☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大大学院共生社会研究会所属。日本平和学会、日本解放社会学会各会員。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


☆沖縄通信のご感想・ご意見はこちらまで☆

第99 号(2013年9月)

 市民グループ「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は、2003年8月より毎週土曜日、大阪駅前で街宣活動 (チラシ配布、署名・カンパ集め)に取り組んできました。今年8月で10年を迎え、8月31日が473回目の行動と なりました。
 この間、何回かにわたって、ぼくの文章が大阪行動のチラシに掲載されましたが、多くの方が目にされているとは限り ませんので、今号ではここ最近、掲載された原稿を紹介します。
 

T 沖縄の怒りを知ろうとしないことで、加害者になりたくない。

 この文章は、2013年8月第5週の8月31日より配布しているもので、最新号です。

1.沖縄の意思を無視して、オスプレイの追加配備を強行
 沖縄の人々(ウチナーンチュ)の、声を限りの反対の意思を無視して、8月3日に2機、12日に9機、オスプレイの 普天間基地への追加配備が強行されました。配備予定されているオスプレイは、いま分かっているだけでも33機です( 普天間24機、嘉手納9機)。
 今年2013年1月28日、沖縄県議会、沖縄に41あるすべての市町村議会、そしてすべての市町村長による、「普 天間基地閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回」を求めた『建白書』への日本(ヤマトゥ)政府の返答が、オ スプレイ追加配備の強行と辺野古新基地の埋立申請(3月22日)だったのです。


8月6日の抗議行動(「チョイさんの沖縄日記」より)

 抗議行動を予想してか、姑息にも政府(=沖縄防衛局)は、参議院選挙投開票の翌日(7月22日)夜8時過ぎ、普天 間基地・野嵩(のだけ)ゲートでフェンス建設工事に着手、駆けつけて抗議する市民を機動隊が排除し7月23日未明に 完成しました。
 そして、オスプレイ追加配備前段の7月30日、防衛省は、既に配置済のオスプレイが日米で合意された運用ルールや安 全確保策に違反していると、沖縄県が実態に即して指摘した318件について、「合意違反の確証は得られない」と、驚 くべき検証結果を回答してきました。
 野嵩ゲートのフェンス建設の効果か(?)、オスプレイの追加配備に反対する決死の抗議行動で、8月3日、1名の逮捕 者が出ました。こうした一連の経過を本土(ヤマトゥ)のマスメディアはほとんど報道しませんでした。
 抗議行動をしているのはウチナーンチュで、逮捕・弾圧しているのもウチナーンチュです。ウチナーンチュ同士を争わせ ているのです。日本本土の人たち(ヤマトンチュ)は無関心、傍観者を装っています。その光景を普天間基地所属の米兵 が笑いながら見ているのです。これこそまさに植民地の情景ではありませんか。「住民の生活を第一に考えていく」「沖 縄の負担が少しでも軽減するよう、全力を挙げていく」(『毎日新聞』8月13日付)と強調する安倍首相はこの時、ゴ ルフ三昧の夏休みを満喫していました。白々しい!
 沖縄の怒りを知ろうとしないことで、私たちは傍観者に、加害者になりたくありません。


8月12日 国道330号線に座り込んで抗議する(「チョイさんの沖縄日記」より)

2.オスプレイ反対の抗議行動の最中、8月5日、米軍ヘリが墜落
 オスプレイ追加配備反対の激しい抗議が続く中、8月5日、辺野古にも近いキャンプ・ハンセンの森に米軍・HH60救 難用ヘリが墜落、樹木を燃やして炎上しました。乗組員4人中3人救出、1人死亡。嘉手納空軍に9機配備されているう ちの1機です。
 事故原因が何も明らかになっていないのに、墜落事故から11日しか経っていない8月16日、墜落した同型機が飛行訓 練を再開しました。
 空からいつ米軍機が墜落してくるかも知れないという恐怖の中で、沖縄の人々(ウチナーンチュ)は日々暮らしている のです。少しだけでもこの光景を想像してみましょう。


8月12日 抗議する市民を機動隊が排除する(8月13日付「沖縄タイムス」より)

3.高江ではヘリパッド建設が強行されている。
 今、沖縄の東村(ひがしそん)・高江でオスプレイの訓練場としてヘリパッド建設が急展開しています。この高江には かつて、ベトナム戦争を想定した演習場が存在していました。演習には南ベトナム民族解放戦線(=「ベトコン」と蔑称 されていた)の兵士を想定して、村民が駆り出されていました。まさに“生ける標的”です。

4.辺野古に基地を絶対つくらせない。 
 「普天間基地の危険性を取り除くために、辺野古に基地を建設する」と政府や本土(ヤマトゥ)のマスメディアが言う のはまやかしです。まったく新しい半永久的な基地の建設なのです。まやかしであることは、歴史的経緯をみるとすぐに 分かります。
 1996年4月12日、橋本首相とモンデール駐日大使が共同記者会見し、「5年から7年以内に普天間基地を全面返還」 すると発表しました。ですから、2001年4月か2003年4月までには普天間基地は返還されているハズでした。そ う!今から10年前の2003年には遅くとも返還されていて当然だったのです。ここで、アメリカは1995年に起き た米兵3名による少女レイプ事件を辺野古新基地建設に利用したのです。普天間は危険だから、返還する代わりに沖縄北 部(その後、辺野古と明記)に代替基地を建設すると。
 実は、辺野古に新基地を建設する計画は、1966年に米・海兵隊が計画していました。しかしベトナム戦争などの影 響で予算がなくできませんでした。それを今度は日本の予算で建設できるのですから、アメリカにとってこれほど虫のい い話はないのです。辺野古は水深の深い大浦湾と隣接しており、港湾と飛行場が一体化できます。キャンプ・ハンセンや 北部訓練場も目と鼻の先にあります。オスプレイの基地としても利用し、米軍にとって願ったり叶ったりの立地条件なの です。1966年に作成された青写真と現在の辺野古案を見比べると埋立地の位置と言い、形状と言い、あまりにも似て いて驚くばかりです。
 3月22日に政府が辺野古新基地の埋立申請をおこないました。この埋立申請に対して、あとは知事が可否を判断する のみという、手続きとしては最終段階を迎えています。絶対に、半永久的な基地の建設を止めましょう。


5月14日 座り込み3313日目の辺野古

5.沖縄の怒りを知ろうとしないことで、私たちは加害者になりたくありません。
 沖縄では旧盆のナカヌヒー(中日)にあたる8月20日、追加オスプレイの初訓練がおこなわれました。今年は8月1 9日がウンケー、21日がウークイに当たり、沖縄では祖先の霊を迎え親族が親睦を深めるという重要な年中行事の一つ です。日米両政府が1996年に合意した騒音規制措置に「地域社会にとって特別な意義のある日は訓練飛行は最小限に する」との定めもどこ吹く風、よりにも寄って、ナカヌヒーに初訓練をおこなったのです。
 夏休みなので、普天間基地ゲート前での抗議行動を多くの小学生も見ていました。8月13日、オスプレイ追加配備に 抗議する現場を見た小学校5年生くらいの女の子のコメントが琉球朝日放送で放映されました。「自分たちを守ってほし いのに、逆を守っている警察がいることが初めて分かったから、とてもつらいです」。このように彼女は涙声で語ってい ました。
 オスプレイは事故が多い欠陥車のようなものだからというレベルで、沖縄の人々はこんなに怒っている訳ではありませ ん。日本(ヤマトゥ)政府の沖縄に対する差別(政策)と日本本土の人たち(ヤマトンチュ)の無関心、傍観者ぶりの総 体に対してノン!を突きつけているのです。
 それを知ろうとしないことで、私たちは傍観者に、加害者になりたくありません。
 


7月27日 468回目の大阪行動の筆者

U 空からF15戦闘機が墜落し、陸では泥酔米兵がクルマを叩き割り、
   オスプレイが我が物顔で沖縄の上空を飛びまわっている。

 この文章は、2013年6月第3週の6月15日より配布したものです。

1.嘉手納基地の米軍F15戦闘機が墜落
 5月28日(火)、嘉手納基地所属の米軍F15戦闘機が午前9時頃、沖縄・国頭(くにがみ)村安田の東南東約60キ ロ沖の海上に墜落しました。墜落機の操縦士は航空自衛隊のヘリコプターで救出されましたが、現場海域では長さ約90 0メートル、幅50メートルにわたり油が流出しました。
 この日、沖縄では地元紙の『沖縄タイムス』と『琉球新報』が号外を発行し、事故の内容を伝えました。しかし、こちら 日本本土(ヤマトゥ)のマスメディアは「台湾 初の常設土俵完成」、「橋下大阪市長 6月の米国視察断念」などがメ イン記事で、この事故のことはほとんど報じませんでした。
 そして、墜落してわずか2日後の5月30日(木)、米軍は最低限である原因の公表もおこなわないまま、F15戦闘 機の訓練を再開しました。
 訓練が再開された翌5月31日(金)には、F15戦闘機が滑走路のワイヤに機体後部のフックを引っかけて、緊急着 陸しました。
 ヤマトゥからすれば、戦闘機が墜落しようがオスプレイが落下しようが、沖縄での出来事はかまったことではないのでし ょうか?

2.缶ビール2本で泥酔状態になるのか?
 5月31日(金)、在日米軍は、在沖4軍(陸・空・海・海兵隊)の構成員に限って禁止していた基地外での飲酒を解 禁しました。午後6時から10時まで、レストランで缶ビール2本分の飲酒を認める。酒場では禁じるというものです。 これは、米軍が沖縄での事件・事故の続発を受け、昨年12月から基地外での飲酒を全面禁止していた措置の解除を意味 します。
 ところが、6月2日(日)午前5時半頃、上半身裸の酔った嘉手納基地第18整備群所属の米兵が、宜野湾市の材木店 駐車場で、普通貨物自動車のミラーやボンネットを木材でたたいて壊しました。逮捕の際、基準値の約4倍のアルコール が検出されました。「酒に酔っていて覚えていない」と供述しているといいます。この傍若無人さには驚きを超えて恐怖 すら感じます。
 「缶ビール2本以内」との“御触れ”など全く守っていないことは、ここからも明らかです。そもそも点検なんぞでき ないのですから。

3.八尾空港にオスプレイ受け入れ?  日本維新の会共同代表の橋下・大阪市長と幹事長の松井・大阪府知事が突然“八尾空港にオスプレイの訓練を受け入れ たい”と発表しました。6月5日(水)、松井知事は「受け入れの理由に、南海トラフ・地震に備えて」と言いました。 5月25日(土)におこなわれた府・市主催の防災訓練に揃って欠席しておいて、この発言はないでしょう。
 受け入れ発言に対して、防衛省関係者も「危険性では普天間と変わらない。陸地の住宅地に囲まれた空港での訓練は危な すぎる」と否定的だ。別の防衛省関係者は「地元が『受け入れない』と言えば難しい」。軍事アナリストの小川和久・静 岡県立大特任教授も「地元の説得が受け入れの前提であ」ると述べています(いずれも『毎日新聞』6月5日付夕刊より)。
 官僚や大学教授たる人たちが、よくも真顔でしゃあしゃあとこんな発言ができるものです。沖縄では、県知事と県議会 、それに41あるすべての市町村長と市町村議会がオスプレイ配備反対の意思表示をしているのです。「地元が『受け入 れない』と言」っているのです。「地元の説得が受け入れの前提」なのです。このようなダブルスタンダード(二重基準 )はやめるべきです。沖縄の民衆(ウチナーンチュ)は、こうした対応を“沖縄差別”だと糾弾しているのです。

4.オスプレイ配備を許すな!沖縄の闘いを全国へ
 5月14日(火)と15日(水)の2日間、普天間基地野嵩ゲート前での、オスプレイ配備反対行動に参加しました。
 5月17日付『琉球新報』の「社説」は、「昨年、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備強行を、日本政府 は容認した。…たとえて言えば原発事故後の被災地で、知事も全首長も反対する中、新規原発建設を強行するようなもの だ。本土でできないことが、沖縄では許されていいのか」と問うています。
 2012年10月1日にオスプレイが普天間基地に強行配備されて以降、今日まで連日、普天間基地野嵩ゲート前と大 山ゲート前でオスプレイ配備反対行動が取り組まれています。毎日朝6時から夕方5時までの行動です。
 ゲートに出入りする米兵車両に対して“MARINES GET OUT”とか“NO OSPREY”などを唱和しま す。出入りのない時には国道330号線を通るクルマに向かって行動への支持を訴えます。
 この行動中に、初めて肉眼でオスプレイを見ました。普天間の上空を我が物顔で飛んでいるのです。オスプレイのお腹 の部分を見ました。グロテスクなゴキブリのような巨大な物体でした。いつ落ちてくるのかとの恐怖を24時間持ちなが らウチナーンチュは暮らしているのです。いたたまれなくなります。
 なおその上、日本政府はオスプレイ12機の追加配備を決めました。許すべからざることです。事故が起こってしまっ てからでは遅いのです。一刻も早くオスプレイの配備を撤回させましょう。
 


4月13日 452回目の大阪行動の筆者

V 4・28「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」の中止を求める

 この文章は、4月28日の主権回復式典に反対する声明として2013年3月17日に「辺野古に基地を絶対つくらせ ない大阪行動」が発表したものです。草案はぼくが執筆しました。

1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって日本は独立したとして、安倍政権は今年4月28日 、主権回復式典を開催する。ところで4月28日という日は、沖縄をアメリカに売り渡した「屈辱の日」と沖縄では呼ば れてきた日である(またこの日は、朝鮮人・台湾人が、日本の植民地統治によって日本国籍を一方的に押し付けられ、こ の条約の発効を機に日本国籍を一方的に剥奪された日でもある)。その「痛み」は、歴史や記憶ではなく現在も続いてい るから、「主権が回復した」と言って祝う日ではない。
 そもそもサンフランシスコ講和条約とは、1951年9月、アメリカ・サンフランシスコで開催された第2次世界大戦の 対日講和会議で調印された条約で、翌年の52年4月に発効した。これにより奄美群島は1953年、小笠原諸島は19 68年、沖縄は1972年まで、それぞれアメリカ施政権下に置かれることとなった。
 古くは1609年の島津の侵略以降今日まで、沖縄は日本の(内国)植民地として、日本が自由に処遇してきた。この 間、沖縄民衆(ウチナーンチュ)の意思を一度たりとも聞くことはなかった。歴史的にも、日本の版図に組み込み(18 79年 琉球処分)、琉球列島を分島して、宮古・八重山を中国に引き渡そうとし(1881年 分島増約案)、時間稼 ぎの「捨て石」作戦として沖縄戦に民衆を投入し、あろうことかスパイ扱いの上、虐殺し(1945年 米軍との地上戦) 、敗北すると、自身の延命のために25年から50年ないしそれ以上、アメリカが軍事占領してくれと琉球列島を差し出 し(1947年 昭和天皇メッセージ)、それを法制化し(1952年 サンフランシスコ講和条約)、そののち日本に 再併合する(1972年)という次第である。
 こうした沖縄への処遇は何も過去の出来事だけではない。2012年9月には10万人を超えるオスプレイ配備反対の 県民大会が開かれ、今年1月には沖縄に41あるすべての市町村長と市町村議会議長、それに県会議員ら150名の直訴 団が上京し『建白書』を政府に提出しても、オスプレイ配備反対の民意を全く無視して強行配備した。ほとんどの県民世 論が辺野古新基地建設反対なのに、政府は埋め立て申請を進めている。はたして、こうした政策は沖縄以外の都道府県に 実施すればどうなるのだろうか?沖縄ゆえに強行するこのような処遇は沖縄差別以外の何ものでもない。
 そして、4月28日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」である。この式典は、今後も沖縄は日本の植民地で あり続けよ!と日本(ヤマトゥ)政府が宣言する催しである。ここに天皇も臨席するのだ。
 2004年8月以降毎週土曜日、大阪駅前で辺野古に基地を絶対つくらせない行動を始めてから450回を数えようと する我々の決意において、我々は主権回復式典の中止を求める。なすべきことは、沖縄への心からなる謝罪である。
 

W 沖縄県全議会の反対を押し切ってでも、沖縄に押し付けるのか、
     普天間基地を!辺野古新基地を!オスプレイを!

 この文章は、2013年新年号として、2013年1月から2月に配布したものです。

1.「日本」への告発状
 2013年1月1日より『沖縄タイムス』紙上で「『日本』への告発状」と題する連載が始まりました。サブタイトルは 「基地問題の実相」とあり、第1部が「超えた臨界点」です。この“日本”はカッコ付きです。沖縄は今、日本の版図に とりあえず組み込まれているけれど、ここで言う“日本”とは沖縄以外の日本、すなわち本土(ヤマトゥ)のことである との意味からでしょう。
 新企画の編集方針は、「怒りの現場を起点に、国が強調する抑止力や『基地依存経済』の虚実を明らかにし、過重負担の 正体を問う。第1部は、前代未聞の直接行動に踏み出した県民の姿を描き、歴史的な『普天間封鎖』の意義に迫る。首長 や議会も『なぜ沖縄だけに』と反対姿勢を強め、『オール沖縄』で結束する中、『政府+本土世論』との間で深まる溝を 考える」とあります。
 「『日本』への告発状」との題名を見て驚きました。告発状とは“犯罪を告発するため捜査機関に差し出す書面”との意 味です。沖縄に基地を押し付けている私たち本土の人間(ヤマトンチュ)が罪を犯していると沖縄(ウチナー)から訴え られているのです。“罪を犯している”と、今まであなたは、いや私たちは自覚したことがありましたか?
 さて、昨年12月18日、国は辺野古基地建設に関わる環境影響評価(アセス メント)の補正評価書を沖縄県に提出しました。12月27日から始まった公告・縦覧が終了し、政府が辺野古沿岸埋め 立ての申請をいつ提出するかも知れない段階を迎えています。さらに、安倍首相の訪米への献上物として、政府は普天間 基地の大規模補修費を来年度予算案に約1億円計上します。なおその上アメリカは、8年間で200億円の負担を日本に 要求しています。老朽化が進んでいるので、「当面の危険性を排除して住民の安全を確保するため」などと政府は屁理屈 を言っていますが、本当のところはオスプレイの本格、永久配備のためです。1996年4月、SACO(日米特別行動 委員会)の中間報告で、普天間基地は「5年ないしは7年以内に全面返還する」と決まっています。ですから、「住民の 安全を確保するため」になすべきことは、普天間基地の補修ではなく、閉鎖・撤去なのです。

2.オスプレイ配備の撤回を求めて、日本政府に『建白書』を提出
 1月27〜28日、オスプレイ配備の撤回を求めて、沖縄にある41すべての市町村長と市町村議会議長、そして県議会 議員ら約150名の要請団が上京しました。これは1972年に施政権が日本に移管されて以降、最大の規模です。大阪 府で考えると、すべての市町村長が要請行動をするということです。にわかに想像できません。それほど、沖縄の世論は、 @オスプレイ配備撤回 A普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設反対でまとまっているのです。ここには自民党も民主党 もありません。
 1月27日(日)、東京・日比谷公園で4、000人の集会と銀座パレードがおこなわれました。集会では、かつて自民 党県連幹事長の要職にあった翁長雄志・那覇市長が「沖縄県民は目覚めた。もう元に戻らない。日本に復帰しても基地を 押し付けられ、基本的人権は踏みにじられ、今回のオスプレイ強行配備に怒りは頂点だ。沖縄県民は基地で飯を食ってい るわけではない。米軍基地は経済発展の最大の阻害要因。安倍首相は日本を取り戻すと言うが、この中に沖縄は入ってい るのか。沖縄に今まで通り、日米同盟、日本の安全保障を押し付けておいて、日本を取り戻すことはできない」「私はあ らためてこう言いたい。沖縄が日本に甘えているのか。日本が沖縄に甘えているのか」と発言しました。
 翌1月28日(月)、上京団は安倍首相に「大衆面談」し、『建白書』を提出しました。
『建白書』の骨子は、
一、オスプレイの配備撤回。
一、オスプレイ12機の追加配備中止。
一、嘉手納基地への特殊戦用オスプレイの配備計画撤回。
一、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と、県内移設の断念。
 です。
 安倍首相は要請団と4分間(!)だけ面接し、「みなさんの意見に耳を傾け、これからも基地負担軽減に向け頑張りたい 」と思わせぶりに語りましたが、オスプレイを撤回する考えも、辺野古移設を断念する意思もないことが明らかになりま した。
 その安倍首相は2月2日沖縄を訪問し、仲井真知事と会談しましたが、オスプレイ配備、辺野古新基地建設を前提にして、 何度沖縄を訪問しても沖縄の民意は変わりません。
 今、「変わるべきは政府、国民」(1月28日付『琉球新報』社説)なのです。こうした状況を察してか、辺野古から発 信続けている『辺野古浜通信』は、「今年は、沖縄県全議会の反対を押し切ってでも、『理解』を沖縄に押しつけ、強要 し続ける日本政府との決別を、県民が意識し決断しなければならない一年となるかもしれません」(1月1日付)と記述 しています。“日本政府との決別”の箇所は、赤字で表記されています。


2月26日 大阪教区沖縄交流・連帯委員会は山城博治講演会を開いた。

X オスプレイの配備を許さない。ウチナーンチュに続き、ヤマトゥが起つ時。

 この文章は、2012年12月第3週の12月15日より配布したものです。

1.またしても沖縄を置き去りにするのか?
 2012年10月1日、沖縄のほとんどすべての民衆(ウチナーンチュ)の反対の意思を踏みにじって、オスプレイ が12機、世界一危険と言われる普天間基地に強行配備されました。7月23日にオスプレイが、山口県の岩国に飛来 してから沖縄に配備されるまでの約70日間は、本土(ヤマトゥ)のマスメディアも取り上げていましたが、その後は 何事もなかったかのようにメディアの話題から消えていきました。
 3・11を経験して以降、私たちの多くが福島(東北)と沖縄は同じ“犠牲のシステム”にあるのだということに気付 きました。すなわち、自分の地域に持って来るのはご免被るがその恩恵は受けたいという思い(エゴ)から、辺境と呼 ばれる地域に原発や米軍基地を押し付けてきたという、そうした構造です。
 ところが、今度の衆議院選挙では原発について語られても、オスプレイ配備や辺野古新基地建設に関する政策論議はま ったくと言ってよいほどありませんでした。雨後のたけのこのように出来た新党も含めて10を超える政党の内、4つ ほどの政党党首が公示日当日、第一声を福島で発したにもかかわらず、沖縄はまたしても置き去りです。そもそも政治 家と呼ばれる人たちがこのような形で福島入りすることを被災者たちは望んでいるのでしょうか?

2.沖縄の民衆(ウチナーンチュ)は普天間基地の全ゲートを封鎖した。
 オスプレイが強行配備された以降も沖縄では、配備撤回に向けて普天間基地ゲート前での抗議行動が連日おこなわれて います。日本政府、とりわけ前の防衛大臣・森本は強行配備さえしてしまえば、反対する者たちに“何をしても無駄な のだ”との無力感を与えることが出来ると、たかを括っていたのでしょう。むぬかちゃー(ライター)の知念ウシさん はこれを「無力感攻撃」と名付けています。ところが沖縄のちからはとどまりません。
 10月1日の強行配備を前にした9月27日から30日の4日間、沖縄の民衆(ウチナーンチュ)は普天間基地を封鎖 したのでした。「沖縄にとって…は、日本『復帰』から40年というメルクマールの年…に日米両政府はオスプレイ強 行配備という所業を刻み、沖縄の民衆は非暴力直接行動で『普天間基地』全ゲート封鎖という行為を刻んだ」(宮城康 博 『普天間を封鎖した4日間』)と。「戦後の米軍統治から現在にいたるまで、住民の力で基地を『籠城』に近い形 に追い込んだのはおそらくこれが初めてのことでしょう」「住民が基地ゲートを実効支配し、米軍を缶詰にしました。 多くの人が何かを感じたと思います。沖縄に住む人びとが自らその存在を証明できたからです」「あの4日間の出来事 は今後、沖縄基地問題の歴史を語るときに必ず思い出されるでしょう」(屋良朝博 『前掲書』)。
 この非暴力直接行動の中から、実に多くの民衆の絆が誕生しています。65歳以上の高齢者が集まって「命どぅ宝・さ らばんじの会」が出来ました。“さらばんじ”とは“今真っ盛り”という意味です。「ウーマクカマデーの会」も出来 ました。“ウーマク”とは“わんぱく”、“カマデー”はこどもの名前です。また「オキュパイ普天間」というグルー プも出来ました。そして、「普天間完全封鎖を沖縄世論が後押しした」(屋良朝博 『前掲書』)のです。


6月16日 大阪教区沖縄交流・連帯委員会は屋良朝博講演会を開いた。

3.ウチナーンチュ同士を争わせてはならない。
 それに対し、ゲートの封鎖をさせまいとする側は、基地のフェンスの中で米軍が警戒し、ゲートの前列に基地警備員が 立ち、その後ろに沖縄県警の警察隊と海兵隊の憲兵が固めているのです。基地警備員も警察隊も同じ沖縄人(ウチナー ンチュ)です。彼らもまた米軍のために使われているのです。これこそ赤裸々な植民地の統治形態ではないですか?普 天間ゲート前で、いとこ同士が座り込み側と機動隊側に分かれて対峙していたこともあったといいます。ウチナーンチ ュ同士を争わせてはなりません。こうした事態は私たち日本人、本土の人間(ヤマトンチュ)が作り出しているのです。  年が明けた1月28日(月)、沖縄にある41すべての市町村長と市町村議会議長、そしてすべての県議会議員48名 ら160名の要請団が、総理に再び就任した安倍首相に、オスプレイ配備の撤回を求めて上京します。その前日の1月 27日(日)には銀座をデモ行進します。沖縄の怒りはますます拡がり、深まります。
 さて、オスプレイの本格的な訓練を全国規模で開始しようと、今、計画されています。この事態を前にして、すわ一大 事「本土の沖縄化だ!」と呼ばないでください。この発想は「自分のところ、本土では飛ぶな!沖縄だけで飛べ!」と 言うことと同義語だからです。
私たちヤマトンチュは、これ以上の重荷を沖縄に背負わせてはなりません。

沖縄通信に戻る

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system