☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第98 号(2013年5月)

◆ 目次 ◆
1.5月15日(水)、琉球民族独立総合研究学会設立記念シンポジウムが開かれ る。

 
2.5月14日(火)、15日(水)2日間、連続して 普天間基地野嵩ゲート前で、オスプレイ配備反対行動に参加する。

 

3.5月14日(火)、野嵩ゲート前抗議行動から辺野古の座り込みへ

 
4.ヤマトゥに戻ってすぐに5月17日(金)、大阪市役所前での橋下発言 糾弾行動に参加

 


1.5月15日(水)、琉球民族独立総合研究学会設立記 念シンポジウムが開かれる。

 琉球民族独立総合研究学会の設立記念シンポジウムが開かれました。琉球民族独立総合研究学会(The Ass ociation of Comprehensive Studies for 
Independence of  Lew Chewans:ACSILs)の「設立趣意書」は、「日米によって奴隷の境涯に追い込まれた琉球民族 は自らの国を創ることで、人間としての尊厳、島や海や空、子孫、先祖の魂(まぶい)を守らなければならない」と述 べ、そして、最後に「琉球史上はじめて創設された琉球独立に関する学会の活動によって、琉球民族が植民地という『苦 世(にがゆー)』から脱し、独自の民族として平和・自由・平等に生きることができる『甘世(あまゆー)』を一日も 早く実現させるために本学会を設立し、琉球の独立を志す全ての琉球民族に参加を呼び掛ける」と訴えています。
 この学会の目指すものは、「設立趣意書」から次のように四つにまとめることができます。
 @ 全ての軍事基地の撤去を琉球独立の前提とすること。
 A 琉球独立が可能か否かを逡巡するのではなく、琉球独立を前提とすること。これまでは、独立の議論になると、例 えば、経済的にやっていけるのか?という議論に終始してしまいがちだった。しかし、この学会では、どうやれば可能 になるのかという解決策を探ることに力を注ぐ。
 B 琉球民族の琉球民族による琉球民族のための学会である。
 琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみだ。当事者の琉球人自身が難儀をして自らの将来像を描く ことが重要である。
 C 会員は琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族に限定し、研究者に限定しない。



乾杯の音頭を取った新川 明氏

 さて、琉球民族独立総合研究学会設立記念シンポジウムが、バケツをひっくり返すような豪雨と雷がとどろく中、 5月15日(水)の夜、沖縄国際大学で開かれ、参加してきました。悪天候にもかかわらず250名ほどの参加があ り、会場は、“やっとここまで来た”という熱気にあふれていました。
 まず、新川 明さんが学会設立を祝う、さんぴん茶での乾杯の音頭を取りました。続いて、スピーカーとして、石 垣金星(西表をほりおこす会代表)、安良城米子(沖縄国際大学非常勤講師)、宮里護佐丸(琉球弧の先住民族会代 表)の3氏より発言がありました。
 石垣さんは、与那国(「与那国はクニだから、与那国島とわざわざ言う必要はない」とウイットも交えながら)へ の自衛隊配備に触れながら、日本への復帰で幸せになれるというのは幻想だった。これ以上我慢してはいけない。そ のためにも独立の道を開かなければならないと話されました。また“自分の島の言葉を忘れたら ふるさとを忘れる ヨ。ふるさとを忘れたら 親を忘れるヨ”と言う沖縄の格言をウチナーグチで紹介されました。
 国際平和学が専門の安良城さんは、現政権は憲法改悪を目論んでいる。琉球の島々が新たに軍事基地化されようと している。この源流はどこにあるのかと問えば1879年の琉球処分によって、沖縄に軍隊を配備したことに求めら れる。併合までに67隻の外国船が琉球にやって来たが、それらと平和的関係を築いていた、と話されました。
 3人目に登壇した宮里さんは、スピーチ全てをウチナーグチで語られました。それ故、サンフランシスコ条約とか オスプレイとかの単語しか分からず、全く理解できませんでした。でも宮里さんが語られる冗談のような箇所では参 加者の多くが相づちを打ったり、笑ったりしていました。


スピーチ全てをウチナーグチで語った宮里護佐丸さん

 休憩をはさんで、第2部「これからの活動について」に進みました。桃原一彦(沖縄国際大学総合文化学部准教授) 、松島泰勝(龍谷大学経済学部教授)、友知政樹(沖縄国際大学経済学部准教授)、親川志奈子(オキナワンスタデ ィー107共同代表)、照屋みどり(しまんちゅスクール代表)の、計5設立準備委員の方々が登壇しました。


設立準備委員5名のみなさん

 予想していた通りと言おうか、会場から「会員を琉球民族に限定するのは排外主義ではないのか?」「沖縄に移住 して10年以上経っているが、それでもヤマトンチュは入会できないのか?」との趣旨の質問が出されました。それ に対し、親川さんを中心に、「性被害を受けた者たちが、自分たちだけで語ることは非常に重要なことだ。私たちウ チナーンチュだけで語る場を持ちたいのだ。学会大会は会員のみで開催するが、私たちも大会以外では、今日のよう なシンポジウムも開く。これには誰でも参加してもらって良い。ヤマトンチュも入れて!と言われるなら、そのよう な学会を作ってもらえば良い」との答弁があり、友知さんからは「会則第4条で、本会の会員は琉球の島々に民族的 ルーツを持つ琉球民族に限定すると謳っているが、入会にあたって戸籍を持って来てほしいとか、DNA鑑定をする というものではない。自らこの規定に該当すると思われる方は入会してください」、ほかの委員からは「琉球独立が 可能か否かを逡巡するのではなく、琉球独立を前提とする学会なので、学会発表におけるセッションは例えば、独立 と経済、独立と琉球史、独立と言語などが考えられる。第1回学会大会は、今年10月下旬に沖縄島で開催する予定」 との発言がありました。こうした発言に会場からは大きな拍手が沸きました。
 シンポジウムは、石垣さんの心のこもったデンサー節で盛会裏に終わりました。
 シンポジウム終了後、受付では50名を超える方々が入会手続きに長い列をつくっていました。
 5月17日付『琉球新報』は、琉球民族独立総合研究学会の発足を「歴史の局面が転換した。そんな感を禁じ得な い」から始まる「社説」を報じましたが、その中で「政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照 らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人々であるべきだ。言い換えれば沖縄の人々の幸せには、自己決定権拡大 こそが欠かせない」と書き、「学会は『独立が可能か否か逡巡するのではなく、独立を前提とする』と述べている。 独立論が新たな局面に入ったことを物語る。今後重ねるであろう世界各地の独立の例などの研究を、人々の貴重な判 断材料として提供してほしい」と結んでいます。
 ぼくもこの学会の将来に期待すること大です。


2.5月14日(火)、15日(水)2日間、連続して 普天間基地野嵩ゲート前で、オスプレイ配備反対行動に参加する。

 5月14日(火)と15日(水)の2日間、連続して普天間基地野嵩ゲート前での、オスプレイ配備反対行動に 参加しました。


普天間基地野嵩ゲート前

 前述した『琉球新報』の「社説」は、「昨年、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備強行を、日本政 府は容認した。知事も県内の全市町村長も県議会も全市町村議会も、民意を体する全ての公職が反対したにもかか わらず、だ。/たとえて言えば原発事故後の被災地で、知事も全首長も反対する中、新規原発建設を強行するよう なものだ。本土でできないことが、沖縄では許されていいのか」と問うています。
 2012年10月1日にオスプレイが普天間基地に強行配備されて以降、今日まで連日、普天間基地野嵩ゲート 前と大山ゲート前でオスプレイ配備反対行動が取り組まれています。毎日朝6時から夕方5時までの行動です。


横断幕をバックに仁王立ち

 ゲートに出入りする米兵車両に対して“MARINES GET OUT”とか“NO OSPREY”などを唱 和します。出入りのない時には国道330号を通るクルマに向かって行動への支持を訴えます。平均すると、クルマ 10〜12台に1台の割合で、クラクションを鳴らしたり、窓から手を振ったりして、ぼくたちを激励してくれます。


野嵩ゲート前での行動

 この行動中に、初めて肉眼でオスプレイを見ました。普天間の上空を我が物顔で飛んでいるのです。オスプレイの お腹の部分を見ました。グロテスクなゴキブリのような巨大な物体でした。いつ落ちてくるのかとの恐怖を24時間 持ちながらウチナーンチュは暮らしているのです。それを思うといたたまれなくなりました。
 オスプレイの飛来を知ってからデジカメをバッグから出して撮影したものですので、新聞に載っているようにはう まく撮れていませんが、下の写真はぼくの撮影によるものです。


普天間の上空を我が物顔で飛んでいるオスプレイ

 なおその上、日本政府はオスプレイ12機の追加配備を決めました。許すべからざることです。事故が起こってし まってからでは遅いのです。一刻も早くオスプレイの配備を撤回させましょう。


3.5月14日(火)、野嵩ゲート前抗議行動から辺野古 の座り込みへ

 5月14日(火)、普天間基地野嵩ゲート前での抗議行動に参加してから、辺野古の座り込みに行きました。この 日で座り込みは3313日目でした。


座り込み3313日目の辺野古

 この日、辺野古テント村を訪れたメンバーに闘争の報告をする平良 修牧師とお会いしました。お連れ合いの悦美さ んも来られていました。


闘争の報告をする平良 修牧師

 今年83歳と81歳になられるご夫妻は朝5時30分に起きて、普天間基地大山ゲート前での抗議行動に参加し、 それから辺野古の座り込みに来られています。
 ご夫妻とは、5月15日(水)沖縄国際大学で開かれた琉球民族独立総合研究学会設立記念シンポジウムでもお会 いしました。


4.ヤマトゥに戻ってすぐに5月17日(金)、大阪市役 所前での橋下発言糾弾行動に参加

 橋下・大阪市長による女性差別・沖縄差別発言の第1報は、沖縄滞在中に知りました。この発言以降、『沖縄タイ ムス』『琉球新報』の地元2紙は、連日1面トップニュースで報道していました。
 5月16日(木)にヤマトゥに戻って来たぼくは、翌17日(金)、大阪市役所前で開かれた橋下発言糾弾行動に 参加しました。下の写真にはぼくも小さく写っています。


5月17日(金)、大阪市役所前で開かれた橋下発言糾弾行動


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