☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会書記


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第110 号(2015年11月)

『戦後70年、戦後ゼロ年、戦前ゼロ年』その3

3.自己決定権を問う営為
 「沖縄戦70年」を前にした2014年に沖縄で、「島ぐるみ会議」と「島々文化連絡会」という重要な二つの組織が相次いで生み 出されました。この両組織に通底しているのは、@軍事植民地状態の継続からの脱却、A構造的差別、植民地的差別への対抗、 B基地に左右される未来を拒否する、自己決定権の獲得ということです。
 結成後、島ぐるみ会議がまず取り組んだのが辺野古バスの運行でした。毎週1回月曜日に県庁前から出発していましたが、201 5年の年明けからは毎日バスをチャーターし運行しています。那覇市からだけにとどまらず、その後、宜野湾市(火曜日)、沖 縄市(土曜日)、名護市(土曜日)、うるま市(木曜日)、西原町、北谷町、読谷村からもバスが運行されています。日本(ヤ マトゥ)はもとより1950年代の島ぐるみ闘争でも見られなかった、壮大な民衆運動が持続的に展開されるに至りました。これが 「戦後70年」、現在の沖縄です。
 この辺野古バスの運行とともに、島ぐるみ会議には現在「国連部会」、「国内対策部会」、「米国対策部会」の3つの部会が 組織され活動しています。名称に現れているように、ここでは国内(ヤマトゥ)も米国も対策される対象でしかありません。


10月16日 関西・沖縄戦を考える会講演会「戦後70年-沖縄とヤマトゥ」
講演する波平恒男・琉球大学教授

「沖縄戦70年」の2015年9月21日、翁長知事が国連の人権理事会で演説をおこないました。日本の知事が国連で演説するのは初 めての出来事です。管見によれば、沖縄が米軍基地問題について国連の場に訴えるのは、1962年の「施政権返還に関する要請決 議」以来、実に53年振りのことです。1960年12月、第15回国連総会は「あらゆる形の植民地主義を速やかに、かつ、無条件に終 止させることの必要を厳かに宣言する」旨の「植民地諸国人民に対する独立許容宣言」(植民地独立付与宣言)を採択しました。 これに着目して立法院(現在の沖縄県議会にあたる)は1962年2月1日、国連の植民地解放宣言を引用して「施政権返還に関する 要請決議」を全会一致採択し、国連全加盟国(当時104カ国)に直接送付しました。 以下が要請決議です。


10月20日 中央開発前抗議行動

  対日平和条約第三条によって沖縄を日本から分離することは、正義と平和の精神にもとり、将来に禍根を残し、日本の独立 を侵し、国連憲章の規定に反する不当なものである。
  しかるにアメリカ合衆国は、軍事占領に引き続き前記の条約によって沖縄を日本の統治から分離し、施政権を行使すること 十六年に及んでいる。
  この間沖縄住民は日本復帰を訴え続け、琉球政府立法院はその趣旨の決議をもって繰返し要請し続けてきたが、米国は依然 として無制限保持の政策を捨てず、ケネディ大統領は去る一月一八日に合衆国議会に送った予算教書の中で「米国と自由世界の 安全を守るため極東での脅威と緊張が沖縄の軍事基地維持を必要とする限り米国は沖縄の管理責任を引き続き負う」と述べて、 従前の態度を改めていない。
  このようなアメリカ合衆国による沖縄統治は、領土の不拡大及び民族自決の方向に反し、国連憲章の信託統治の条件に該当 せず、国連加盟国たる日本の主権平等を無視し、統治の実態もまた国連憲章の統治に関する原則に反するものである。   われわれは、いかなる理由があるにせよ力によって民族が分離され他国の支配下に置かれることが、近代世界において許さ るべきものでないことを強調する。
  一九六〇年十二月第一五回国連総会において「あらゆる形の植民地主義を速やかに、かつ、無条件に終止させることの必要 を厳かに宣言する」旨の「植民地諸国、諸人民に対する独立許容に関する宣言」が採択された今日、日本領土内で住民の意志に 反して不当な支配がなされていることに対し、国連加盟国諸国が注意を喚起されることを要望し、沖縄に対する日本の主権が速 やかに完全に回復されるよう尽力されんことを強く要望する。


10月20日 大成建設前抗議行動

 立法院でこの決議の提案理由を述べたのが奇しくも翁長知事の父である助静でした。この決議は、今から顧みると時代的制約 から来る不十分さがあるかも知れませんが、国連を視野に入れたその先駆性は歴史的な価値を持っているといえます。この時は 「施政権返還に関する要請決議」を国連加盟国に送付するというアクションにとどまりましたが、53年を経て今回は、国連での 演説という直接行動となりました。
 ジュネーブの国連人権理事会の場において翁長知事は2分間の次のような演説をおこないました(実際は英語)。

  私は、日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。
  沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。
  沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。
  沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。
  沖縄は日本国土の0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の73.8%が存在しています。
  戦後70年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。
  このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。
  自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できる のでしょうか。
  日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設 作業を強行しようとしています。
  私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。


10月20日 埋め立て承認取消し支持のJR大阪駅前キャンドルアピール@

 時間的制約がある短い演説の中で、翁長知事は「自己決定権」と「人権」という単語を2回使用しました。翁長知事が自己 決定権に言及し、基地問題を人権の問題として語ったのは初めてのことです。
 知事が出発するのに先立ち、自民党沖縄県連は知事に対し、
(1)沖縄において先住民、琉球人の認定について議論がなされていない。
(2)基地問題は沖縄県と政府の日本国内の政治問題である。
 この2点から、辺野古新基地建設反対を先住民の権利として主張しないこととの「要請書」を提出しました。要は、日本の 一地方の住民である沖縄県民には自己決定権はない。それゆえ沖縄の合意を事前に取り付ける必要はなく、日米両政府による 合意だけで基地建設を決定できるので政府(日本=ヤマトゥ)の言うことに従えというものです。知事は自民党沖縄県連から の要請には応じず、国際舞台において沖縄民衆(ウチナーンチュ)を代表して自己決定権の担い手であることを宣言しました 。今後は、沖縄の主張は日本(ヤマトゥ)とは別々に扱われることになるでしょう。
 拙論『“県外・国外移設”に示される沖縄の思想と自己決定権』においても触れましたが、ここで再度、自己決定権につい て簡潔に述べます。
 国際人権規約第1条1は「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づきに、すべての人民は、その政治的地位を 自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」と謳い、すべての人民は自己決定権を持つと規定 しています。ここで言う「人民」とは既存の主権国家の「国民」と同義ではありません。国家内における特定集団(先住民族 等)も「人民」とされ、自己決定権があります。特定集団とはエスニック・アイデンティティや共通の歴史的伝統、文化的同 質性、言語的一体性等を持ち、集団自身が「自己認識」を持っている集団のことで、先住民族を含みます。では、沖縄の人々 はその「人民」に該当するのでしょうか。
 近代国家が国民形成の名のもとに野蛮・未開と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民族の存在や文化 を受け入れることなく、さまざまな形の同化主義を手段としてその集団を植民地的に支配した結果生じた人々が、先住民族と 呼ばれうる民族的集団です。筆者が繰返し述べてきたように、先住民族と言う時、日本人の多くはネイティブアメリカン(イ ンディアンと呼ばれる人々)とか、南米のインディオの人たちを思い描きますが、どの民族が先に住んでいたのかという「先 住性(indigenousness)」は、先住民族の資格要件の一つにすぎません。ここでは先住か後住かということは問題ではなく、 植民地支配や同化政策がおこなわれていたか、が重要なのです。
 そうした理由から国連は、既に2008年10月30日付の国際人権(自由権規約)委員会第5回日本政府報告書審査総括所見で、 琉球・沖縄人は自己決定権を持つ先住民族であるとの結論を出しています。

  委員会は、アイヌ民族及び琉球・沖縄の人々を特別な権利や保護を受ける資格がある先住民族として締約国(日本)が公 式に認めていないことに、懸念を持って留意する。締約国は国内法によってアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々を先住民族と して明確に認め、彼らの文化遺産及び伝統的生活様式を保護し、保存し、促進し、彼らの土地の権利を認めるべきである。


10月20日 埋め立て承認取消し支持のJR大阪駅前キャンドルアピールA

 2015年8月、沖縄を訪れた国連特別報告者ビクトリア・タウリ・コープスが「沖縄の人たちは自らを先住民族と認識するこ とで国連宣言の条項が適応される」と語ったように、沖縄民衆(ウチナーンチュ)は人民の自己決定権が“ある”と認識する だけでなく、“持っている”と自己規定することが、今後ますます重要となってくるのです。
 しかしながら、先住民族であるとの認識を持つべきではないとの主張もあります。例えば平良哲は10月4日付『沖縄タイム ス』「論壇」に“沖縄 先住民族ではない/復帰達成 誇りある国民に”と題した次のような一文を投稿しています。

  (前略)国連自由権規約人権委員会が「アイヌおよび琉球民族」は、国内法で「先住民族」として認めるよう勧告を行 ったことがある。
  しかし、わが国の最高議決機関である衆参両院は、2008年6月6日の本会議で「アイヌは先住民族」であるという全会一 致の決議を行っている。それを受けて、日本政府も「アイヌの人々は先住民族である」と正式に政府見解を表明している。 このように国会も政府も公式にこれを認知している。従って、日本における「先住民族はアイヌ」だけである。(中略)
  沖縄県民は、誇りあるウチナーンチュとしてのアイデンティティーをもった日本国民であり、「先住民族」ではない。
  沖縄においては半世紀ほど前に、復帰後の初代知事を務めた屋良朝苗氏を先頭に県民挙げて祖国復帰運動を展開し、悲 願を達成した輝かしい歴史を忘れてはならない。以来、沖縄県民は誇りある日本国民としての権利と義務を行使している。
(後略)


キャンドルアピールを報じる10月21日付『琉球新報』

 沖縄の人々の歴史観が「日本復帰史観」の超克の途上にある現在、こうした論調は極めてまれであり、復帰史観の呪縛か ら解き放たれていないものです。
 ちなみに平良哲は現在79歳で、1972年の日本「復帰」後、1972年、1976年、1980年、1984年と沖縄県会議員を4期16年務 めた、自民党沖縄県連の元幹事長でした。さらにオキナワコンベンションビューロー専務理事、沖縄観光連盟専務理事、那 覇空港ビル社長等の要職にあった、沖縄政財界の第一人者の一人です。自民党沖縄県連が知事に提出した「要請書」とその 思想的な立脚点が類似していることが分かります。
 翁長知事が辺野古新基地建設をめぐり、前知事の埋め立て承認の取り消しに向け手続きを始めた翌日の9月15日付『琉球新 報』社説は、“知事取消し表明 岐路に立つ沖縄の尊厳 自決権持つ存在と示そう”と題して、次のように述べました。

  沖縄は抜き差しならない重大な局面に入った。(中略)
  これは単なる基地の問題ではない。沖縄が、ひたすら政府の命ずるままの奴隷のごとき存在なのか、自己決定権と人権 を持つ存在なのかを決める、尊厳を懸けた闘いなのである。知事はもちろん、われわれ沖縄全体が今、近代以来の歴史の分 岐点に立っている。(中略)
  近代以降の歴史を通じて沖縄は、その意思をついぞ問われないまま、常に誰かの「道具」にされ続けた。今回の政府の 姿勢はその再現である。沖縄は今後も民意を聞くべき対象ではないとする意思表示にほかならない。(後略)


キャンドルアピールを報じる10月21日付『沖縄タイムス』

 かくして、自民党沖縄県連の要請から見えてくるものは、一方において、辺野古容認派が自己決定権を不問に付し、琉球・沖縄人のアイデンティティを後景化して日本(ヤマトゥ)人化(=同化)の道を歩もうとし、他方、辺野古新基地建設に 反対する人々が琉球・沖縄人のアイデンティティを問い、先住民族としての自己決定権の確立を求める道を歩もうとする構図です。
 2015年6月2日付『琉球新報』の世論調査によると、辺野古新基地反対は83%(その内訳は、国外移設31.4%、無条件閉鎖・撤去29.8%、県外移設21.8%)です。賛成は14.2%(その内訳は、辺野古移設10.8%、他の県内移設3.4%)で、その他 が2.8%となっています。
 右図は縦軸に沖縄・琉球人(先住民)意識と日本人(ヤマトンチュ)意識を取り、横軸に辺野古反対(県外・国外移設)と辺野古容認(県内移設)を取り、図式化したものです。そうすると沖縄・琉球人(先住民)意識が高くなるほど辺野古反 対(県外・国外移設)が強く、ほとんど100%に近づく(A点)のに対し、日本人(ヤマトンチュ)意識が高くなるほど辺野古容認(県内移設)が強くなる(B点)と思われます(この中には日本人移住者の多くが含まれているでしょう)。日本人で かつ沖縄・琉球人であるという複合的帰属意識を持つ人(C点)は辺野古反対(県外・国外移設)が70%ほどを占めるものと推察されます。

 「沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げている」(国連人種差別撤廃 委員会の「最終見解」)、その「経済的、社会的権利」の領域を島ぐるみ会議が、「文化的権利」の領域を文化連絡会が担 うことによって、この両輪の緊張と協働が自己決定権を獲得していくとする取り組みが展開されています。
 以上述べたことから明らかなように、従来語られてきた<経済=保守>対<平和=革新>という図式を超える、琉球・沖 縄人としての民族的アイデンティティに立脚した営為が現在広く、深く進行しているのです。
 「沖縄戦70年」の今、沖縄はここに位置しています。


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