☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第87 号(2010年11月)

◆ 目次 ◆
1.教団総会を前にした10月3日(日)、
「ヤマトゥ(教団)はいつまで沖縄(教区)を踏みつけるのかパネルディスカッション」を開く。

 
2.10月26日(火)〜28日(木)、日本キリスト教団第37回総会が開かれる。
「米軍再編に抗議し、軍事基地撤去を求める声明」を表明することに
反対する教団とは、一体全体何者だ!

 


 


1.教団総会を前にした10月3日(日)、
「ヤマトゥ(教団)はいつまで沖縄(教区)を踏みつけるのかパネルディスカッション」を開く。

 ぼくが委員長を務める大阪教区沖縄交流・連帯委員会の主催で、10月3日(日)午後2時30分より東梅田教会 において「ヤマトゥ(教団)はいつまで沖縄(教区)を踏みつけるのかパネルディスカッション」を開催しました。 ヤマトゥの背後に日本キリスト教団が見え隠れし、沖縄の背後に沖縄教区が見え隠れするところから、この集会名称 となりました。また、この集会の開催は、名称変更議案が廃案となって以降、沖縄教区が欠席している教団総会が間 近に迫っていることも意識してのことです。
 パネルディスカッションのパネラーは3人。沖縄で牧会していたヤマトンチュの大澤星一さん(西大和教会牧師)、 ヤマトゥで牧会しているウチナーンチュの 上地 武さん(大正めぐみ教会牧師)、元・教団合同特設委員会委員の小 柳伸顕さん(無任所牧師)で、コーディネーターはぼくが担当しました。


会場風景

 以下に概要を報告します。
 しかし常にそうですが、内容は完璧なものではなく、各パネラーの方、発言いただいた方の想いと違った表現にな っているかも知れません。その点お許しください。文責はすべてぼくにあります。
 パネルディスカッションの第1部は、
@ 2002年10月の教団第33回総会時、あなたはどこにいましたか。
A 名称変更議案の審議未了・廃案を知った時の感想は。
B 第33回総会を受けて、沖縄教区が「しばらくの間、教団と距離を置く」と決めたことをどのように評価しました か。
C 沖縄教区に距離を置かさせてしまって以降、(われわれを含む)教団はどのような歩みをしてきましたか。
D 名称変更議案の審議未了・廃案は、結局、教団史の中でどういうものだったのでしょうか。
 について発言を求めました。



パネラーの大澤星一牧師

(パネラー:大澤さん)1999年から2006年3月まで沖縄の西原教会で牧師をしていた。第33回総会時、沖 縄教区の書記の任にあり議員として教団総会会場にいた。名称変更議案は1998年の第31回総会に沖縄教区より 提案されていた。継続、継続でこの33回総会に至った。そして、名称変更議案は総会終了時間の20分ほど前にな ってやっと上程された。この議案に関連するものが7〜8本ほどあった。結果、審議未了・廃案となった。山里・沖 縄教区議長は「もうみなさんと会うことはないでしょう、さようなら」と言って総会会場をあとにした。山里教区議 長、大城副議長を前にして、帰路空港で声をあげて泣いたことを覚えている。しかし、沖縄教区の「しばらくの間、 教団と距離を置く」との声明は、「袂を分かつ」としか受け止められていないのが実情だ。
(パネラー:上地さん)当時、関東の水海道教会にいた。31回と32回総会は傍聴参加したが33回は行ってない。 PCで状況を見ていた。大正区に来て間がなかったが、総会の様子を見て、もしかして沖縄に帰らなければならない かなぁと考えたこともあった。沖縄に帰るのは簡単だが、しかしこのヤマトゥに居て訴え続けていくことが大事だと、 沖縄交流委員会の委員長と話をするなどの中から、思うに至った。


パネラーの小柳伸顕牧師

(パネラー:小柳さん)1965年、岡村昭彦さんが書いたベトナム戦争の記事の中に「日本の反戦運動は沖縄が抜 けている」というのがあり、それから沖縄を意識的に考えるようになった。沖縄を初めて訪れたのは1974年。反 万博闘争をやった関係から、沖縄のキリスト教会が海洋博をどのように受け止めているかを話に行こうと思って訪れ た。
 33回総会には行っていない。2002年12月に学生を連れて辺野古に行った時、そこで座り込みをしていた平 良・堀悦美さんから「あの屈辱は忘れられない」と切々と総会のことを聞いた。合同のとらえなおしは審議未了・廃 案となってからではなく、1965年から考えなければならない。この年に日韓条約が成立し、鈴木正久・教団議長 が韓国に招かれ挨拶したが、非常なブーイングに遭った。彼はそこで初めて戦争責任を考えることとなった。そうし て1967年に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」ができた。その前後から沖縄の復帰が 問題となってきた、こうした経過がある。
 合同とはこのように考えねばならないと思う。沖縄の人口130万人は日本のちょうど1%。復帰したのだから1 +99=100。そうではなくて合同とは、1+99=2だと、16ある教区に沖縄が戻ってきたから、1+16= 17教区になりましたというのではなくて、1+16=2だと。
 カナダで学んだ二つのことを報告する。カナダの合同教会は、先住民をとらえなおす中で信仰告白からあらゆるも のをすべて変更した。それが合同だと思う。またカナダ政府は、それまで先住民を敵のように展示していた、その博 物館の展示方法を変えた。われわれもこのあたりまで徹底しなければならないだろう。だから教会だけの問題ではな くて日本はどうなのかということだ。合同の話をする時、9条のある日本に一緒になりたかったが、押しつけられた のは6条でしたと沖縄の人々は言った。9条とは平和憲法で、6条とは安保条約の地位協定だ。こういう中で、もう 一度合同のとらえなおしを考えてみたいと思う。


コーディネーターの筆者

(コーディネーター:西浜)教団は、沖縄宣教連帯金を120万円から80万円に減額した。そこで沖縄教区へ送る 席上献金をお願いしたい。
(会場より、Aさん)合同のとらえなおしをして来なかったことが、その後教団が自浄能力を、自らを見つめ直すと いうことを放棄してしまったんだと思う。今から思えば第33回総会がその発端だった。
(大澤さん)自浄能力ということで言えば、第33回総会で名称変更議案が廃案になって以降、合同のとらえなおし とその実質化が課題として上がってこなかったという反省がわれわれ自身にもある。
(西浜)集会のサブタイトルは、“島津侵略から401年 琉球処分から131年 名称変更議案廃案から8年の今 年2010年”だ。昨年は島津侵略400年、琉球処分130年の節目の年で、琉球弧を中心にいろんな取り組みが なされた。このことを意に介さない人たちは、琉球伝道163年を無視してプロテスタント日本伝道150年だと浮 かれていた。1年経った今年は島津侵略401年、琉球処分131年であることを忘れてはならない。次回想起する のが島津侵略450年に当たる2059年では駄目だ、との思いからこうしたサブタイトルとなった。
(会場より、沖縄研修旅行参加者Bさん)沖縄研修旅行に参加し学ぶ中で、もっともっとどのように伝えていけばい いのかと思う。
(会場より、沖縄研修旅行参加者Cさん)日本人はどうして沖縄に痛みを感じないのだろう?
(小柳さん)1+99=100ではなく、1+99=2だという考え方ならかなり痛みも感じるだろう。日本キリス ト教団は沖縄教区がいなくても何の痛みも感じていないというのが現実だと思う。


パネラーの上地 武牧師

(上地さん)小柳さんがおっしゃる通りで、日本キリスト教団には1,800ほどの教会があるが、その内沖縄は2 7だ。だから残りの1,770ほどの教会にとっては27が何をしようが関係ない。救いを求めて教会にやって来る 人にとって「合同のとらえなおし」と言われても、自分たちにとって違う世界のことのように聞こえるだろう。だが そうではなくて、小さき者たちに対して神さまはどのように考えておられるのか、接しておられるのかを自分の生活 に置き換えて考えていこう、自分だったらどうするのかを考えようということだ。
(大澤さん)今、免職処分にある北村慈郎牧師は、沖縄教区が「しばらくの間、教団と距離を置く」と決めた時、い ち早く連帯を表明された。沖縄宣教連帯金を減額する時も、北村慈郎牧師を免職処分にする時も、当事者と一切話し 合いをせずに強行するという教団の姿勢は通底している。
 われわれ三人に共通しているのは、キリスト教に対する自己批判の姿勢を持っていることだと思う。ちっぽけな沖 縄のことを考えるのは煩わしいことだと思うところに誤りがある。今の日本の風潮は分かり易さというところに流れ て行っている。信仰も分かり易いのがいいと。ところが苦しんでいる人がいるとか、無視されている人がいるとかを 考えるのは、煩わしいものと映るのだ。だからそんなことはうっちゃって“伝道しましょう”となる。


3人のパネラーと筆者

 第2部では、
E 教団と距離を置かさせてしまっている沖縄教区と、われわれはどのように向き合っていくべきでしょうか。
F 来る第37回教団総会において、われわれが果たすべき任務は何でしょうか。
 をテーマに発言をいただきました。
(西浜)今年の3月16日に国連の人種差別撤廃委員会は次のような勧告を日本政府に出した。
 「委員会は、沖縄の独自性について当然払うべき認識に関する締約国(日本 のこと)の態度を遺憾に思うとともに、沖縄の人々が被っている根強い差別に 懸念を表明する。沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会 的、文化的権利の享受を妨げている、人種主義・人種差別に関する特別報告者 の分析をさらに繰り返し強調する。
 委員会は締約国に対し、沖縄の人びとが被っている差別を監視し、彼らの権 利を推進し、適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人び ととの代表と幅広い協議を行うよう奨励する」と。
 国連ですらこういう勧告を出している。沖縄の人びととの代表と幅広い協議 を、複数形だから知事ひとりとではなく、各界の代表とおこなえと言っている。これと比べてわが日本キリスト教団は 沖縄教区との話し合いすら持とうとしていない。
(上地さん)1995年9月に少女レイプ事件が起こった時、私は関東にいたが、こちら(ヤマトゥ)の新聞記事はと ても小さな扱いだった。このことを牧師会で話をすると誰も関心を示さなかった。「政府は沖縄を説得する。政府は閉 ざされた沖縄の心を開きたい」と書いている当時の新聞記事は、今と同じで何ら変わっていない。
(小柳さん)他の教区は沖縄教区が教団総会に来なくても痛みを感じていないのだから、距離を置くとか置かないとか でなく、教団総会に出て問題を提起した方がいいのではないかと個人的には考える。名称変更議案の廃案は、キリスト 教会における琉球処分だと思っている。
(大澤さん)「距離を置く」というのは“あなたたち、どうするのですか”という投げかけであって、われわれが名称 変更議案を廃案にしてしまったという謝罪がまず必要だったが、もう今の段階になっては「謝罪」と言っても伝わらな い。じゃあ何をすれば良いのかと言えば、名称変更議案の廃案以後、私たちの教会がどういう歩みをしてしまったのか、 自己批判的にえぐり出して行かなければならない。
(会場より、沖縄研修旅行参加者Dさん)「沖縄の基地は、(ヤマトゥから)離れているから関係ない」じゃあなくて、 そこから戦闘機が飛んで行くわけだから自分たちは加害者であるというのを、沖縄の人だけが加害者なのではなくわれ われも加害者であるという意識を持つべきだ。
(小柳さん)今、『沖縄タイムス』を購読している。郵送料も含めて月に4,800円かかるのでかなり高額だが、そ れを読んで喜んだり悲しんだりしている。具体的な媒体を通して想像力を養うことが大切だろうと思う。20年ほど前 から6・23集会に行くようになり、「1回では何も分からないヨ」と沖縄の人に言われて、それから購読するように なった。
(会場より、Eさん)各教会での学習がとても大切だと思う。そのために講師の派遣などを沖縄交流・連帯委員会でや ってほしい。
(西浜)1972年施政権返還前の1969年に日本キリスト教団は沖縄キリスト教団と合同した。この合同が多くの 問題を含んでいたとしてとらえなおしが始まったが、世俗世界より早く合同した、その先駆性は評価すべきだと思う。 ところが、今や教団は世俗世界で起こっていることにすらついて行けない体たらくだ。
 第37回総会で、沖縄に関する議案は、@西中国教区提案の「日本基督教団と沖縄キリスト教団との『合同のとらえ なおしと実質化』特設委員会を設置する件」、A兵庫教区提案の「『合同のとらえなおし』:『戦後責任』とその歴史 検証に関する件」、B深澤 奨議員(九州教区議長)提案の「2010年度教団歳入歳出予算案・沖縄宣教連帯金予算案 に関する件」(支出予算を80万円としたものを従来の120万円に戻すというもの)の3本の議案が、そして沖縄に大 きく関係する、C西中国教区提案の「米軍再編に抗議し、全国の軍事基地撤去を求める声明を内外に向かって表明する 件」の議案が出されている。これらの議案が成立するように努力しよう。
 ほぼ以上のような内容で、パネルディスカッションは午後4時50分、岩高 澄牧師の閉会祈祷で終わりました。なお、 沖縄教区への席上献金は31,900円で、すでに沖縄教区に送金しました。


2.10月26日(火)〜28日(木)、日本キリスト教団第37回総会が開かれる。
「米軍再編に抗議し、軍事基地撤去を求める声明」を表明することに
反対する教団とは、一体全体何者だ!


 日本キリスト教団第37回総会が10月26日(火)〜28日(木)、東京で開かれ、ぼくは議員として出席しまし た。
 今総会の最大の焦点は、北村慈郎牧師に対する免職処分をめぐってでした。北村牧師に対する免職処分に抗議し、京 都教区は総会を退場しました(正確には議員18名中17名が退場)。『沖縄通信』はそのことを詳細に伝える媒体で はないので、例えば、次のアクセスなどで確かめてください。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~uc-yuryosurukai/


民主主義を無視した議事運営に抗議する議員たち

 前述したように今総会で、沖縄に関する議案は、@西中国教区提案の「日本基督教団と沖縄キリスト教団との『合同 のとらえなおしと実質化』特設委員会を設置する件」、A兵庫教区提案の「『合同のとらえなおし』:『戦後責任』と その歴史検証に関する件」、B深澤 奨議員(九州教区議長)提案の「2010年度教団歳入歳出予算案・沖縄宣教連帯 金予算案に関する件」の3本の議案が、そして沖縄に大きく関係する、C西中国教区提案の「米軍再編に抗議し、全国 の軍事基地撤去を求める声明を内外に向かって表明する件」の議案が上程されました。
 @「日本基督教団と沖縄キリスト教団との『合同のとらえなおしと実質化』特設委員会を設置する件」の提案理由は、 次の通りです。
 「日本基督教団」と「沖縄キリスト教団」との合同のとらえなおしの課題は、日本基督教団とは歴史の現実において 如何なる教会であるのかを問うものであった。従って、その課題への取り組みは、神の導かれる歴史において、如何な る教会であろうとするのかを祈り求める作業に他ならなかった。
 この間、教団総会は「教団成立の沿革」「教団信仰告白」「教憲前文」の検討を可決し常議員会に付託したが、常議 員会の取り組みは殆ど実を結ばないまま今日に至っている。更に、この作業は、第33回教団総会における、沖縄教区 提案の「名称変更議案」をはじめとする関連議案に対しての「時間切れ審議未了廃案」という当時の教団総会議長の閉 会間際の宣言以降、教団としては常議員会をはじめとし、ほぼ停滞したまま今日に至っている状況がある。
 しかしそれ以降においても、各個教会・教区における取り組みは続けられているのであり、勿論課題の重要性が失わ れたわけでも決してない。むしろこの課題への取り組みは、1941年の「日本基督教団」成立時の合同をも含めて、 日本基督教団が合同教会として成長していくために、決して欠かすことのできない事柄である。
 そしてなによりも、この課題を巡って、沖縄教区が距離を置いていること、すなわちこの課題をなおざりにしたこと が主の体なる教会を一致から遠ざけている事実を、今こそ謙虚に受け止めなくてはならない。
 わたしたちは、将来に向けて、この日本という国にあって、神に招かれたものとして「一つのもの」となろうとする のならば、この課題に真摯に向き合わなければならない。
 以上の通りです。


北村慈郎牧師の免職処分は認められないと発言する望月修治・京都教区議長

 この議案が西中国教区名で提出されているのは、教区総会総体の意思だということであり、それ故、西中国教区議長 の柴田もゆる議員が提案説明をおこないました。柴田議員は「この議案は前回第36回総会にもほとんど変わらない形 で提案し否決されたが、そのままにできない。課題をもう一度問いたいとの決断からの議案だ。沖縄教区に対して、他 の教区がどういう態度を示し、どういう言葉を返し、どういう方向性を示すのか、この問いと真剣に向き合うための議 案で、沖縄との結びつきの第一歩として可決してほしい」と訴えました。
 それを受けて、ぼくは議案に賛成する発言を概ね次のようにしました。
 「大阪教区の沖縄交流・連帯委員会の委員長として、ヤマトンチュの責任とし てどう沖縄と向き合っていくのか考えてきた。1984年の第21回総会で『合同のとらえなおし』関連議案が可決さ れ、信仰告白の再検討は総会決議となっている。第33回総会で名称関連議案が廃案になっても、先の決議は生きてい る。今回、再度特設委員会設置を求めるこの議案を可決し、失われた10年かも知れないが、ここから改めて沖縄と出 会っていくことを私たちの営為としよう」
このように訴えました。
 でも、何を言っても空しくなります。だいたい150票対200票ほどの票差で如何なる議案も葬り去られるのです 。実際、この議案も議員総数345名中、賛成140で否決されました。
 A兵庫教区提案の「『合同のとらえなおし』:『戦後責任』とその歴史検証に関する件」、B深澤 奨議員(九州教区 議長)提案の「2010年度教団歳入歳出予算案・沖縄宣教連帯金予算案に関する件」も、ことごとく少数否決です。


抗議の横断幕を掲げて京都教区選出の議員は退場した。

 C西中国教区提案の「米軍再編に抗議し、全国の軍事基地撤去を求める声明を内外に向かって表明する件」の、その 声明案の内容は次の通りです。
 軍事力の再編強化を目論む日米両政府に対して、沖縄や岩国等々、全国の基地の街では基地機能の強化を許すまいと いのちと平和を守る粘り強い闘いが日々続いています。
 「日米安保改定」から50年、米軍基地の存在は決して市民の安全を守る為のものではなく、むしろその存在によっ て市民のいのちと生活は絶えず脅かされ続けて来ました。
 軍事力によっては、多くの人々のかけがえのないいのちや生活が奪われるだけで、決して真の平和を作り出すことは 出来ません。
 戦争責任を告白し、「平和を実現する人々は幸いである」と再び神から使命を与えられている私達は、憲法九条のも とにある者として「軍事力によらない平和」を世界に訴えていく責務があります。
 「地の果てまで戦いを断ち、弓を砕き、槍を折り、盾を焼き払われる」(詩篇46:10)という神の約束を信じる 私達は、戦争や軍備など、力による支配ではなく、互いに手を取り合って歩める平和な世界の実現を信じて、基地の街 と連携しながら精一杯の取り組みを進めていくと共に、更なる軍事力の強化である「米軍再編」計画に強く反対し、米 軍基地はじめ、戦争に加担する軍事基地の一切が全国から撤去されることを強く求めます。
 以上が声明案の中味です。


10月29日(金)に「伊波洋一さんを励ます集い」が大阪で開かれた。

 これに反対する意見は笑止千万、まったくもって驚くべきものでした。例えば「内外に向かって表明するとの内外と は何か」とか「教団総会にこうした議案を出すことが疑問で、まず実現すべきは足下の平和だ。議長団に詰め寄ったり、 議長の制止を振り切って滔々と話すなど、教団総会の平和から求めたい」とか。極めつけは、小平正宣議員(東京)の 「日本は今、平和じゃありませんか」との発言でした。これにより議場は騒然となりました。小平議員は「戦後65年 、日本は平和であった。周囲の国との関係では防衛力が必要だ」と言い切りました。10月3日のパネラーだった上地 武議員は、何を言うのかとばかりに発言に立ち「今の発言に怒りを覚える。自分は沖縄の読谷出身だ。本籍は米軍基 地の中で、墓地も基地の中で墓参りすら出来ない。そして知人は米兵に…、あとは言わなくても分かっていただけるだ ろう」と語り、「本当に日本は平和なのか」と問い、「日本基督教団は教会として平和を形成していく責任を負ってい ることを自覚したい」とこの議案への賛成を強く訴えました。
 「採決します」との議事運営に対し、ぼくは声を限りに「こういう議案は全員一致で可決じゃあないか!」と叫びま したが、採決となり、議員総数346名中、賛成147で否決されました。「米軍再編に抗議し、軍事基地撤去を求め る声明」を表明することに反対する教団とは、一体全体何者なのでしょうか。われわれの教団とは、平和を祈り、願わ ない教団なのか。


10月24日(日)、京都円山公園で「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が開かれた。

 ぼくの出自は労働(者)運動ですから、大会運営などについては少々知っています。どんな御用組合ですら、民主主 義に反したこんな大会運営はやりません。このような総会運営が主イエスの名においておこなわれていることのおぞま しさを感じざるを得ません。
 日本キリスト教団は、われわれのよって立つ教団なのだろうか?


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