☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第94 号(2012年9月)

 『沖縄通信』の前号93号を発信したのは今年2012年1月ですので、すでに7ヶ月も前のこととなります。
 今も日本キリスト教団東北教区被災者支援センター・エマオを通して、仙台と石巻にボランティアに行っていますので、『沖縄通信』の執筆にかかれていません。
 今回、『沖縄通信』に掲載したものは書き下ろし原稿ではなく、前者の「暑い!熱い!厚い!でも、許せないものは許せない」は、「辺野古に基地を絶対つくらせ ない大阪行動」のチラシに書いたオスプレイ配備反対の岩国現地集会の報告文です。後者の「8月15日、沖縄戦被害者と遺族が『命どぅ宝裁判』を提訴する」は、 『関西・沖縄戦を考える会会報 第2号』に書いた原稿です。
 どれもその都度精一杯書いたものです。『沖縄通信』に転載するに当たって、一部加筆しました。

◆ 目次 ◆

1.暑い!熱い!厚い! でも、許せないものは許せない。
7月23日(月)、岩国現地でオスプレイ陸揚げ・配備阻止!集会が開かれる。

2.8月15日(水)、沖縄戦被害者と遺族が「命どぅ宝裁判」を提訴する。


1.暑い!熱い!厚い! でも、許せないものは許せない。
      7月23日(月)、岩国現地でオスプレイ陸揚げ・配備阻止!集会が開かれる。

 7月23日(月)、「オスプレイ陸揚げ・配備阻止!岩国現地大行動」に参加するため、早朝大阪駅前をバスで出発しました。オスプレイを積載したグリーンリッ ジ入港時点には間に合わなかったものの、岩国市・尾津沖堤防道路で、正午から開かれる抗議集会に参加することができました。参加人数600名!
 暑い!暑い!コンクリートで舗装された尾津沖堤防道路から照り返す、太陽の光線はただものではありません。体感温度は40℃を超えているのでは…。対岸に見 える基地の岸壁にはグリーンリッジ(全長およそ200メートル、3万2,000トンの大型貨物船だという)が巨大な横っ腹を見せています。この船内にオスプレ イが12機、鎮座ましましています。



船内に12機のオスプレイを積んだグリーンリッジ

 古くは2004年11月16日、新基地建設を止めるため、辺野古沖に登場したスパット台船を乗せた作業台船を阻止すべく、ぼくはカヌー隊にいました。作業台 船を普通の弁当箱の大きさに例えると、カヌーは米粒一つ位でした。今回岩国で、グリーンリッジは当時の作業台船よりもっと大きいと感じました。本当、デカい。


グリーンリッジを背景に

 正午ちょうどから、集会が始まりました。
 住民投票の成果を活かす岩国市民の会・大川 清さん(日本キリスト教団岩国教会牧師)から主催者挨拶を受けました。「国民を犠牲にして何が安全保障か?」「 みなさんも欠陥商品を購入したら返品するでしょう。この欠陥オスプレイをアメリカに返品しよう」「1機も飛ばさせず、サビつかせてスクラップにして送り返して やる」と、怒りに満ち満ちた発言でした。


主催者挨拶をする大川 清さん

 尾津沖堤防道路の幅はそんなに広くなく、そこに600名が密集して立っているものだから、熱気で
 熱い!熱い!それから愛宕山を守る会や岩国爆音訴訟の会などから、連帯の挨拶を受けました。国会議員では唯一、服部良一衆議院議員が参加していました。


連帯の挨拶をする服部良一衆議院議員

 連帯の挨拶が終わると、対岸の基地に向けて、参加者全員で手をつなぎ人間のくさりを実現しました。そして、“オスプレイ陸揚げ反対!”、“オスプレイ配備阻 止!”を声を限りに唱和しました。からだにまとっている服は、すでに下着から何から何まで汗だくです。


沖縄からヘリ基地反対協の安次富 浩さん

 森本防衛大臣と野田首相は「安全を確認しなければ飛ばさない」と言いながら、「10月からの本格運用の日程は変わらない」と言う。こんな茶番が許されるので しょうか!何と無責任で、かつ軽い発言でしょう!


デモ行進する筆者

 このような発言に見られるように、日米同盟=対米従属の壁は、一見
 厚い!厚い!ように映ります。でも、これは今、確実にほころび始めています。沖縄では県議会をはじめ41ある全市町村議会が、オスプレイ配備に反対する決議 を挙げています。藤村官房長官は「一つの民意として受け止める」と発言していますが、そんなものではないのです。沖縄全体の民意であって、いろいろある中での 一つではありません。オスプレイ配備反対が民意のすべてであり、これ以外の民意は、今、沖縄には存在しないのです。
 沖縄に犠牲を押し付けるオスプレイの配備に、とことん反対する意思を持続させましょう。


集会アピールを朗読する大川 祈さん

 当日、採択された緊急声明(集会アピール)を掲載します。
 岩国市民や沖縄県民のみならず、日本中の人々が強く反対する中、米政府は世界一危険な新型戦闘輸送機MV22オスプレイを岩国へ陸揚げしようとしています。
 オスプレイについては開発段階から事故を繰り返し、今年に入ってからも4月(モロッコ)と6月(米フロリダ)で相次いで墜落事故を起こし「世界で最も危険な 戦闘輸送機」と言われています。このような危険極まりないオスプレイを沖縄・岩国に配備することなど言語道断、住民の命と安全を全く無視した計画であり、私た ちは絶対に認めることは出来ません。
 私たちが岩国への陸揚げを許してしまえば、その後はなし崩し的に試験飛行が行われ、普天間への恒久配備への道筋を作ってしまうことになります。
 更にその後の運用では、沖縄・岩国だけに留まらず各地に低空飛行訓練が行われ、全国に危険を振り撒くことも明らかになりました。
 私たちは今こそ、沖縄はじめ全国の人たちと連帯し、このように全ての国民に新たな危険をさらす新型戦闘輸送機MV22オスプレイの岩国への陸揚げに強く反対 します。
 そして、その配備を撤回させるまで日米両政府にしぶとく粘り強く働きかけ、今後も取り組んでいくことを、本日の緊急行動で確認します。


よびかけ団体より挨拶する「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」代表の松本亜季さん

 7月23日(月)から約2週間後の8月5日(日)に、沖縄ではオスプレイ配備反対の県民大会が開かれる予定でしたが、台風接近のため、9月9日(日)に延期 されました。大阪では「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」などがよびかけて「オスプレイ配備NO!普天間基地の即時無条件全面返還!辺野古、高江の基 地建設NO!を求める集会」が8月5日(日)、西梅田公園で開かれ、約500名が参加しました。


1分間アピールで発言する筆者

 ぼくが委員長を務める日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会も賛同団体に名を連ねました。


集会を報ずる8月6日付『朝日新聞』
 


2.8月15日(水)、沖縄戦被害者と遺族が「命どぅ宝裁判」を提訴する。

 沖縄戦の一般住民被害者とその遺族40人が8月15日(水)、国を相手に謝罪と1人当たり1,100万円の損害賠償を求める「沖縄戦被害・国家賠償訴訟」を 那覇地裁に起こしました。原告らの年齢は60〜91歳。空襲や艦砲射撃、集団自決(強制集団死)などの被害者や一家全滅に遭った家族、戦争孤児や遺族らで、原 告らはこの裁判を「命どぅ宝裁判」と名付けています。


「命どぅ宝裁判」を報ずる8月16日付『沖縄タイムス』

 訴状の要点は、次の通りです。
@米軍の攻撃が予見された首里地区への司令部構築や、米軍との戦闘拠点として全島各地に陣地を構築したことなどは、国の国民保護義務違反に当たる。法的根拠 を欠いた県内男女学徒の戦場動員は、沖縄戦における住民保護義務違反の最たるものである。
A沖縄を全島要塞化し、国際法で認められていた非武装地帯を設けず、非戦闘員である一般住民の生命や身体に危険をもたらした国には、公法上の責任があり、不 法行為に当たる。
B(予備的措置として)国に対して住民の被害救済のための法整備をしてこなかった立法不作為の責任を問う。
 このように訴えています。
 さらに、損害賠償については仮執行の宣言を求めています。
 現在、東京大空襲や大阪空襲などの裁判が争われています。これに対し政府は、一貫して「受忍論」を盾に国家補償を否定してきました。「戦争犠牲や損害は、 国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民の等しく受忍しなければならなかった…」という理由です。 しかし、住民を守るはずの日本軍(皇軍=天皇の軍隊)からスパイ容疑で虐殺され、集団自決(強制集団死)を強要され、壕を追い出されて死傷するなど辛酸を極 めた沖縄住民の犠牲は、「国民等しく」と括ることができるのでしょうか。実際、当裁判の弁護団長である瑞慶山茂氏は、スパイ容疑をかけての住民虐殺や集団自 決(強制集団死)強要には殺人罪が成立すると主張しています。
 国は戦後、軍人・軍属、準軍属に戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づき総額52兆円を超える恩給や補償を支給してきました。しかし、米軍の空襲被害などを受 けた各地の民間被害者は補償されてきませんでした。
 では、援護法が適用されない未補償の死没者は、沖縄では幾ら位いるのでしょうか?援護法は靖国神社との関係でも問題の多い法律であることは、大江・岩波沖 縄戦裁判の中でも学んできましたが、沖縄戦の戦死者を15万人とし、軍人・軍属28,228人と援護法で戦闘参加者として取扱われた5万4千人を引いた残り の67,772人。この67,772人の死没者には、戦後67年間何らの補償もなされてこなかったのです。同じ沖縄の民間人の中で未補償者が存在すること自 体が法の下の平等に反しています。
 2009年12月の東京大空襲訴訟の東京地裁判決は、請求は棄却しましたが「立法を通じて解決すべきだ」と指摘しました。この判決後、超党派で「空襲被害 者等援護法(仮称)を実現する議員連盟(空襲議連)」が結成され、立法化に向けて活動しています。今後、立法化を急がせる必要があるでしょう。それとともに、 この裁判はすべての戦争体験者や遺族が原告ともいうべき重要な裁判です。私たちも注目し、連帯していきたいと思います。


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