☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第86 号(2010年10月)

◆ 目次 ◆
1.9月14日(火)、沖縄から新垣 勉弁護士が奈良に来県。
講演会「沖縄の米軍基地問題をどのように考えるか−沖縄で生きる弁護士として−」

 
2.沖縄の自己決定権をめぐって

 
3.名護市議会選挙で基地反対派が圧勝する

 


1.1.9月14日(火)、沖縄から新垣 勉弁護士が奈良に来県。
講演会「沖縄の米軍基地問題をどのように考えるか−沖縄で生きる弁護士として−」

 9月14日(火)、奈良弁護士会の主催で「沖縄の米軍基地問題をどのように考えるか−沖縄で生きる弁護士として−」と題した学 習会が開かれました。講師は、同姓同名の歌手もいますが新垣 勉弁護士です。ぼくは沖縄在住中、小泉靖国参拝訴訟などの傍聴で新 垣弁護士をよくお見かけしました(しかし、新垣弁護士はぼくのことはご存知ありません)。
 新垣弁護士は1946年生まれのウチナーンチュ、1968年中央大学卒業ですからぼくと同世代です。1973年に弁護士登録後、 反戦地主弁護団、代理署名拒否訴訟大田知事弁護団に加わりました。2003年度には沖縄弁護士会会長を務め、現在、日本弁護士連 合会有事法制問題対策本部副本部長、日米地位協定改定の実現を求めるNGO事務局長、普天間基地爆音訴訟弁護団団長の任にあり、 文字通り沖縄を代表する人権派弁護士の一人です。
 講演で、新垣弁護士は概ね次のように話されました。



新垣 勉弁護士(その1)

 沖縄の米軍基地問題を考えるのに重要な3つの視点がある。
 一つめは、歴史的視点で考える見方である。沖縄は琉球という独自の文化と国家を持っていたが、薩摩の侵略、さらに明治政府によ る琉球処分を受けた。今、沖縄ではまたも日本は沖縄を差別するのかという意見が多く出されている。差別と不平等とは異なる。差別 とは、○第三者、他者の意識、○蔑視、○不利益処分という3つが備わっているのに対し、不平等とは、自分と同じ立場にあるが自分 と異なる扱いを受けている場合にいう。そうした点から見て、薩摩や明治政府の行為は差別処分であった。この視点は、戦後の米軍支 配も、差別という観点からその駐留を認めているのではないかと見るものだ。
 私は本土で話す時には、あまり強調しないようにしているが、実は沖縄ではこのような視点から考える見方は多い。
 二つめは、沖縄戦の体験と米軍統治下の体験で考える視点である。沖縄戦とその後の27年間にわたる米軍支配から現在の米軍基地 問題を考えるというものである。私もこのような視点から捉えている。沖縄の人は、沖縄戦で日本軍は地域住民を守らないことを実感 した。軍隊は自らの身を守ることを優先して地域住民を守ることは全くしなかった。軍隊が守るのは国家であって国民ではない。この 戦争体験が県民の多くに残り、一人一人の命を守り抜くことが最も大切だと考えるようになった。“命ドゥ宝”である。
 三つめは、復帰後の体験から今の米軍基地問題を考える視点である。これは、平和憲法の下に復帰した後、米軍基地が沖縄に集中し たことを安保条約、憲法からみる立場である。
 − 以上、この三つの視点があって、互いに絡み合っている。
 日本にとって米軍駐留は必要なのか、という議論が本土からは全く聞こえてこない。必要だとの前提に立って、初めて沖縄の米軍基 地問題が語られるわけだ。しかし、この前提については語られなかった。



新垣 勉弁護士(その2)

 次に、普天間基地の移設問題についてだが、これも3つのレベルの性格を有している。
 一つは、普天間基地は日本に存在する米軍基地の一つであって、そもそも米軍が駐留する必要はないのだから撤去せよ、という安保 条約反対の視点からの基地撤去である。この考え方は本土の運動団体に多い。
 二つは、0.6%の国土に米軍専用施設の74.3%が集中している、この現実。沖縄への米軍基地集中という不平等から、普天間 基地は撤去せよという視点である。
 三つは、日本に米軍基地はあってもいい、沖縄に米軍基地はあってもいい。しかし、世界一危険な普天間基地(欠陥基地)はなくし てほしい、危険性を除去せよ、という視点である。
 どのレベルで普天間基地問題を考えるかといえば、
(1)の立場は基地の無条件撤去で、移設条件それ自体に反対である。国外撤去である。
(2)は安保条約の是非は問わない。県外・国外移設である。
(3)は無条件の閉鎖・撤去で、移設条件それ自体に反対、となる。
 この3つのどの視点であっても、沖縄では県内移設は支持されていない。80%以上の県民が県内に代替基地を作るのは無理だと思 っている。
 沖縄の米軍基地問題を考える時に、日本の安全のために米軍は必要だと言われ続けてきた。その理由として日米安保条約があるから だと。この日米安保は、昔は「安保体制」と呼ばれてきたが、鈴木・レーガン会談(1981年)から、さらには1996年の日米共 同宣言から顕著に「日米同盟」と言われるようになった。極東の安全から、アジア・太平洋圏の安全へ、そして9・11以降、今や世 界の平和と安全のために日米同盟を強化する、米軍は日本に駐留すると言われる。そして、日米同盟の維持・深化のために海兵隊が必 要なのだと。ところが米軍基地の実態は、基地被害(生活破壊、人権侵害)、地域負担、自治権侵害なのだ。
 普天間飛行場は住宅密集地の真ん中にあり、多くの市民が巻き込まれる事故が起きる可能性がある。現に2004年8月、普天間飛 行場を飛び立った米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落するという事件が起こった。住民の安全を守るのが安全保障だ。どうして年間2万〜 3万回の騒音が発生し住民の安全を損ない続けているのに、米軍が安全保障のために必要だと言えるのか。自分の暮らしや身の周りか ら安全保障とは何かを考え直さなければならない。
 このように新垣弁護士は語られました。口調はあくまでも穏やかですが、ヤマトンチュへの突きつけも節々で語られていました。新 垣弁護士が「本土」と言われる時の単語を、ぼくはヤマトゥ、ヤマトンチュと言いかえて捉えるべきだと思います。この日の講演はと ても良いものでした。


2.沖縄の自己決定権をめぐって

 大阪市立大学大学院共生社会研究会の夏季一泊セミナーで、ぼくは「“県外・国外移設”に示される沖縄の思想を検証する」との発 表をおこなったことは前号の『沖縄通信』第85号で報告しました。
 今度は9月25日(土)に開かれた共生社会研究会で、「沖縄の自己決定権をめぐって」をテーマに発表しました。以下はそのレポ ートです。



第19回ヒューマンライツセミナーで基調を話す武者小路公秀さん(9月3日)

 夏季一泊セミナーでは「“県外・国外移設”に示される沖縄の思想を検証する」と題して発表した。そこでは、「県外移設」と沖縄 差別が同時に意識されてきたところに、今日の沖縄の思想の大きな特徴(=意義)があることを解明したが、ここでは、「沖縄の自己 決定権」という観点からその思想を分析してみる。
 まず、国連における先住民族の権利をめぐる経過を見よう。(下線は沖縄での出来事)
1982年 市民外交センターが設立される。
1986年 中曽根首相が「単一民族国家」発言
1993年 国連が国際先住民年と定める。(2004年まで、世界の先住民の10年)
1995年(9月4日)米兵3名による少女レイプ事件が起こる。
1996年(1月14日)日本が人種差別撤廃条約を批准(国連での採択は1965年)。
1996年(7月)松島泰勝が国連先住民作業部会に参加する。
 松島泰勝は現在、龍谷大学教授。この時は早稲田大学大学院の院生であった。
1996年(12月2日) SACO最終報告で代替施設建設
1997年(12月21日) 名護市民投票で建設反対が多数。
1999年 「琉球弧の先住民族会」(AIPR)が結成される。
2001年(9月13日)人種差別撤廃委員会から日本政府への勧告が出る。
 この勧告は次の通りである。
 「委員会は、人口の民族的構成比を決定することに伴う問題に関する締約国(=日本)の意見に留意する一方、報告の中にこの点に 関する情報が欠けていることを見い出している。委員会の報告ガイドラインにおいて要請されているように、人口の民族的構成比につ いての完全な詳細、特に、韓国・朝鮮人マイノリティ、部落民及び沖縄のコミュニティを含む本条約の適用範囲によってカバーされて いるすべてのマイノリティの状況を反映した経済的及び社会的指標に関する情報を次回報告の中で提供するよう、締約国に勧告する。 沖縄の住民は、特定の民族的集団として認識されることを求めており、また、現在の島の状況が沖縄の住民に対する差別的行為につな がっていると主張している」。
 この勧告で、人種差別撤廃委員会は在日コリアン、部落民、琉球・沖縄人の人口構成比などの報告を日本政府に求めたのである。
2003年(11月16日) ラムズフェルドが普天間基地を視察
2004年(4月19日) 那覇防衛施設局が辺野古沖で現地調査を開始
2004年(8月13日) 沖縄国際大に米軍ヘリが墜落
2005年(7月)ドゥドゥ・ディエン(「現代的形態の人種主義・人種差別、外国人嫌悪および関連する不寛容に関する特別報告者 」)が来日
2006年(1月)ドゥドゥ・ディエンが「日本における人権、民族、外国人嫌悪
およびそれらに関連する不寛容に関する報告書」を国連人権委員会に提出す
る 。⇒(5月)来沖 ⇒(11月6日)ディエンによる年次報告書が出る。 
 ディエンによる年次報告書は次の通りである。
 「14世紀から沖縄の人々により維持されてきた『琉球王国』は日本政府に征服され、併合された。
 沖縄の人々が現在耐え忍んでいる最も深刻な差別は…日本政府が『公益』の名のもとに米軍基地の存在を正当化していることである。 その結果、沖縄の人々のなかには、恒常的な人権侵害に終止符を打つために沖縄が独立領になることを望む者もいる」。
 ディエンはこの報告書の中で、日本政府が琉球王国を征服、併合したと認定し、米軍基地の存在が沖縄の人々に対する最も深刻な差 別だとしている。
2006年(5月1日) 在日米軍再編最終報告合意
2007年(9月13日)先住民族の権利に関する国連宣言
2008年 人権理事会の補助機関として「先住民族に関する専門家機構」が設立される。
2008年(6月6日)「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆参両
院で採択される。ただし、決議文に政府の謝罪の文言はない。
2008年(6月8日) 沖縄県議会で与野党が逆転


パネルディスカッション(9月3日)

2008年(10月30日)自由権規約委員会から日本政府への勧告が出る。
 この勧告は次の通りである。
 「締約国(=日本)が正式にアイヌの人々および琉球・沖縄の人々を特別な権利と保護を付与される先住民族と公式に認めていない ことに懸念を持って留意する。
 締約国は、国内法によってアイヌの人々および琉球・沖縄の人々を先住民族として正式に認め、彼らの文化遺産及び伝統的生活様式 を保護し、保存し、促進し、彼らの土地の権利を認めるべきである。締約国はアイヌの人々および琉球・沖縄の人々の児童が彼らの言 語で、あるいは彼らの言語及び文化について教育を受ける適切な機会を提供し、通常の教育課程にアイヌの人々および琉球・沖縄の人 々の文化及び歴史を含めるべきである」。
 このように、国連が琉球民族を先住民と規定したことについて、『沖縄タイムス』(2008年11月1日付)は次のように報じた。
「国連『琉球民族は先住民』/人権委認定/文化保護策を日本に勧告
 国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は(10月)30日、日本政府に対して『アイヌ民族および琉球民族を国内立 法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること』と勧告する審査報告書を発表した。同委員会の 対日審査は1998年以来、10年ぶりで、人種差別・マイノリティーの権利として『琉球民族』が明記されるのは初めて。
 勧告では、『彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十 分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ・琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ』と求めている。
 国内の人種差別問題などで同委員会の委員らに働き掛けてきた反差別国際運動日本委員会は『日本政府はこれを重く受け止めて、国 際人権基準に合致した履行に努めることが求められる』と評価した。(後略)」
2009年(2月17日) グアム移転協定に署名
2009年(8月30日) 政権交代
2010年(1月24日) 名護市長選に稲嶺 進が当選
2010年(2月24日) 県議会「国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で採決
2010年(2月24〜25日)人種差別撤廃委員会が開催される。
 日本からの第3・4・5・6報告書を審査した(これは2001年に審査をおこなって以来2回目のことである)。
 人種差別撤廃委員会は、報告書審議に先立つ「事前質問」において、日本政府に次の諸点に対する回答を求めていた。
「@『沖縄の住民』を先住民族または民族的少数者とみなしていない理由
A『沖縄の住民』の文化的伝統や生活様式の保護・保存・促進するための措置
B『沖縄の住民』の土地に対する権利を認める措置の有無
C『先住民族』の概念の理解」
 これに対し、日本政府はおおむね次のような回答をした。
「@沖縄に居住する人または沖縄県出身者は日本国民である。
A日本では、自己の文化を享受し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、自己の言語を使用する権利は否定されてはおらず、これを前提 として、沖縄の文化的伝統・生活様式に関して、沖縄振興計画に基づき、これを保存し、活用し、振興する措置をとっている。
B『沖縄に居住する人または沖縄県出身者』の土地に対する権利を認める特別な措置は存在しない。
C『先住民族』の概念については、『先住民族の権利に関する国連宣言』においても定義についての記述はなく、日本の国内法にお いても確立した定義はない」。
 この日本政府の回答は、回答になっていないこと一目瞭然であろう。
 一方、琉球弧の先住民族会は次のように主張した。
 「琉球・沖縄は、かつて『琉球王国』という独立国であったが、1879年に日本政府によって強制的に併合された。これは『条 約法に関するウィーン条約』第51条違反の可能性がある。
 さらに戦後、米軍に沖縄人の土地を強制接収された。これは1907年に合意された『ハーグ陸戦法規』違反である」。
 ここで、「条約法に関するウィーン条約」を見ておく。
 この条約は、1980年、オーストリアの首都ウィーンで合意された国際条約で、「条約」そのものを定義するために作られた「条 約の為の条約」といえる。この第51条(国の代表者に対する強制)には、「条約に拘束されることについての国の同意の表明は、 当該国の代表者に対する行為又は脅迫による強制の結果行われたものである場合には、いかなる法的効果も有しない」とある。
 また、「ハーグ陸戦法規 第四六條」には、「私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス」とある。
2010年(3月16日)人種差別撤廃委員会が日本に対する勧告を出す。
 この勧告は次の通りである。
 「委員会は、沖縄の独自性について当然払うべき認識に関する締約国(=日 本)の態度を遺憾に思うとともに、沖縄の人々が被っている根強い差別に懸念 を表明する。沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、 文化的権利の享受を妨げている、人種主義・人種差別に関する特別報告者(デ ィエンのこと)の分析をさらに繰り返し強調する。
 委員会は締約国に対し、沖縄の人びとが被っている差別を監視し、彼らの権 利を推進し、適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人び ととの代表と幅広い協議を行うよう奨励する」。
 ここで勧告している「沖縄の人びと」とは複数形であって、ひとり知事とだ け協議をすればよいというものではなく、各界の「代表と幅広い協議を行う」 ことを求めているのである。
2010年(4月25日) 国外・県外移設を求める県民大会に9万人が参集
2010年(5月28日) 辺野古回帰の日米合意
 以上、先住民族の権利をめぐる経過を見てきた。


9月12日 第36回エイサー祭り

 さて、先住民族とは何か。
 独自の文化や言語を持ち歴史を育んできた民族(=琉球民族)が近代国家(=明治政府)によって一方的に領土を征服され(=1 879年 琉球処分)、言語の禁止(=方言札!)を始めとする同化政策によって一方的に国民として統合され(=皇民化政策、施 政権返還)構造的な差別(=米軍基地の集中)が継続している民族のことをいう。この定義からすれば、琉球民族は紛れもなく先住 民族である。
 国連の推計では、世界中に現存する先住民族は、言語や文化的差異、あるいは地理的分離によって少なくとも5,000のグルー プがあり、その人口は約3億人、70ヶ国以上の国々に住んでいる。
 次に、独立国における原住民及び種族民に関する条約であるILO169号条約をみよう。
「1 この条約は次のものに適用する。
(a)独立国における種族民族であって、その社会的、文化的及び経済的な条件が、その国民社会の他の部分とは異なり、かつその 地位が全部又は一部それ自身の慣習もしくは伝統、又は特別の法律もしくは規定によって規定されている者。
(b)独立国における民族であって、征服もしくは植民地化又は現在の国境が画定されたときに、その国又は国の属する地域に居住 していた住民の子孫であるために先住民族とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び 政治的制度の一部又は全部を保持している者。
2 先住民族又は種族民としての自己認識が、この条約の規定が適用される手段を決定するための根本的な基準と見なされるべきで ある」と。
 それ故、近代国家が「国民形成」の各目のもとで、「野蛮・未開」と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民 族の存在や文化を受け入れることなく、さまざまな形の「同化主義」を手段としてその集団を植民地支配した結果生じた人々が「先 住民族」と呼ばれうる民族的集団なのである。
 どの民族が先に住んでいたのかという「先住性(indigenousness)」は、「先住民族」の資格要件の一つにすぎない。先住か、後 住か、ということは問題ではなく、植民地支配や同化政策が行われていたか、が重要である。
 ところが、自由権規約委員会勧告や人種差別撤廃委員会勧告についての報道は、地元2紙の扱い方も普天間や辺野古など基地問題 に比べると極端に少なく(ヤマトゥのマスコミは全く取り上げず)、琉球・沖縄内部でも先住民族の権利という概念が受け入れられ るのは、中々容易ではないのが実状である。
 しかしながら、「県外移設」と沖縄差別という思想の先には先住民族の権利すなわち、沖縄の自己決定権が大きくはばたいていく ことが予想される。
 以上が「沖縄の自己決定権をめぐって」のレポートです。


3.名護市議会選挙で基地反対派が圧勝する。

9月12日(日)、名護市議会選挙で基地反対派が圧勝しました。次に紹介する記事は10月20日付『朝日新聞』の「記者有論」 欄に掲載された、那覇総局のヤマトンチュ記者・松川敦志さんの自戒も込めたもので、一読に値します。長文ですが引用します。


9月12日 名護市議選開票風景(「海鳴りの島から」より)

 「(前略)市長と市議会がそろって(移設)容認の立場をとってきた名護市が今年、なぜこれほどまでに急激に変わったのか。沖 縄に勤務して1年半たつ私も、読みの甘さを突きつけられた。
 『利権構造はもういい』『市長は2人もいらない』。思い返せば9月の市議選の最中、こんな言葉を耳にしていた。
 移設容認の前市長時代、市議会では市発注工事の入札をめぐる談合疑惑がしばしば浮上した。一例を挙げると、基地がらみの振興 予算を原資に、辺野古近くの集落に今年できた食堂・売店施設で、建設費は約4億円。工事の大部分を受注したのは前市長の後援会 幹部でもある土建業者で、入札額は非公開の最低制限価格と0.004%しか違わなかった。
 『偶然なんてだれも思わん。結局おいしい思いをしているには一部の連中だ。もう好き勝手させない』と市内の別の業者は怒る。 4年前の市長選までは容認派を支持。今も移設への期待を胸に秘めるが、前市長周辺への反発から、今年の市長選、市議選とも稲嶺 氏を支援した。
 普天間の移設先にあがって以降、名護市には基地関連で400億円以上の振興費が入った。だが、失業率は一向に改善せず、商店 街は寂れる一方。売り上げ不振から1年以上店を閉めている商店主は『ハコモノづくりばかりで、街づくりじゃない。だれが幅を利 かせているのかみんな知っている』。
 政権交代前は、自公政権が移設を進めるため党を挙げて容認派市長を支援してきた。市長を守るために金を出し続ける政府と、公 共事業のため票を集める業者がもたれ合う構図。一部の業界ボスに『陰の市長』と呼ばれるほどの力を持たせたのが、多額の振興費 の投入で基地受け入れを迫ってきた移設政策そのものだ。そんな勢力の影響力を、多くの人が過大評価していた。
 投開票日夜、大勢が判明する前から、前市長の事務所では陣営幹部らが勝利を確信し泡盛を酌み交わしていた。実は私も、前市長 派の善戦を予想していた。政府機関や自治体、メディアなどの関係者の大半は同様の見方をしていたが、結果は11対16。容認、 反対の立場を超えた反発の広がりに気づいていなかった。
 2度の選挙で噴き出したのは、ほとんどの人が見逃していた不満のマグマだったのかもしれない。そして変化の風は、地元の人が 悲憤交じりに「アメとムチ」と呼ぶ国の移設政策そのものへも吹きつけているように思う。同じ手法はこの先、もう通用しないだろ う」。


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