☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第90 号(2011年5月)

◆ 目次 ◆

1.5月3日〜4日、日本基督教団大阪教区総会で、 「『教団沖縄宣教連帯金』の減額分を教区がともに担う件」が可決・成立する。

 
2.大江・岩波沖縄戦裁判で勝利確定



1.5月3日〜4日、日本基督教団大阪教区総会で、 「『教団沖縄宣教連帯金』の減額分を教区がともに担う件」が可決・成立する。

 5月3日(火)、4日(水)に日本基督教団大阪教区第56回総会が大阪女学院講堂で開かれ、議案「『教団沖縄宣教 連帯金』の減額分を教区がともに担う件」が可決しました。内容は、教団がなした2011年度『教団沖縄宣教連帯金』 の減額(120万円から40万円へ80万円の減額)分の2分の1に相当する40万円を大阪教区が負担し、かつその行 動をともに担うようヤマトゥ(沖縄以外の各都道府県)に存する各教区にも呼びかける、というものです。
 プロテスタントの一教派内で起こっている問題を何故取り上げるのかと言えば、ここにヤマトゥによる沖縄観が鋭く表 現されており、一宗教団体内の問題だと片付けるべきではないと思うからです。
 @上記議案がどうして大阪教区総会に上程され(可決され)たのかと言えば、A昨年10月に開かれた日本基督教団第 37回総会で、「沖縄宣教連帯金」を従来どおりの120万円とする、との修正案が否決され、120万円から40万円 に減額するとの原案が可決されたことに基きます。ならば、
 B日本基督教団が「沖縄宣教連帯金」を減額する、その理由は何かと手繰れば、沖縄教区が日本基督教団と距離を置い ているからです。
 C何故、沖縄教区は日本基督教団と距離を置いているのかをみれば、2002年の教団第33回総会で「名称変更議案」 及び「合同関連議案」が時間切れ・審議未了・廃案となったことによります。
 以上のような経過を、ここで振り返ってみることにします。


2月4日、講演する伊波洋一さん

@ 2011年5月、大阪教区第56回総会で可決された議案
 この議案は、ぼくが委員長を務める大阪教区沖縄交流・連帯委員会が総会の議案とするよう大阪教区常置委員会に提 案し可決されたもので、提案理由は次の通りです。
 そもそも沖縄宣教連帯金は、日本基督教団と沖縄キリスト教団の間で交わされた合同時の取り決め、1969年2月 25日付『議定書』で交わされた約束にさかのぼる連続性を有しているものであるから、一方の「合同」の当事者だけ でこの『沖縄宣教連帯金』に関することを協議もなく変更することは、約束を無にする重大な過ちである。
 そこで、次善の策ではあるが、大阪教区は、教団がなした2011年度『教団沖縄宣教連帯金』の減額(120万円 から40万円へ80万円の減額)分の2分の1に相当する40万円を負担し、かつその行動をともに担うようヤマトゥ に存する各教区に呼びかける。これをなすことは、ヤマトゥにある教区、教会・伝道所の責務であると考えるがゆえで ある。

A 昨年10月に開かれた日本基督教団第37回総会で否決された「沖縄宣教連帯金」を従来どおりの120万円と する修正案。
 「合同のとらえなおし」は、沖縄キリスト教団との「合同」以前からの歴史をふまえつつ、沖縄にある教会/伝道所、 そこに連なる一人ひとりとどのように向かい合ってきたのか、またこれからいかなる未来を切り開いていこうとするの かが問われた、「合同」の一方の当事者である日本基督教団自身の問題でした。しかしながら、その課題を十分に受け 止める事も答えを導き出す事もできないままに、第33回日本基督教団総会は「合同のとらえなおし」に関する論議を 放棄してしまいました。その結果、沖縄教区は「教団とは距離を置く」との意思を表し、現在に至るまでその関係は修 復されないままとなっています。
 この様な状況の中、一部では「沖縄教区が対話の道を閉ざしている」「教団における連帯を拒絶している」などの声 があげられていますが、対話の道を閉ざしたのは日本基督教団に属し続けてきた私たち自身であるのは明白です。にも かかわらず、上記のような意見を背景に第36総会期第3回常議員会は、2010年度歳入歳出予算案として提案され た沖縄宣教連帯金の減額を可決してしまいました。第3回常議員会では、この件をめぐって「減額措置をもって対話の 道を開きたい」といった主旨の発言もなされたようですが、それはもはや恫喝と言うに等しく、わずかに残されている かもしれない対話の道を完全に閉ざすものであるとしか言えません。
 沖縄教区は「教団とは距離を置く」との態度を表明した後も、教団負担金については納入し続けているのです。私た ちは、沖縄教区の誠実さにもかかわらず、「合同のとらえなおし」に関する議論を停滞させ、更にはその責任を自らに 問う事もせずに一方的に沖縄宣教連帯金をも減額しようとする自身の不誠実さを省みるべきです。そして、その上で改 めて対話を再開する道を模索していくべきであろうと考えます。

B 日本基督教団が「沖縄宣教連帯金」を減額する、その理由は何か。
 前述の第36総会期第3回常議員会で、山北宣久・教団議長(当時)は次のように発言しています。
 1977年から毎年120万円の支払いをしてきた。1968年から1976年までは1,000万円以上の応援が されてきた。額の問題より、関係の意味で意義あることである。しかし、昨今、関係はどのようになっているのか。対 話と言われるが一切拒否されている。この常議員会には沖縄の教区議長は居ない。連帯のもっとも大切な総会議員も出 さない姿勢である。それが連帯のしるしなのか。報復の意味で言っているのではないことは理解していると思う。沖縄 教区は独立して、教団との関係なしで、連帯なしでやっていくのだという意思表示であると思っている。従って、40 万円減にすることを述べたのではなく、ゼロにしてくださいと述べた。この姿勢は沖縄教区に対してノックしているの である。距離を置くというのであれば、金銭においても距離を置き、そこにこそ対等が現れる。

C 何故、沖縄教区は日本基督教団と距離を置いているのか。
 2002年の教団第33回総会で「名称変更議案」及び「合同関連議案」が時間切れ・審議未了・廃案となって直後 の2003年5月、第57回沖縄教区定期総会での山里勝一・教区議長(当時)の議長報告は次のようなものでした。
 第33回教団総会に、沖縄教区は『日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおしと実質化』を推進する立 場から、『日本基督教団』名称変更に関する議案を提案した。同議案は、第30回総会(1996年)に提案されて以 来、実に3総会期にわたって継続審議とされ、野ざらしにされて来た。今総会では、十分な実質審議がおこなわれ、採 決されて承認可決か否決か、いずれかに決着がつけられるものと理解していた。ところがいわゆる『合同関連』9議案 が上程されたのは、総会終了間際になってからだった。9番目に沖縄教区議長の提案説明が行われたところで山北議長 は、実質審議が全くなされていない同議案の採決を求めた。この一方的な強行採決をなんとか止めようとする者たちと 議長団との怒号に近い応酬で、議場は混乱した。罵声や怒号のなかで山北議長は、合同関連全議案の審議未了廃案と総 会の終了を宣した。
 教団総会後、議長はじめ多くの議員、総会参加者は気抜けした(チルダイ)状態、放心状態で沖縄教区へ戻ってきた。
 第33回教団総会での合同関連議案の取り扱いは、曾て、明治政府が琉球を薩摩の属国から日本の属国、内国植民地 とするために処分したこと、及び、昭和天皇が沖縄を切り捨ててアメリカに売渡したことと同様なことをしたことにな る。又、日本政府が独立国としての体面を保つ代価としてサンフランシスコ平和条約で沖縄を売渡したのと同様である。


2010年の第37回日本基督教団総会

 以上のような、2002年の第33回教団総会以降の経過の中から、今回の議案「『教団沖縄宣教連帯金』の減額分 を教区がともに担う件」が上程され可決されたのでした。
 あわせて、大阪教区沖縄交流・連帯委員会が常置委員会に提案した議案「5月に開催される第68回沖縄教区総会に、 大阪教区より代表1名を傍聴派遣する件」も常置委員会で可決されました。


2.大江・岩波沖縄戦裁判で勝利確定

 4月21日(木)、最高裁は大江・岩波沖縄戦裁判で元戦隊長側の上告を棄却する決定をしました。以下は、依頼さ れて沖縄YWACの機関紙『うーまん世』に「大江・岩波沖縄戦裁判を取り組んで」と題して掲載した文章です。


伊波洋一さん、服部良一衆議院議員と。

 去る4月21日、最高裁は大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判で元戦隊長側の上告を棄却する決定をし、これにより大 江・岩波側が勝訴した一審、二審判決が確定しました。
 「最高裁決定」の理由は次の通りです。「1 上告について 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許さ れるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備をいうが、 その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。 2 上告受理申立てについて 本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認 められない。」というものです。
 一例を挙げると、今年1月27日に大江・岩波沖縄戦裁判と同じ第一小法廷が下した第2次嘉手納爆音訴訟の「決定」 文言と、今回のものはほとんど同一文章です。民訴法312条1項には「上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあること その他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。」とあるので、上告事由に該当しない事件につ いてはすべてこのような文言になるのでしょうか。文言はPCに保存しているのでしょう。それにしても、これだけの 「決定」を下すのに、2008年10月の大阪高裁判決からなぜ2年7ヶ月もかかるのか、素人考えでは数ヶ月で結論 を導き出せるだろうにと思うのですが…。中学校教科書の検定が終了し、大震災と原発事故で関心が向かない今のこの 時期を見計らって、こっそり「決定」を出したのでは、と思えてなりません。
 2005年8月、元戦隊長らが大江氏と岩波書店に出版の差し止め、慰謝料の支払いなどを求めた訴訟が起こされた ことを、当時沖縄に在住していたぼくは『沖縄タイムス』で知って、“何じゃ、これは!”と思ったことを鮮明に覚え ています。そして同年12月にヤマトゥに戻ってからは、「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」を立ち上げ、地裁・高 裁のほとんどすべての公判を傍聴してきました(抽選に外れて法廷に入れない時もありましたが、裁判所構内には居ま した)。
 2008年3月の大阪地裁判決は、梅澤・赤松両戦隊長による「集団自決」への関与は「十分に推認できる」とし、 「事実を真実とする相当な理由がある」と名誉棄損には当たらないと、大江・岩波側が勝利判決を得ました。それから ほんの7ヶ月後の同年10月、大阪高裁は一審判決を支持した上で、「軍官民共生共死の一体化」の下で「日本軍の強 制ないし命令と評価する見解もあり得る」との判断を示して、ここでも私たちの勝利判決となりました。高裁のスピー ド判決に当時私たちは驚きましたが、最高裁決定には2年7ヶ月も要しました。広範な方たちの参加によって、地裁・ 高裁では大衆的な公判闘争を展開することができましたが、最高裁では公判傍聴もなく、現行日本の三審制度は運動を 鎮静化させるに適しているものだと実感しました。
 裁判は終結しましたが、いつまた歴史修正主義者たちが闊歩するやも知れず、教科書記述の変更は未だ実現を見てい ませんから、道半ばというところで、今後も持続的な取り組みをしていかねばと気持ちを引き締めているところです。


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