☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大大学院共生社会研究会所属。日本平和学会、日本解放社会学会各会員。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第106 号(2015年6月)

辺野古の陸で、海で、新基地建設反対を訴える。

 5月19日(火)から28日(木)まで沖縄に行きました。昨年6月21日から25日まで日本キリスト教団大阪教区第11回 沖縄研修旅行で訪れて以来なので、約1年振りの沖縄です。この10日間は、17日(日)に沖縄セルラースタジアムで3 万5千人以上が集まって開かれた県民大会の熱気がいまだ冷めやらず、27日(水)に翁長知事がアメリカを訪問すると いう、そういう時期でした。  24日(日)〜25日(月)に開かれる第74回沖縄教区総会傍聴を間に挟んでいましたが、この号では辺野古の闘いを 中心にレポートしました。

〇 5月20日(水) キャンプ・シュワブゲート前
 前日に沖縄に入ったぼくは、宿泊先(宜野湾セミナーハウス)近くの居酒屋で、琉球大学大学院当時の同級生(と 言っても、ぼくは59歳で進学したので年齢は35歳も違う)と旧友を温めていました。何とそこに山城博治さんから電 話がかかってきました。この日からぼくが沖縄にいることを知ってのことです。抗がん剤治療はしんどそうですが、 好きな漢詩を読んでいると。一日も早い快復を祈るばかりです。
 さて20日、琉大前から高速バスに乗り世富慶(よふけ)へ。路線バスに乗り換え第二辺野古停留所に11時頃に到着 し、徒歩でキャンプ・シュワブゲート前の座り込み現場に行きました。普天間爆音訴訟団長の島田牧師、『けーし風』 の秋山さん、沖縄教区の山里、久保両牧師らに会いました。
 沖縄に来た19日から当地は梅雨入りした模様で、雨が本降りになって来ました。午後、「辺野古に基地を絶対つく らせない大阪行動」(以下、「大阪行動」と略)や「Stop!辺野古新基地建設!大阪アクション」(以下、「大阪ア クション」と略)の報告をすると、早速『沖縄タイムス』の取材を受けました。座り込み現場は、17日の県民大会が 盛り上がったこと、国連人権委員会が勧告を出したことなどで大いに意気盛んな一方、オスプレイが墜落したにも関 わらず、原因解明もないまま事故機と同一機が事故の翌日から沖縄の空を我が物顔で飛んでいることに怒りが充満し ていました。


キャンプ・シュワブゲート前で抗議する筆者

 大日本〇〇結社という右翼の宣伝カーが1台やって来て、悪態を振りまきました。タイムスの記者が「昨年くらいか らこういう妨害が沖縄でも現れ始めた」と教えてくれました。2013年の暮れから14年初頭に大阪行動の妨害にやって来 た在特会と同じような発言をしていました。
 午後3時40分行動終了。今日沖縄入りした若松栄町教会の片岡謁也牧師が、5時にレンタカーで迎えに来てくれました。 西大和教会は2月15日に修養会を開き、「フクシマからの呼びかけ フクシマからの問いかけ」と題して、会津放射能 情報センターの片岡輝美代表の講演を受けましたが、お二人はご夫婦です。
 片岡牧師もぼくと同様、沖縄教区総会の傍聴のために沖縄に来たのです。結局、片岡牧師とは25日の途中まで行動 をともにすることになりました。片岡牧師の猛烈ないびきと寝言に悩まされることは、この段階ではまだ分かりません でした。

 この日、翁長知事は都内の日本記者クラブと日本外国特派員協会で会見し、「辺野古の新基地を絶対造らせない。政 府は工事を中断して話し合いを」と述べました。日本記者クラブには新聞・テレビ37社、238人の記者、外国特派員協会 には海外20カ国を含む141人の報道陣が詰め掛け、関心の高さを示しました。記者が200人以上集まるのはめったにない ことらしいです。
 また同日、海上保安庁の佐藤雄二長官が記者会見で「『過剰警備』という批判があることについて『私が知る限りで は、現場の対応というのは非常に冷静にかつ丁寧にやっている。現地での報道ぶりが非常に事実関係より、誇張されて いる部分があると感じている』と述べ」(『沖縄タイムス』5月21日付)ました。

〇 5月21日(木) 海に出る
 4時40分起床。5時30分出発。6時からの海上行動のミーティングに参加しました。ヘリ基地反対協の安次富 浩さん、 船長の北上田 毅さんに会いました。北上田さんは『チョイさんの沖縄日記』というブログをほぼ毎日更新しています。 是非ご覧ください。


船長の仲本さん(左)と仲宗根さん(右)

 片岡牧師とぼくは@抗議船・平和丸1号(仲本船長)に乗船しました。ほかに2名。船はAマスコミを乗せる船、B随 行船、C指示誘導船の計4隻が汀間漁港から出港しました。Aの船には『沖縄タイムス』から2名、『琉球新報』1名が乗 船。新聞社の担当部署は社会部ですが、学芸部とか写真部などからも応援で来ているのを見ても、タイムスも新報も全 社挙げて辺野古新基地報道に取り組んでいることが分かります。ヤマトゥにある中央メディアとの落差は歴然としてい ます。


海保GB30号

 7時40分出発です。今日私たちを妨害する担当の海保はGB30号です。私たちの船がポイントに向かうと全速力で迫っ て来ます。ぼくは初めてゴムボートに乗っている海保を見ました。見るからに威圧感があります。「海保は何故全員黒い サングラスをしているのか?」と、一度直接聞いてみようと思っていた質問を浴びせると「眼を守るため。みなさんもサ ングラスをした方が良いヨ」だって。


海上で抗議する筆者

 台風6号接近のため、一度撤去していたフロート(浮具)とオイル・フェンス(油防止膜)を合体させる工事の場所で、 9時40分頃20艇ほどのカヌー艇すべてが確保されました。「カヌー艇が確保された」と連れ合いにメールすると「“確 保”という言い方は相手が使っているのでしょう。“拿捕”とか“拘束”と言うのが正しいでしょう」との返信が来た ので、その通りと納得し、今後ぼくは“確保”という言い方は使いません。
 10時30分、辺野古ブルー(カヌーチーム)は一旦辺野古に引き上げました。11時15分、無線で船長同士が連絡を取り 合い、「午後2時過ぎ干潮を迎える時には浅瀬になり船を運航出来なくなるので、今日の行動は終了」と判断。瀬嵩の 浜へ引き返しました。12時05分下船。タイムスも新報も降りました。
 午後1時30分昼食弁当。2時からミーティング。明日明後日に大きな動きが予想されるとのこと。


座り込み4050日目の辺野古テント村(5月21日)

 辺野古テント村に寄って、2時30分、昨日に続いてゲート前に行きました。?昨日も今日も金秀グループから社員が社 内研修でゲート前に来ています。すごい企業グループです。“オール沖縄”を象徴しているかのようです。
 午前中の海上行動の報告を片岡牧師とともにしました。 在日大韓基督教会の旅行団約60人がゲート前に来ており、挨 拶とお祈りがありました。4時終了。

 この日、「辺野古基金」運営委員会は20日時点での寄付額が2億5,355万2,928円になったと発表。「ヘリ基地反対協議 会」「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(以下、「島ぐるみ会議」と略)の2団体に支援金を送ること を決定しました。

〇 5月22日(金) 寒い海の上
 4時50分に起き、睡眠時間は5時間を切ったが元気です。雨です。この雨は1日中降り続きました。コンビニでシマ草履 を購入。6時10分、朝のミーティング。「圧殺の海」の影山監督と会い、ツーショットを撮りました。芥川賞作家・目取 真 俊さんも来ています。彼とは久しぶりの再会で挨拶を交わしました。大江・岩波沖縄戦裁判にはほとんど毎回沖縄か ら傍聴に来られ、講演もお願いした経緯があります。目取真さんは『海鳴りの島から』というブログをほぼ毎日更新し ています。是非ご覧ください。


「圧殺の海」監督の影山さんと

 今日出航する船は3艇。@美ら海には影山さんが、A平和丸3号には沖縄タイムス2名、琉球新報1名の記者が、Bぼくは 平和丸1号(カヌー支援船)に、それぞれ乗りました。昨日同様、片岡牧師と一緒です。船長は北上田さんと副船長の計4 人。タイムスは男女の編成にしている模様で、今日付の紙面にもカヌー艇に暴力を振るう海保の証拠写真がバッチリ載っ ていました。“そらそうや、昨日乗船したのは写真部の記者だったもの”と一人で納得していました。


防衛局と海保に抗議する北上田船長

 7時45分出航。今日は海保GB28が私たちの妨害担当です。海保のゴムボートを見るのも2日目、だいぶ慣れてきまし た。早速北上田さんが、先週の参議院議員会館での海上保安庁交渉の内容などを説明しながら、マイクで「作業員さん !このフロートやオイル・フェンスは沖縄県に何の申請もなく、無断で設置されたものです。違法ですから、作業は止 めてください」と訴え、海保に向かっては「海上保安庁は防衛局の違法行為を取り締まりなさい。あなたたちは『海洋 の法令順守』を強調するが、『海洋の法令』には県の漁業調整規則や公有水面埋立法もある。防衛局のガードマンのよ うな仕事をせず、防衛局の違法行為を取り締まりなさい。これ以上、けが人を出すような過剰な規制は許さないと続け ました。
 9時10分、拿捕された人のカヌー1艇を艇だけ私たちの船に積み込みました。どうしたのだろう、こんな短時間のうち に拿捕されるとは…。9時30分、美ら海に乗っていた男性が、私たちの船に積み込んだカヌーに乗って出発しました。
       それにしても今日の海上は寒い。その上、小雨が降り続いています。多分気温は25度くらいあるのでしょうが、風も強いので体感温度は15度ほどに感じます。10時、「5名拿捕されている模様」との無線が入ります。防衛局がフロートのロープを張ろうとしたのを辺野古ブルー(カヌーチーム)が海に飛び込みその作業を阻止した際に拿捕されたようです。防衛局はフロートを3重4重に補強して、カヌー艇がフロートを超えられないための作業をしようとしていたのです。10時15分、カヌーチームがそのロープを張らせずに、回収して私たちの船に運んで来ました。やったネ!辺野古ブルー。その後、ロープは海保に引き渡しました。これで防衛局の作業を幾分か遅らせることが出来るでしょう。


ロープを回収した。

 私たちが海上にいる間中、防衛局の船は大きなマイクで「この場所は臨時制限区域のため、立ち入りが禁止されてい ます。法令違反となりますので、すみやかに退去してください」と繰り返します、それも何の感情も伴わない機械的な 口調で。煩わしいこと、おびただしい限りです。
 11時30分、私たちの船に拿捕された以外のカヌー艇が集まってミーティングを持ちました。この時は、船長が海保に 「少し離れてくれ」と促すと、それには応じます。拿捕されその後解放された者、海に飛び込んだ者は相当からだを冷 やしており消耗も激しいので、引き上げることとなりました。全員の意見を聞き、それで方針を決めるというやり方に 感心しました。それも海上で、です。


海上でのミーティング

 港に帰る時、私たちの船が海上に浮いているゴミを拾うために進路を少し変更しただけでも海保は付け回して来ます、 自分たちは何一つ拾わないのに…。   12時に下船し、12時30分、拠点に戻りました。昼食ののち、1時30分よりミ ーティング。海上に軍警が4人いた模様との報告がありました。海保と違い軍警は逮捕するためにやって来ているので す。
 明日も早朝からスパット台船の進入阻止に向けた海上行動をおこないます。宿舎に帰る途中、メイクマン(沖縄に あるホームセンター)に寄り、上下のレインコートを買いました。これには防寒の意味もあるのです。

〇 5月23日(土) 太陽に焼けない。
 朝4時50分に起きて、テレビで週間天気予報を見ると滞在する28日まで毎日雨模様です。「31日の礼拝には真っ黒に 日焼けして帰って来ます」と教会員に言って出て来たのに、これでは日に焼けません。持参した日焼け止めも使う機会 がありません。
 今日も雨。朝のミーティングで宜野湾セミナーハウスのKさんに会いました。彼女はカヌーに乗ります。頭が下がり ます。目取真 俊さんは今日も来ています。昨日午後3時に浪速丸(防衛局の作業船)が来たとの情報が伝えられます。 昨日買ったレインコートを着て記念撮影しました。
 @美ら海、A平和丸2号、B平和丸3号にはマスコミが乗ります。C平和丸1号の船長は仲宗根和成さんです。今日出 航する船は計4隻。仲宗根和成さんは6月20日(土)、沖縄意見広告運動主催の講演会のためにアソシエへ来られます。 特に大阪行動のみなさんは、この日、土曜日の行動が終わってから、多数参加されるよう強く呼びかけます。毎日海に 出ておられる方なので、臨場感あふれるお話しを聞くことができるでしょう。
 ぼくはこの平和丸1号に乗りました。影山監督、やまひでさん、片岡牧師の計5名で、8時10分出航。やまひでさんは東 京出身の写真家で『ヤマヒデの沖縄便り』というブログをほぼ毎日更新しています。是非ご覧ください。彼のブログに こういうのがありました。「昨日のテントでは、60歳で琉球大の院生になった男性の方と、なんとなく、私が『ヤマヒ デです』と自己紹介したら、びっくりされていました。本人に会えたと。確かに私は愛想がよくないので、自己紹介と か下手で、どうもなのですが、生のコミュニケーションを重視したいと思います」と。ぼくのことです、つながるので すネ。
 8時30分ポイント着。今日はカヌー25艇、29名が出艇。多くてとても力強い。昨日は北風、今日は南風だけでも気持 ちは変わります。明日明後日とキャンプ・シュワブフェスティバルが開かれます。これも影響しているのか、今日は工 事がなさそうです。だからか海保の出動も少ない。
 ぼくは、9時から船上でアピールを約8分間おこないました。さらに9時30分に「辺野古崎 前に見て」を唄いました。 この歌は「一坪たりとも渡すまい」の替え歌で、琉球弧の民謡歌手・牧 志徳さんが作詞したもので、彼はほとんど毎 週大阪行動に参加して、三線を演奏してくれています。
 10時頃から辺野古ブルーがフロートを超える練習を始めます。海保もたまに「カヌーのみなさん、フロートは超えな いでください」と言うだけで、拿捕はしません。聞けば、2重になっているフロートの一つ目はまだしも二つ目を超える と拿捕するとのことで、なるほどなぁと妙に納得します。工事がおこなわれないと、こんなにおだやかなのです。今日 は工事がなさそうなので、11時に引き上げ、辺野古崎にカヌーチームを誘導し、正午に瀬嵩の浜に戻りました。12時30 分に拠点着。昼食。1時30分よりミーティング。終わってから、キャンプ・シュワブゲート前での行動に参加しました。


長島を越える抗議船。前方に海保

 午後2時、片岡牧師の「こんな時しかチャンスがない。フェスティバルで開放されているキャンプ・シュワブの中に 入ろう」との誘いに乗り、クルマで一緒にゲートに向かいました。山城博治さんが越えたとの理由で逮捕された、その 黄色いラインを越えて中門まで入りましたが、ぼくが免許証を持って来なかったので「本人確認ができない」との理由 でこれ以上入れず、ぼくだけ歩いて引き返しました。片岡牧師はクルマをUターンさせて再び一人で中門まで引き返し ましたが、そこで「警備上、片岡さんは入ってもらえない」と言われて入場を拒まれてしまいました。ぼくが「免許証 を持っていたらすっと入れたのに…」と片岡牧師はとても残念がっていました。当局はこの数分の間に写真照合をして いたのです。


名護民商総会で報告する片岡牧師

 夜になってもハプニングが続きます。5月21日、「片岡牧師とぼくは@抗議船・平和丸1号(仲本船長)に乗船しまし た」とレポートしています。この平和丸1号の船長・仲本興真さんは名護民商の会長で、この日の夜、名護民商第31回総 会があり、そこで福島原発のアピールをしてほしいと片岡牧師が頼まれ、急遽参加することになりました。それどころ か、総会終了後二人して仲本さんのお宅に招待され、美味しいおいしい古酒をいただくことになりました。そしてご自 宅に泊めていただきました。

〇 5月24日(日) 主日礼拝⇒沖縄教区総会へ
 翁長知事が“イデオロギーよりアイデンティティ”と言い、“オール沖縄”がこちらでは定着した感があります。ウ チナーンチュとしてのアイデンティティを取り戻す、確立するとはどういうことなのか?その原点は、ヤマトゥ国家に よって奪われた自らの言語(しまくとぅば、うちなー口、琉球語)を復活させることでしょう。言語は、民族が民族を 形成するための重要かつ決定的な鍵であるからです。
 その一環でもあるのでしょう、礼拝に出席した石川教会(宇佐美節子牧師)では「主の祈り」を琉球語で朗読してい ます。次は日本語と伊波普猷訳の琉球語の「主の祈り」の対比表です。

 

琉球語(伊波普猷訳)

日本語

 天(てぃん)なかい 居めんせーる 我等(わったー) 親(うや)がなし 
 御名(うな)崇(あが)みらち うたびみそーり
 御国(うくに)引寄(ひちゆ)してぃ うたびみそーり
 御心(うくくる)ぬ 天(てぃん) 於(う)てぃぬ如(ぐとぅ)
 地 於(う)てぃん あらちうたびみそーり
 毎日(めーなち)ぬ 飯糧(はんめー) 今日(ちゅう)ん うたびみそーり
 我等んかい 悪事(やなぐとぅ)する人(ちゅ)ぬちゃー
 我等が許しうる如
 我等 罪(ちみ)ん 御赦(うゆる)しみそーり
 我等 道曲 しみそーらん如
 悪(やな)むんから 御救(うすく)いみそーり
 国と力と栄(さけー)とぅや 何時(いち)までぃん
 ぬんじゅぬ  うえむんどぅやいびーぐとぅ アーメン

 天にまします 我らの父よ

 ねがわくはみ名をあがめさせたまえ
 み国を来たらせたまえ
 みこころの天になるごとく
 地にもなさせたまえ。
 我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

 我らに罪を犯す者を
 我らがゆるすごとく
 我らの罪をもゆるしたまえ
 我らをこころみにあわせず、
 悪よりすくい出し給え。
 国と力と栄えとは、かぎりなく
 なんじのものなればなり。アーメン

 沖縄教区総会1日目終了後、北上田 源さんと再会しました。5月21日、「船長の北上田 毅さんに会いました」とレ ポートしていますが、源さんの父親が毅さんです。ぼくが琉球大学大学院生だった時、京都出身の源さんは琉球大 学の学部生で、その時からの友人ですので、父親の毅さんより前に源さんを知っていました。そしてこの日、彼は一 緒に平和ガイドに参加していたメンバー2人を連れてきましたが、2人は琉球大学の卒業生と在校生で、卒業生の女性 は何とぼくが勤務していた同じ企業の人でした。まあ、何という偶然でしょうか。驚きです。

 この日、辺野古新基地建設に反対する「首都圏アクション国会包囲ヒューマンチェーン」が国会議事堂周辺で実施 され約1万5千人が国会を囲み、政府に新基地建設の断念、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念を求めまし た。

〇 5月25日(月) 大山ゲート前でのゴスペルを歌う会に参加
 沖縄教区総会傍聴のため、辺野古に行けなかったこの日、姜 尚中さんがキャンプ・シュワブゲート前を訪れていま した。新聞報道によると「姜さんは取材に対し『基地の固定化はもちろん、たらい回しにしてはいけない。基地の在 り方を含め、日米は違う発想をすべきだ』と訴えた。24日の国会包囲にも触れ『沖縄に対する意識が以前よりもさら に広がりを見せている』と話した」(『沖縄タイムス』5月26日付)とありました。
 沖縄に来て、初めての快晴です。こんな日は船に乗って抗議行動に参加したいところですが、総会のため室内に缶 詰です。


ゴスペルを歌う会

 総会終了後、午後6時から普天間大山ゲート前で毎週月曜日に持たれているキリスト教のゴスペルを歌う会に信濃 町教会の秋山牧師、教団部落解放センターの小林主事と一緒に行きました。これは超教派のオスプレイ反対の集まり です。そこに宜野湾市役所を出発した、アメリカで墜落した同種のオスプレイの撤去を求める150名ほどのデモ隊が 通過しました。5月20日にキャンプ・シュワブゲート前でお会いした、普天間爆音訴訟団長の島田牧師がデモの先頭 を歩いていました。もう沖縄は沸点を超える怒りにあふれています。


オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会のデモ行進

 この日、翁長知事は都内で共同通信の単独インタビューに応じ、第三者委員会から7月上旬に承認取り消しが提言 されれば「取り消すことになる」と明言しました。
 またこの日、島ぐるみ会議・名護が発足しました。市民会館で開かれた結成総会には約430人が集まりました。稲 嶺 進市長はじめ、県会議員や大学生、地域住民など幅広い年代から12人が共同代表に就任。
 「参加した女性(70)=大中区=は『名護が地元なので結成を待っていた。和を広げて、みんなで頑張ろうとい う気持ちになった』と決意した。結成総会には高校生も多数参加した」(「沖縄タイムス」5月26日付)と報じてい ます。

〇 5月26日(火) 島ぐるみ会議のバスで辺野古へ
 10時に宜野湾市役所前を出発する島ぐるみ会議・宜野湾の貸切バスに乗りました。宜野湾市からは毎週火曜日に 島ぐるみ会議の貸切バスが出ます。


座り込み抗議321日目のキャンプ・シュワブゲート前(5月23日)

 島ぐるみ会議は現在、@那覇市、A宜野湾市、B沖縄市、C名護市、D糸満市、E豊見城市、Fうるま市、G西 原町、H八重瀬町、I北谷町、J金武町、K本部町、L今帰仁村、M恩納村、N読谷村、O中城村、P宮古島市、 Q石垣市、R竹富町、S与那国町と20地域に結成されています。6月中旬には北中城村で結成されます。沖縄には41 市町村がありますから、草の根からのものすごい勢いです。そして島ぐるみ会議が辺野古へのバスを出しているの はここA宜野湾市と、@那覇市(毎日)、B沖縄市(土曜日)、C名護市(土曜日)、Fうるま市(木曜日)です。 ぼくが乗車したバスには42名が乗っています。平日、それも日中一杯かかる行動に自腹で千円を出してこれだけの 人たちが集まってくるのです。すごいことです。バスには辺野古がまったく初めてという人が2名乗っていました。  伊芸でトイレ休憩ののち、ぼくはマイクで大阪の報告をしました。ぼくの報告を聞いた隣りに座っていた方が「 政府は西普天間基地の返還と言うが、あれは間違いで、あれは普天間基地からずっと離れたキャンプ・ズケランの 一部だ。あたかも普天間基地の縮小に政府は取り組んでいますヨというジェスチャーをしているに過ぎない」と教 えてくれました。


基地のフェンスに「入口」を張るダグラス・ラミスさん

 11時15分、キャンプ・シュワブゲート前到着。政治学者で元海兵隊員のダグラス・ラミスさんが基地のフェンス に「入口」という張り紙を何枚も張っています。“ここは「入口」だ。どこからでも基地の中に入れるヨ”という パフォーマンスだとぼくは理解しました。韓国のキリスト教の学生8〜9名が平和学習で訪れました。 金秀グルー プは今日も来ています。初めて辺野古に来たという20歳の青年が挨拶をしていました。?沖縄教区総会の傍聴に来た 九州教区のメンバーも来ました。大阪行動から冨田さんが到着しました。


韓国から来た高校生たち

 この日、菅官房長官は、翁長知事が埋め立て承認を取り消した場合でも工事を進めると、閣議後の会見で発言し ました。

〇 5月27日(水) 最終日。終日、海上抗議行動へ
 6時からのミーティングに出たあと、冨田さんと京都から来た2人の女性と一緒に、北上田船長の平和丸1号に乗船 しました。7時30分出航。今日出航する船は3隻、辺野古松田ぬ浜からカヌー17艇。
 ポイントに行くまでの海の風景が様変わりしています。一昨日までなかったところにフロート(浮具)とオイル・ フェンス(油防止膜)が張り巡らされています。そのためポイントに行くのに大きく迂回しなければなりません。7時 45分ポイント着。
 この日もまた防衛局の船は大きなマイクで「この場所は臨時制限区域のため、立ち入りが禁止されています」と繰 り返していましたが、「ここは米国領ですので、すみやかに退去してください」と言ったのです。初めて聞いた警告 でした。これを聞いてぼくは怒り心頭に達しました。2プラス2(日米防衛・外務大臣会議)で勝手に臨時制限区域を 拡大して、それは国会で何の議論も承認もされていない事柄です。ぼくは「何ぬかしとんねん!ここがアメリカか? ここは沖縄じゃ!沖縄の海じゃ!誰が臨時制限区域を拡大したんじゃ!我々は何も聞いてないゾ!認めてないゾ!」 と地声を張り上げて抗議しました。この警告は日本人が言ってるのです。ぼくの地声の大きさに、あるいはその迫力 にたじろいだのか、それ以後この警告は言わなくなりましたが、ああ、何という腐敗!何という堕落!


平島に上陸して昼食休憩

 午前中、防衛局は作業する様子がないので、監視するためアンカーを下ろして停泊しました。?12時、平島に上陸 して昼食休憩。1時30分出発。2時30分、防衛局がフロートの補強作業を始めたことに対して抗議を続けます。フロー トの張り方は異常です。大型フロートを張った内側にオイル・フェンスを2重に並べて結束し、さらに小型のフロー トを2重に並べてつなげています。


冨田さんが「スーパー めーごーさー」と抗議

 冨田さんは「スーパー めーごーさー」のボードを持っての抗議。一緒に乗船している新聞記者に聞くと「めー ごーさー」とは「げんこつ」と言う意味とのことです。抗議行動をやりきって、3時に引き上げました。4時03分下 船。
 今まで3回の海上抗議行動は午前中で終了しましたが、今日はほぼ終日海上にいました。その上、快晴だったので 日に焼けました。
 海上での工事がどこまで進んでいるのかの詳細はぼくには分かりませんが、先日の台風で撤去されたフロートと オイル・フェンスを防衛局が再度設置する作業をしているところで、その作業が終了するといよいよパケット台船 を投入して掘削作業に取りかかろうとする、このような段階だと思われます。だから今はボーリング調査の再開を 許していません。しかし、明日か明後日かにもパケット台船が投入されるかも知れないという緊迫した状況が続い ています。連日、辺野古ブルー(カヌーチーム)は本当に奮闘しています。毎日のことなので疲労もピークだと思 います。心底、頭が下がります。
 いよいよ明日28日に帰ります。力の限り、訴えましょう。
○辺野古新基地建設阻止
○普天間基地即時閉鎖
○オスプレイ撤去
 5月17日、沖縄セルラースタジアムで3万5千人以上が集まって開かれた県民大会で、翁長知事は挨拶の最後を次の ように締め括りました。
 うちなーんちゅ、うしぇーてぃ ないびらんどー
 (沖縄の人々を、ないがしろに してはいけない)

 この日、翁長知事が稲嶺 進・名護市長らとともに米軍普天間飛行場の早期返還と辺野古の新基地建設反対を訴 えるため訪米しました。

(付記)ぼくが沖縄をあとにした5月28日(木)未明、海上ボーリング調査のための大型クレーン船が大浦湾に入 って来ました。瀬嵩側のフロートやオイル・フェンスの異常な設置もこのためだったわけで、翁長知事や稲嶺市長 が訪米中に海底ボーリング調査を再開しようとする日本政府・沖縄防衛局の姿勢は、沖縄を愚弄するものです。

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