☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第91 号(2011年6月)

◆ 目次 ◆

1.5月13日(金)〜15日(日)、「ゆいまーる琉球の自治in与那国」が開かれる。

2.与那国島に自衛隊配備計画が…。

3.「ゆいまーる琉球の自治」でも自衛隊配備問題が議題に

4.『与那国・自立へのビジョン 自立・自治・共生』を掲げて

5.台湾の原発は与那国に大きな影響を与える。

6.過酷な歴史を伝える与那国島の遺跡など

7.与那国島へ行く前日、那覇で交流会が開かれる。

8.与那国島から戻って、辺野古を訪れる。


1.5月13日(金)〜15日(日)、「ゆいまーる琉球の自治in与那国」が開かれる。

 5月13日(金)〜15日(日)、「ゆいまーる琉球の自治in与那国」が開かれ、参加して来ました。 これには岩高牧師も同行されました。
 与那国島(沖縄県八重山郡与那国町。祖納<そない>、比川<ひがわ>、久部良<くぶら>の3集落が 中心で、1島1町を形成)は、北緯24度27分、東経123度00分にあり日本最西端に位置します。 面積は28.88km2、周囲27.5km。一番近い隣の島である台湾までは111kmで、118km の石垣島より近くにあります。中国のアモイが、520kmの沖縄島より近距離です。東京まで約2,00 0km、これは反対側だとシンガポールまでの距離になります。5月1日現在、人口は1,613人(80 1世帯)です。


日本最西端の与那国島

 「終戦直後、まだ世情が混乱して定まらなかった頃は、泡沫に似た密輸景気で島は活気に溢れていた。島 の西端にある久部良港は、台湾・香港・沖縄を結ぶ密輸船の中継基地として、かつてない賑わいをみせ、二 百戸余の部落に料亭が三十余も軒を並べ日夜密輸成金たちの乱痴気騒ぎがつづいた」(『新南島風土記』2 2〜3頁)といいます。「『密貿易』時代が終わったのは、1949年の夏だった。そのとき一個中隊の米 軍が、上陸用舟艇でやってきて主要道路を全部封鎖し、山狩りまでやった。/それまで『密貿易』を黙認し ていた米軍が突然、強硬策に出たのは、内戦中の中国共産党にアメリカの軍需物資が流れていることをつか んだからだ…。」(『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』、228頁)と。与那国島は「台湾に隣 接する島として、国境線が消えるとにぎわい、線引きされるとさびれる、という独自の歴史をくり返」(『 与那国島[国境という「場所」の明暗]』『環 別冊E 琉球文化圏とは何か』所収、172〜3頁)してき たのです。


与那国と台湾はこんなに近い


2.与那国島に自衛隊配備計画が…。

 今、この島に自衛隊が配備されようとしています。すなわち、5年以内に沿岸監視部隊を設置するという もので、隊員数は約100人規模。航空自衛隊の移動警戒レーダーも配置します。本年度予算に部隊配備に 関する調査費3,000万円を計上し、早ければ6月ごろからインフラや自然環境の実地調査を開始し、本 年度中に調査結果を取りまとめるという計画です。


平和な島に自衛隊基地はいらない


誘致派の横断幕

 『琉球新報』は「与那国陸自配備『断絶の海』にするのか」と題した5月16日付社説で、次のように述 べています。
 軍隊というものは自らの存在理由を求め続ける。存続は経費がかさむので、常に削減圧力にさらされるか らだ。/防衛省が与那国島へ沿岸監視部隊を5年以内に配備する方針を表明した。だが今回、政治が大局観 に基づいて防衛官僚を制御した形跡は全くない。これでは「政治主導」どころか「軍事官僚主導」そのもの だ。…2009年に与那国町の町長・町議会議長らの連名で配備を要望したことが出発点になった。島の活 性化が重要な動機だろう。…全国各地の過疎地を見ても、自衛隊に頼って実現した活性化など存在しない。 /町が進めてきた台湾との独自交流の努力も水泡に帰す。相手への警戒感を露骨に示すのだから当然だ。/ 東シナ海を…「友愛の海」から「断絶の海」にするのだろうか。/町が申請した「国境交流特区」を政府は 却下した。国境の島に人が住み続けることこそ、最大の安全保障策であろう。島嶼防衛と言うなら、国は特 区をこそ認可すべきだ。そして遠隔医療・遠隔教育を導入するなどして、島民の生活の質の保証を図るべき だ。」「東アジアは相互に貿易関係を高めている。他国住民のいる島に侵攻などすれば国際的に猛烈な非難 を浴びる。国際的に孤立すれば中国経済はたちまち瓦解する。/侵攻などあり得ない。自衛隊の規模の維持 のためにこしらえた虚構だ。…ひとたび侵攻があれば、大規模だろうと小規模だろうと国際的には侵略とみ なされ、戦争の引き金となる。…/軍は住民を守らない。守るどころか、むしろ住民の命を犠牲にして本土 防衛の時間稼ぎをしたのは沖縄戦で実証済みだ。活性化の鍵は平和的な人の交流にこそある。  『琉球新報』はこのように述べています。


3.「ゆいまーる琉球の自治」でも自衛隊配備問 題が議題に

 「ゆいまーる琉球の自治in与那国」では、島の自立についていろんな論議をおこないましたが、自衛隊配 備問題も議題の重要な一つに取り上げられました。


ゆいまーる琉球の自治in与那国

 佐道明広・中京大学教授は陸自配備問題について、「私は自衛隊=悪とは思っていないが…」と前置きし て、次のように話されました。
 自衛隊誘致に関して、本土のメディアは国境防衛ということで論議されるが、与那国島内ではそうではな い。人口が増えるし将来活性化するのではないかと論議されている。決定的に言えるのは、自衛隊は地域振 興の機関ではないから自衛隊が来たからと言って産業が栄えるということはあり得ない。よく例えられる、 陸海空700名の自衛隊がいる対馬では人口が6万人から3万人に減っている。自衛隊員は短期的には島の 人になるが、いずれ帰っていく。そんな人に島の将来を託すということではないだろう。


佐道明広・中京大学教授

 なぜ与那国島に自衛隊誘致と言う話が起きたのか?それは、中国の脅威だ。そこで、南西諸島防衛だとな った。今、中国が増強しているのは海軍と空軍だ。その時になぜ与那国島に陸自なのか?理屈が合わない。 中国の海軍が問題になる。現れるのは石垣と宮古の間だ。その時になぜ与那国島なのか?となる。与那国島 に監視隊を置いて石垣と宮古の間を監視するのか、おかしな話だ。宮古島にレーダー基地があるから、そこ を強化すればいいだけの話だ。なぜ与那国なのか?陸自も組織だから存在理由を求める。そこに誘致の話が 出てきた。それなら行きましょう、となった。
 既にある所を強化するのではなくて、何もないところに基地を造ることは“あなたを脅威に思っています ヨ”というメッセージになる。5月13日付の『沖縄タイムス』に与那国に監視隊100名規模と載ってい るが、100名というのはかなり多い数だ。常識的には数10名単位だ。これによって、与那国が進めてき た台湾交易の足を引っぱることになるだろう。この際、島民は十分考えねばならないと思う。
 佐道教授は、概ね以上のように話されました。


4.『与那国・自立へのビジョン 自立・自治・ 共生』を掲げて

 昼食後、田里千代基(たさと ちよき)・町会議員より報告を受けました。1957年生まれの田里さん は与那国町役場職員当時、在台湾花蓮市連絡事務所代表として花蓮市に半年間居住していました。2009 年8月、町役場を退職し自衛隊誘致反対を掲げて町長選挙に立候補。結果は619票対516票で、現職( 外間守吉氏)に敗れましたが、同年9月の町議選(定数6、立候補8)に立候補し、当選しました。田里さ んは次のように報告されました。


報告する田里千代基さん

 与那国は日本の最先端に位置しているが、辺境の地になっている。道路で言えば行き止まりだ。これでは 魅力が半減する。かつて与那国にも繁栄の時代があった。1947年、島の人口は1万2,000人だった 。しかし、台湾との交流が出来なくなって島の衰退が始まった。その後人口が減少するが、我々は減少と呼 ばずに移動と呼んでいる。年間7〜800名が移動する。
 島袋 純・琉球大学助教授(現・教授)を座長、吉元政矩(よしもと まさのり)・元沖縄県副知事を顧問 にビジョン策定推進協議会が組織され、『与那国・自立へのビジョン 自立・自治・共生〜アジアと結ぶ国 境の島 YONAGUNI』が2005年3月に作成された。ここには、@住民自治(役場だけでなく住民と の協働の町づくり)、A自治基本条例を作って公民館(長)の強化を図る、B台湾との交流という3つの基 本戦略がある。
 貿易のためではなく生活権のための開港として「国境離島型開港」を国に求めたところ、財務省は財政負 担が大きいと拒否した。実績を作れという回答だった。そこで与那国町は花蓮市に事務所を作った。200 7年5月のことだ。
 次に、ITを使った町づくりである。現在、光ケーブルは西表までしか来ていない。国は1,600人の 人口に30数億円をかけられない、費用対効果がないと言う。我々は場合によっては台湾に支援を求めても いいと考えている。
 2006年に「国境交流特区2006」構想を国に申請した。「特区」の認定は得られなかったが、<国 際防災協力>、<直接航行>、<開港>の各提案については「現行制度で実施可能」との正式回答を得た。 “名”は得られなかったが、“実”は得たと思う。これらのことが町長の自衛隊誘致ということで今、スト ップしている。


与那国花蓮縣交流発展協会が入っているビル

 私がまだ町役場にいた2009年4月、石垣市長、竹富町長、与那国町長を花蓮市に連れて行き、台湾東 部と八重山諸島との間で観光経済圏宣言をした。これで種は蒔けたと思っている。官・民が一体となってや るのが一番いいが、民だけでもやろうと、2009年12月に「与那国花蓮縣交流発展協会」を作った。昨 年9月、台湾から輸入した肥料500袋(1袋40キロ)20トンが那覇経由で祖納港に着いた。交流発展 協会として初の社会実験事業だった。
 また台湾と与那国とで災害防災医療協定を締結した。与那国は台湾と沖縄の中継地になるから国際村を構 想している。そこでは日本語、中国語を学ぶことの出来る高校、専門学校設立の可能性が出てくるだろう。
 田里さんはこのように概略、報告されました。


5.台湾の原発は与那国に大きな影響を与える。

 次に、高良 勉さんが台湾の原発問題について次のように語られました。


台湾の原発について報告する高良 勉さん

 台湾には台北の近くに2つと南部との1つで計3つの原発がある。今、第4発電所を建設しようとしてい るが住民運動で反対されている。第4原発は与那国の近くにあって、台湾山脈は地震帯だ。
 沖縄戦の経験から見ても、陸自100名で与那国は守れない。台湾の原発をミサイル攻撃したら終わりだ。
 与那国、八重山、台湾、中国・福建の漁民、即ち尖閣列島の民間の生活者が漁民サミットを開催して、将 来どのように使うのかを議論しようと、沖縄大学の地域研究所主催で計画中だ。
 高良さんは概ねこのように話されました。


与那国花蓮縣交流発展協会・安里與助理事長

 そのほかにも、「与那国花蓮縣交流発展協会」の安里與助理事長が「島の各部落には公民館があり、行事 がたくさんある。人手が足りない。祭りごとにも若い人がいない。自衛隊さえ誘致すれば何でも出来る、と 町長は言うがそうではない」と発言しました。


崎元俊男・町会議員

 崎元俊男・町会議員からも「現在46歳で、崎元酒造所の3代目をしている。経営は厳しく、輸送コスト との闘いだ。郷友会2万人のネットワークを活用していこうと思う」との発言を受けました。


6.過酷な歴史を伝える与那国島の遺跡など

 新川 明は『新南島風土記』で「かつてこの島では、目をおおい、耳をふさぎたくなる悲惨きわまりない人 口制限の手段がとられた。“人升田”(トウングダ)ならびに“久部良割り”の悲惨な物語りがそれである。
 人升田は、島の中央部、旧島仲部落跡の近くにあり、その昔、村々の酋長たちが全島民を非常呼集、田んぼ からはみ出した者を惨殺したと伝えられるところである」(17頁)と書いています。


久部良バリ

 久部良バリ(くぶらばり)の案内板には次の説明が書かれています。
 久部良村の北方、海岸の岩場にある全長20メートル余、幅3〜5メートル、深さ7〜8メートルの割れ 目。人頭税に苦しむ島では、人口制限のため村々の妊婦を集めて、このバリ(割れ目の意)を跳ばせるとい う残酷なことを行なったという伝説がつくられた地。一帯はクブラフリシと呼ばれ、景勝の地でもあり「久 部良バリ一帯」として県指定名勝となっている、と。


ティンダバナ(松島教授撮影)

 ティンダバナは、祖納の南西にそそり立つ標高100メートルの天然の展望台です。15世紀末、ここに サンアイ・イソバという女酋長が住んでいたとの伝説があります。サンアイは村の名でイソバは女性の名で す。彼女は上陸してきた琉球王府の軍隊を撃退しました。


ごく最近亡くなった方がおられる(松島教授撮影)

 与那国では琉球古来の葬式方法が今でも続いています。ごく最近亡くなった方のお墓にはさまざまな色の 幟があります。土葬がおこなわれ、遺体はみんなで担ぐ「ガン」と呼ばれる乗り物で運ばれます。


譜久山家の墓

 観光スポットとして譜久山家の墓の説明が、与那国滞在中に見た『八重山毎日新聞』に次のように掲載 されていました。
 与那国町祖納集落北側にある。元福山海運社長の故・譜久山当茂氏が建てた墓。墓地面積1,000坪 。入り口はフランスの凱旋門、墓はピラミッドをデザインしている。トイレ付で、その豪華さは見る者を 圧倒。島の観光名所にもなっている。墓はフィリピンの華僑墓がヒントになったと言われる、と。


7.与那国島へ行く前日、那覇で交流会が開か れる。

 ゆいまーる琉球の自治で島に出発する前夜に、交流会を那覇市で持つのが恒例となっています。今回は 5月12日(木)に開かれ、沖縄大学の新崎盛暉理事長、琉球朝日放送の三上智恵さん、詩人の川満信一 さん、彫刻家の金城 実さんらと親しく交流の時間を持ちました。


新崎盛暉さんと(左端:岩高牧師)

 昨年の4月、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会の講演にお呼びした折には少々体調を崩されておられま したが、この日はお元気な新崎先生でした。
 「放送ウーマン賞を受賞した琉球朝日放送キャスター」との見出しで、交流会が開かれた当日の『沖縄 タイムス』「人物地帯」欄に、三上智恵さんが取り上げられていました。以下はその記事です。小見出し は「沖縄の視点で発信」です。


琉球朝日放送の三上智恵さんと

 那覇市の琉球朝日放送(QAB)で意欲的に番組の企画や制作に携わり、放送界で奮闘する女性に贈ら れる賞に輝いた。
 昨年、キャスターを務めるニュース番組で毎日、敗戦の年に沖縄で起きたその日の出来事を伝える「オ キナワ1945」を放送。沖縄戦の犠牲者の祭られ方に疑問を投げ掛けるドキュメンタリー「英霊か犬死 か〜沖縄から問う靖国裁判」も手掛けた。
 東京出身。幼いころから沖縄に魅せられ、大学では沖縄民俗学を専攻。大阪の毎日放送のアナウンサー をしていた95年、阪神大震災で被災し、死を身近に実感。「沖縄でライフワークを全うしたい」と、当 時開局したQABに転職した。
 出演番組では、東京のキー局から発信されたニュースを、沖縄の視点で伝え直すことも。「基地問題を はじめ、国と沖縄の利益は一致しないことが多い。軍隊がある島は、戦争で大きな被害を受ける。辺境を 犠牲にしてはいけない」
 一方で「被害だけを声高に言いたくはない。時代の風潮があったとはいえ、戦争を引き受けてしまった 自分たちの弱さを見極めないと、次の戦争は止められない」とも。
 米軍普天間飛行場の移設計画と闘う名護市辺野古の人々に密着。今は、米軍のヘリパッド建設に住民が 反対する沖縄県東村に通う。「自分はどっぷり“沖縄の人”だと思っています」。46歳。
 以上が『沖縄タイムス』「人物地帯」欄からの引用です。


川満信一さん(左は藤原書店社長)



8.与那国島から戻って、辺野古を訪れる。

 与那国島から戻った5月16日(月)、2584日目の辺野古テント村を訪れました。この日は台風1 号の影響による大雨で、看板もテントの中に入れてありました。


2584日目の辺野古(5月16日)


 既に海兵隊によってフェンスが建設されていましたが、そこに基地建設に反対する横断幕がたくさん張 られていました。


米海兵隊により新設された辺野古のフェンスに張られた横断幕


 

 

 

 

 

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