませんか」との質問に、評価するが52.2%、評価しないが3 4.5%となっています(『沖縄タイムス』6月10日付)。
 そして、6月9日(水)付『朝日新聞』の「朝日川柳」欄には、
  紙面からもう沖縄の記事が消え(茅ヶ崎市 古田哲弥)
との川柳が載っています。


首相に怒号「なぜ感謝」(『沖縄タイムス』6月24日付)

 さて、6月23日(水)沖縄全戦没者慰霊追悼式に参列した菅首相は、沖縄の負担がアジア太平洋地域の平和と安定につながっているとの 考えを開陳し、「素直にお礼の気持ちも表わさせていただきたい」と発言しました。菅首相が「口にした場違いな基地負担への感謝発言に、 参列者からは『冗談じゃない』との怒号も飛ぶなど県民との意識の落差が浮き彫りになった」(6月24日付)と『沖縄タイムス』は報じて います。さらに「『いやだと言っている基地負担をなぜ感謝されないといけないの』『米国の軍事植民地をこれ以上我慢しろということか』 」、「菅首相が会場に入る際には普天間移設に反対する市民団体が抗議した。また、来賓あいさつで登壇した際には『帰れ』とヤジを飛ばし た男性が関係者に制止され、会場から連れ出される場面も。あいさつ終了後の拍手は淡々としたものだった」とも伝えています。


6月20日(日)、教区沖縄交流・連帯委員会講演会で挨拶する筆者

 6月23日(水)にはこういうこともあったのです。ぼくはここに書かれているテレビ番組のことは知らなかったのですが、オピニオン欄 への次の投稿記事を見てください。
 6月「23日付本紙(注:沖縄タイムスのこと)『社説』で…沖縄戦のさなかに本土では非公開ながら大相撲興行があったことを知り、二 重の衝撃に打ちのめされています。二重というのは同日のNHK総合テレビ番組『あさイチ』で“まじめに考えるセックスレス”と銘打った 放送がなされていたからです。
 23日…は『慰霊の日』です。それにもかかわらず本土の公共放送では朝から性の問題をまじめに考えようというのですから『まじめに考 えることが違うのでは』と皮肉の一つも言いたくなります。NHKは8月15日の終戦記念日にも同様の内容の放送を行うことができるので しょうか。
 日本の政治家、マスコミをはじめとする本土の人々の沖縄に対する無知・無関心・無配慮ぶりを痛感させられる…」(山崎和美=59歳  那覇市、主婦)と。
 追悼式の翌日6月24日(木)に参議院選挙が公示されました。あまり論及されていませんが、実に重大な出来事が起こりました。鳩山が (政治とカネと)普天間問題で辞任した直後の国政選挙で、その選挙区に政権与党の民主党が候補者を擁立しない、出来ないということです 。民主党が候補者を擁立していない選挙区は沖縄だけなのです。菅首相がどれだけ沖縄を取り組むと発言しても、民意を直接選挙で問うこと を出来ずして、何をかいわんやです。
 5月の日米合意で「いかなる場合でも専門家による(工法などの)検討を8月末までに完了させる」と明記しましたが、「8月末の期限が 再び政権の“時限爆弾”となる危険性は否めない」(『沖縄タイムス』6月29日付)とマスコミも報じています。


3.6月14日(月)、沖縄米軍基地に反対するアメリカの市民組織
(The Network for Okinawa)が、日米合意の破棄を求める声明を発表

 沖縄米軍基地に反対する米国の市民組織The Network for Okinawaは、6月14日(月)、普天間基地の辺野古移転などを再確認した日米 合意の破棄を求める声明を発表しました。
 The Network for Okinawaは、4月25日の県民大会にメッセージを寄こした団体で、「沖縄の民主主義と環境保護を支持する何10万人 ものアメリカ人と世界中の人々を代表する。われわれの草の根のネットワークは、アメリカと世界の平和・環境団体、宗教的奉仕活動団体、 大学・研究機関やシンクタンクの代表者を結びつける」と自らを紹介しています。
 以下はその全文です。
 われわれ「ネットワーク・フォー・沖縄」は、5月28日に発表された日米安全保障協議委員会の合同声明に強く反対する。この声明に よって日米両政府は、普天間空軍基地の「代替施設」として沖縄の辺野古に1,800メートルに及ぶ滑走路を建設し、訓練の一部を徳之 島に移転する意図を再確認した(注:英語版には滑走路が複数になる可能性が明記されている。V字案等の可能性を残すためであろう)。 第二次大戦末期の沖縄戦により、市民の4分の1にあたる10万人をも失った沖縄県民は、敗戦後の米軍占領時代を通じて主権も人権も自 由も奪われていたが、復帰後38年経った今なお、この状態は変わっていない。沖縄は日本の国土の0.6%を占めるにすぎないのに、不 法に取り上げられた県内の土地に在日米軍基地の74%が置かれている。


6月20日の講師は垣花義盛さん

 新基地の建設は民主主義の理念に反し、環境を脅かし、日本にとっても米国にとっても安全保障の向上とはならない。
米政府は3月に、基地建設には現地の人々の同意が必要であるとの意向を再表明した。実際は過去13年に亘り、沖縄県民は「普天間移設 」の名目で進められようとしている米軍基地の拡大に反対し、かつこれを阻止してきており、現在沖縄の抵抗はかつてない強いものとなっ ている。5月28日から30日の間に毎日新聞が沖縄で行った世論調査によると、実に県民の84%が辺野古の新基地建設に反対している 。さらに、91%が沖縄の基地を減らしてほしい、またはなくしてほしいと考えており、?71%が沖縄に海兵隊は必要ないとしている。
 4月25日の県民大会には9万人の沖縄県民・仲井眞県知事・全ての自治体の市町村長・県議会議員・そして一人を除き全ての沖縄選出 国会議員が集まり、普天間基地の無条件閉鎖と県内の新基地建設反対を訴えた。5月16日には1万7千人が普天間基地を人間の鎖で囲ん だ。辺野古では住民たちが2,200日以上も座り込みを続けている。基地受け入れにともなう「経済振興策」によって利益を得るはずの 地元経済界のリーダーでさえもが、受け入れにより「県民のプライド、自尊心、自立」を犠牲にすることを拒否しているのだ。
 6月5日、日本の菅直人・新首相とオバマ大統領が初めて電話で会談し、元・市民活動家であるという両者の共通点を認め合った。それに も拘わらず、同じ会話の中で、沖縄市民の圧倒的な反対を無視した二国間合意、すなわち辺野古新基地建設の実現に向けての努力を表明し ている。


6月20日のテーマは「琉球の広さと深さ」

 人間のためだけではなく、他の種や海のためにも基地拡大は阻止しなければいけない。日米両国が大規模な最新型軍事施設(事故を起こ し易いオスプレー・ヘリコプターを配備予定)を建設しようとしている辺野古は、独特な扇形をした大浦湾岸に位置している。この湾には 湿地・海草・サンゴ・マングローブなどの複雑で豊かな生態系が互いに関わり合い、壊れやすいバランスを保ちながら生存している。これ らの生物多様性を保持するには、森・川・海の組み合わせが大切なのだ。この一帯は絶滅の危機にある海洋ほ乳動物ジュゴンを含む多種多 様な海洋生物の生息地である。2008年1月、米国サンフランシスコの地方裁判所は、沖縄の貴重な文化や歴史的遺産であるジュゴンに 基地建設がもたらす影響を国防総省が考慮しなかったとし、文化財保護法に違反しているとの判決を下した。4月24日、鳩山由起夫首相 は「辺野古の海を埋め立てるのは、自然に対する冒涜だ」と言った。
 沖縄の海兵隊の存在に戦略的価値はない。日米安保条約は日本の米国海兵隊への基地提供を義務づけていない。沖縄の米海兵隊の多くは 日本や沖縄を守るのではなく、イラクやアフガニスタンで戦っているのだ。海兵隊の沖縄での訓練は、多くの日本人が信じ込まされている ような「日本を守る」という建前とは全く関係ない目的で行われているのである。同様に、グアムでの基地拡大も環境的・社会的破壊を伴 うもので、海兵隊はこのような計画を正当化するような役割を果たし得ない。
「ネットワーク・フォー・沖縄」は米国大統領と日本の総理大臣に対し、二国間合意を変更し、普天間の土地を本来の持ち主に返還し、新 たな軍事施設の建設計画を撤回するよう求める。われわれは、オバマ大統領が今年5月「国家安全保障戦略」の中で述べた「アジア諸国の 人々の基本的権利と尊厳を尊重し、維持する」という考えを沖縄県民にも確実に適用することを強く要求する。
 2010年6月14日
 ネットワーク・フォー・沖縄

 

 

 

 

 

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