☆西浜さんのプロフィール☆
1944年生。1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、大阪市大人権問題研究センター会員ならびに共生社会研究会所属。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会書記


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第121 号(2016年2月)

原点はどこに?− 1996年橋本・モンデール会談か、沖縄戦か ー

 辺野古新基地建設をめぐり、状況は日々めまぐるしく動いています。月1回発行(それもままならない時もある)の『沖縄通信』 では辺野古の状況を刻々伝えるよりも、少し長いスパーンで考えるのが良い場合もあると思います。
 そこで浮上してくるのが、昨年2015年8月10日から9月9日までの1ヶ月間、工事を中断して持たれた政府と沖縄県との4回にわたる 集中協議についての検証です。一体その場で何が話し合われたのか、何が決裂したのかを確認することはとても重要なことです。
 その中で翁長知事と菅官房長官の会談は、8月12日、同29日、9月7日の計3回開かれました(これ以外に集中協議は8月24日にも持 たれている)。最終の9月7日には安倍首相も出席しました。それを遡る4月6日に初の翁長・菅会談が持たれました。2014年12月、翁 長知事就任後政府首脳は誰一人として面談に応じないという程度の低いいやがらせをおこない、新知事就任後5ヶ月が経ってやっと 実現を見たものでした。
 ここでは、前後4回の会談において、両者は相手に何を伝えようとしたのか、そしてそれは伝わったのか、その結果、何が明らか になったのかを見ることにします。


1月19日 中央開発前抗議行動@

1.2015年4月6日の会談
1)翁長知事の冒頭発言
○ 日米安保体制について
 沖縄は全国の面積のたった0.6%に74%の米軍専用施設が置かれている。戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、 無念さもある。
 日米安保体制が重要だというのは、十二分に理解している。たった1県の沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本の国を守るん だと言ってもその覚悟のほどがどうだろうかと思う。日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障をしっかりやってほしい。沖 縄の危惧は、今の日米地位協定の中では解決しにくいと思っている。
○ 沖縄の基地の歴史について
 今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはない。普天間飛行場もそれ以外の飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所 に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで基地に変わった。私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。こ の70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれぐらい頑張ってこられたかということの検証を含め、そのスピードから言うと 先にはどうなるのか。なかなか見えてこない。
○ 2013年4月28日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」について
 一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだと言う。沖縄にとっては、あれは 日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に 思う。27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。その間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するよ うなものだった。
○「粛々」という言葉について
 官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、「沖縄の自治は神話である」と言ったキャラウェイ高等弁 務官の姿が思い出される。
 自治権獲得の歴史は「粛々」という言葉には決して脅かされない。上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心 は離れて、怒りは増幅していく。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。
 こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっていて、私 たち一人一人の生きざまになってくる。
○ 普天間の固定化について
 官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができな かったら固定化ができるのかどうか、これをぜひお聞かせ願いたい。
○ ハナシクワッチー(=話のごちそう)
 2025年、2028年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」と言 って、沖縄では話のごちそうという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知らんふりというのが、戦後 70年間の沖縄の基地の問題だった。だから「またはその後」が付けば、「50年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民み んな持っている。
○ 県民の民意について
 県知事選挙で争点はただ一つだった。私と前知事の政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。埋め立て承認の審判が、今度 の選挙の大きな争点であり、10万票差で私が当選した。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示された。

2)菅官房長官の冒頭発言
○ 辺野古新基地について
 わが国を取り巻く安全保障関係、極めて厳しい中にあって、まさに沖縄県民のみなさん方々を含めて国民を守ることは国の責務だ と思う。そうした状況の中で、日米同盟の抑止力の維持と危険除去、こうしたことを考えた時に、辺野古移設というのは唯一の解決 策であると政府は考えている。
 そして今日にいたるまで長い間、日米間で真摯に話し合い、議論してきたその合意事項でもある。辺野古移設を断念することは普 天間の固定化につながる。
○ 沖縄の負担軽減について
 空中給油機15機全部を昨年、山口県の岩国飛行場に移した。緊急時における航空機の受け入れ機能も九州へ移す予定で話を進めて いる。結果的に辺野古に移転するのはオスプレイなどの運用機能だけだ。オスプレイの訓練についても本土でできる限り受けたいと 思っている。
3)両者は相手に何を伝えようとしたのか、そしてそれは伝わったのか。
 基地を中心とした戦後沖縄の歴史を語る翁長発言は圧倒的な迫力を持って、読み手に迫ってきます。無論、相手(=菅官房長官) にどれほど伝わったかは別の問題ですが…。事実、会談後の記者会見で、翁長知事は「きつい話もしたが、しっかり聞いていた。た だ、ポーカーフェイスでどういう咀嚼したかは読めない」と語っています。
 屋良朝博は「翁長・菅会談を読み解く−『海兵隊=抑止力』は真実か?」(『沖縄タイムス』2015年4月8日付)で、次のように言 います。

 沖縄基地の真相は、在沖米軍の中で最大兵力、最大の基地面積を占める海兵隊は沖縄でなくても機能するが、日本国内では米 軍の駐留を拒否する−ということが沖縄基地問題の深層に隠されている。真実を見えなくするマジックワードが「抑止力」である。
 同盟は大事だと言いながら基地負担を沖縄だけに押しつける。そして基 地問題にあえぐ沖縄に対し、「もっと安保の大切さを考 えてほしい」と詐欺師のような言説が氾濫する。


1月19日 中央開発前抗議行動A

2.2015年8月12日の会談
 第1回集中協議が開かれるまさにこの日、米軍H−60型ヘリコプターがうるま市伊計島沖に墜落しました。
1)会談後の翁長知事の記者会見での発言
○ 抑止力について
 機動性、即応性、一体性、これが海兵隊が沖縄にいる理由だと防衛省は話すが、沖縄の海兵隊は揚陸艦がないから、これは理由に ならない。
 抑止力から言うと、もっと分散をしてやるべきではないか。私の発言について「いや違うでしょう、こうでしょう」との発言は官 房長官からはなかった。「思いはわかる」とか、聞き役に回って話をされていた。
○ 原点はどこに?
 官房長官は世界一危険な普天間基地の危険性の除去が原点だと。私は、戦後、普天間の住民がいない間に強制収容されてつくられ た基地、これが原点だと。
○ 基地の負担軽減について
 嘉手納以南もいつ返されるかも分からんような書き方だが、それが返されたとしても73.8%が73.1%に0.7%しか減らない。KC130 が15機岩国に移転したと一つの成果として挙げているが、その時は普天間に63機あり15機減ったから48機となった。ところがその後、 攻撃用ヘリと大型ヘリが10機配備され、今58機になっている。この話をしたら官房長官は「初めて聞いた」と言っていた。
2)会談後の菅官房長官の記者会見での発言
 政府とすれば、橋本・モンデール会談、日米で普天間の危険除去、閉鎖、そうしたものの代替案として県内移設、そこが原点であ ると私は申し上げた。知事については、サンフランシスコ平和条約、さらにそれ以前、そういうことの意見であります。そこについ てはお互いに大きな距離感があったという風に思ってます。いずれにしろ今日スタートですから、これから進めていって理解が深ま る、そこは努力していこうと思います。

3.2015年8月29日の会談
1)会談後の翁長知事の記者会見での発言
○ 菅官房長官の思いは?
 何回か私の方で沖縄の思い、歴史の問題を話したので、官房長官の思いを聞かせてくれませんかと話した。「私の原点は梶山元官 房長官の秘書として沖縄問題に関わって普天間の危険性除去についてというのはあるが、原点とかそういうことについては日米合意 の形のところから物事が始まっている」という話があった。
○ 海兵隊の今日までの流れについて
 キャンプ岐阜、キャンプ山梨等から海兵隊が沖縄に来て、1960年代の半ば以降から大変過密になってきた。復帰もして今日に至っ た数字が向こうは80平方キロメートルまで減っているが、沖縄は74%まで膨れ上がってきたことを地図を示したり、数字を示したり して説明もした。
2)会談後の菅官房長官の記者会見での発言
 私自身は正直19年前の橋本・モンデール会談の日米合意が原点である。私の政治の恩師であります梶山静六先生からも「とにかく 普天間の危険除去は絶対に実現しないといけない」という話を伝えました。両者の間で、普天間の危険除去、運用停止については一 致した。まあそういうことです。ただ、その方法については、著しく距離感があると思っています。
 (「集中協議は残り1回となったが、どのように埋まっていない溝を埋めるか、着地点はあるのか」との記者からの質問に対して) 19年前に県からの要請で普天間飛行場の危険除去、運用停止、これが日米で合意したわけですから、それがなかなか今日まで進まな かった。だが一昨年、仲井真前知事から埋め立て承認を受けて、いまようやく始まってきているわけでありますので、行政判断は私 たち緒についたと思っていますし、行政の継続ということも法治国家であるわけですから、そういう方向の中でこの1ヶ月間の集中協 議、まだこれからも残されていますので、そこは懸命に努力をさせていただいて、理解を深めるということに変わりはないということ です。
3)両者は相手に何を伝えようとしたのか、そしてそれは伝わったのか。
 8月12日に「今日スタートですから、これから進めていって理解が深まる、そこは努力していこうと思います」と言い、この日もま た「行政の継続という…方向の中で…懸命に努力をさせていただいて、理解を深める」と菅官房長官が言う「努力する」との中味は、 辺野古新基地建設を県に認めさせるという以外にはないのです。


1月19日 大成建設前抗議行動@

4.2015年9月7日の会談
1)会談後の翁長知事の記者会見での発言
○ 沖縄に海兵隊を置く理由
 中谷防衛大臣に「ミサイルが発達しているので、沖縄は近すぎて危ないんだ」と私が言った時に、「ミサイルにはミサイルで対抗す る」とおっしゃった時には、「私は心臓が凍る思いがした。沖縄を領土としてしか考えてないんじゃないか。140万の県民が住んでい るということに、ご理解がない。このようなすれ違いがあった」と総理に申し上げた。
○ 沖縄振興予算の誤解
 山口沖縄担当大臣に「本土の方々、あるいは国会議員も含めて、みんな各47都道府県行き届いた後に沖縄だけが3000億円の振興予算 を特別にもらっていると誤解している。地方交付税は16位、国庫支出金と合わせて6位である」という話をさせていただいた。
○ たらい回し
 岸田外務大臣には「ワシントンDCに行って話をしようとする時に、マケインさんとかリードさんとか、全員が紙を読み上げるんで すね。同じセリフを言ってからの会話でありましたので、同じ文書を回したんじゃないですか」と話もさせていただいた。
 総理には「日本に帰ってきて、外務大臣、防衛大臣と話をすると、大概ですね、アメリカがノーと言うんだよというのが、今まで私 たちのたらい回しの現状です。そうすると総理の『日本を取り戻す』という中に、沖縄が入っているんですか」ということも聞かせて もらいました。
○ 戦後レジームの死守
 「総理は戦後レジームからの脱却と言っているけれども、沖縄の現状を見ると、戦後レジームの死守ではないか」という話もさせて いただきました。
○ 集中協議への評価
 菅官房長官には「歴史の話もたくさんしましたので、お互い別々に今日まで生きてきたんですね、70年間ね。すれ違いですね」とい う話もさせていただきました。
 協議はよかったんじゃないですかね。一致できないところもよく分かりましたしね。言葉だけの話というのもよく分かりましたしね。
○ 議論は深まったか
 分かりませんね。菅さんに聞いてください。総理が出て行かれて、菅さんが具体的に話をされたので私の質問になりました。私が質 問しなければおそらく今日は何の話で締めくくったか分からなかったと思いますが、今日までの5回の協議はどっちかというと私の方が 沖縄の実情を話して、聞き役に回っていただいて、なおかつ理解ができないということですから、これはなかなか難しい。
○ 沖縄の負担軽減について
 私からは「もう何十年間、時の総理、官房長官、外務大臣、防衛大臣に同じ話ばかり聞かされています。みなさん方、100年後に解決 するつもりでいるんじゃないですか。言葉だけが一人歩きして、安倍内閣はよく頑張っているじゃないかと国民に思われたら、私たち 沖縄はなす術がなくなりますので、いつできるか分からないようなものはもうおっしゃらないでいただきたい」と今回は話をさせてい ただきました。
2)会談後の菅官房長官の記者会見での発言
 総理から@普天間飛行場の辺野古移設に関してはあくまでも19年前の日米合意が原点である。A普天間飛行場の危険性除去、これに ついて進める必要性がある。B日米間で合意されている北部訓練場の半分以上の4千ヘクタールの早期返還を沖縄県の協力を得ながら取 り組んでいく。C日米地位協定の環境補足協定について、近いうちに妥結する見通しである。D国家戦略として沖縄県の振興をしっか り推進していく。E沖縄振興予算については、2021年まで、毎年3千億円を確保する約束を重視し、その実施に最大限努力する。この6 点が述べられました。


1月19日 大成建設前抗議行動A

5.何が明らかになったのか。何が問題なのか。
 安倍内閣はしばしば「沖縄(の方)に寄り添う」と言います。しかしその内容は今まで見てきた通りです。普通の感覚を持った人間 ならば、相手が何を言っているのか、何を伝えようとしているのかを考えるものです。それが人間というものです。
 2015年4月6日の初会談から最終回の9月7日までの約5ヶ月間、菅官房長官は何を学んだのだろうか?何を学ぼうと欲したのだろうか? それを感じることは全くできません。彼の発言はオウム返しのように「負担軽減(=危険性の除去)と抑止力の維持」、これのみに終 始しています。相手の発言を理解しようという態度は微塵もありません。“何か言いたいことがあれば言ってみな!発言は許すが聞く 耳は持たないヨ”という態度です。めまいを起こすばかりです。ここまで沖縄を軽く見るのか。沖縄は自らの思考の中に入っていない のです。
 「いずれにしろ今日スタートですから、これから進めていって理解が深まる、そこは努力していこうと思います」(8月12日の会談後 の記者会見)と語っても、何らの努力の跡も見られない。知事に「官房長官の沖縄への思いを聞かせてほしい」と問われても、政治の 恩師と仰ぐ梶山静六のことしか語れない、否、語らないのです(8月29日の会談)。
 安慶田副知事も「沖縄県の理解は日本政府には辺野古案はないんじゃないですか。閣議決定してこれを取り消して、現在、辺野古案 はないと私たちは理解している。そういう意味からすると、辺野古案が唯一という政府の考え方はおかしいんじゃないか、と言うと返 事はありませんでした、ただ聞いていました」、翁長知事も「言葉だけの話というのもよく分かりましたしね」(9月7日の最後の会談 )と記者会見で述べています。我々はよくぞここまで認識の低い、無責任な人間を権力中枢のナンバー2に持ったものです。否、これこ そまさに植民地の総督府における支配者の立ち位置(ポジショナリティー)でなくて何であろうか。
 翁長知事も1ヶ月間の集中協議で何かが劇的に変化するとは考えていませんでした。「政府と一致できないこともよく分かった。多く の国民のみなさん方に沖縄の思いを一定程度のご理解をいただいたということは、私からすると良かったと思っている」(9月7日の記 者会見)との発言からもそれをうかがい知ることができます。「沖縄(の方)に寄り添う」と言う安倍内閣の回答は、9月12日から(最 後の会談から5日後)の辺野古工事再開でした。一方、翁長知事は間髪を入れずに9月14日、埋め立て承認取り消しの手続きに入り、10月 13日、埋め立て承認を取り消しました。あくまでも民意を尊重し、このような決断をする知事はかつて日本にはいなかったでしょう。
 以上述べた一連の日本政府の対応に、4人の研究者が抗議声明を発表しました。


1月23日 第598回大阪行動

6.4人の研究者による抗議声明
 菅官房長官は9月8日、政府と沖縄県の集中協議が決裂した後の記者会見で、普天間飛行場が戦後に強制接収されて建設されたことが 現在の普天間問題の原点だとする翁長知事の主張に対して、「賛同できない。日本全国、悲惨な中で皆さんが大変ご苦労されて今日の 豊かで平和で自由な国を築き上げた」と反論しました。
 それに対し11月24日、鹿野政直・早稲田大学名誉教授と戸邊秀明、冨山一郎、森 宣雄の4人の研究者が「戦後沖縄・歴史認識アピー ル 沖縄と日本の戦後史をめぐる菅官房長官の発言に抗議し、公正な歴史認識をともにつくることをよびかける声明」を発表しました。 1228人の賛同を得(ぼくも賛同した一人)、12月15日に撤回を求めて声明を内閣府に提出しました。
 声明は、要旨次のように言います。

(菅官房長官の)この発言にみられる歴史認識は、沖縄と日本の戦後史、あるいは現在にいたる日米両国の対沖縄政策の歴史を、主 観的な思いこみを頼りに自己流に解釈した無責任なものです。日本政府の国務大臣が公式の場でこのような歴史認識を表明したことに 対し、私たちは、沖縄と日本の戦後史の研究に携わる者として抗議し、発言の撤回を求めます。
 連合国の占領の形態は、日本政府に指示・命令を与える間接占領であり、地上戦で「血を流して得た」征服地を米軍が直接統治した 沖縄の軍事占領とは、性格がまったく異なります。
 日本本土は、冷戦下の厳しい緊張状態にあった近隣諸国とは対照的に、 いわば低コストの安全保障環境のもとで「奇跡の経済成長」 に邁進する有利な条件を得ました。それは、沖縄に軍事的負担を押しつける構造なしにありえなかったのです。
 集中協議の場で菅官房長官は、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史はなかなか分からない」、そのため日米両政府の19年前の「辺野 古合意がすべてだ」と語り、これに対し翁長知事は「お互いに70年間も別々に生きてきたような感じがしますね」と返したといいます。 とても抑えた言い方ですが、このやり取りには、自分が継承する政府の行為を「戦後生まれ」といった個人的理由で否認する、驚くほど の無責任さが露呈しています。しかし、菅官房長官の発言は、単にひとりの国務大臣の認識不足と無責任さを露呈させただけなのでしょ うか。沖縄の基地問題にあたる政府当局者に、歴史の事実や、その歴史のなかで犠牲を強いられた人の痛みを省みない発言をしても構わ ないと思わせている日本の政治・言論状況や歴史認識の現状にこそ、問題の根はあるのだと考えられます。
 いま「日本の政治の堕落」、「民主主義の価値観の共有」、そして「日本の安全保障を日本国民全体で考えること」が、何度となく沖 縄から問いかけられています。問われているのは政府だけではありません。沖縄の基地建設の発端となったアジア・太平洋戦争の歴史を 本当に克服できているのか、沖縄への差別は戦前の植民地主義とつながりがあるのではないか、それらを克服する歴史認識を築きえてい るのか−。沖縄からの問いは、戦後70年の歴史的な問いであり、まずもってそれに答えるべきは、政治家や専門家もそのうちにふくむ日 本本土社会の人間以外にはいません。
 沖縄では、戦後70年にわたり「基地の島」とされ軍事的緊張と対立のただ中に置かれつづけてきたからこそ、この島で平和と人権、自 治を打ち立てることがすなわちアジア・太平洋に真の戦後、平和をもたらすことになるという思想が、草の根のレベルからじつに数多く の人びとによって分け合われ、訴えられ、語り継がれてきました。辺野古新基地建設に反対する大きな理由もそこにあります。その平和 への夢と希望を日本国内はもちろん、ひろく世界の人びとに知っていただきたいと願っています。このことは沖縄のためというだけでは ありません。日本がこれからアジアの平和と繁栄に貢献する道は、沖縄の住民世論に即したかたちで基地問題の解決をはかり、「基地の 島」から平和を発信するその先にこそ、ひらけてくると確信いたします。

 このように声明は言っています。続けて「付記 私たちの立場、声明発表の経緯、これからについて」も公表されました。それには「 戦後沖縄と日本の歴史は、より少数の弱い立場のところに矛盾や負担を集中させる分断支配の構図のもとに進んできました。この歴史の 上に立ち、安倍政権は沖縄に対してもっとも正直に自らの政治姿勢を露わにしています。歴史を否認し、法の精神や行政ルールも省みず、 警察権力と利益供与で力ずくの支配を行うというのがそれです」と分析した上で、「みなさんと、たがいの知識や経験、思いを寄せ合い 、沖縄に対する積年の差別の克服をめぐって連携しあうことができないか、提案したいと考え、この声明を発表するにいたりました。そ れを政治の力ずくのありように対して抵抗しうる、ひとつの(信頼を結びあう)思想的回路にしたいと臨みます。
 こうして日本本土の歴史と現在に向き合うことで、ようやく沖縄からの問いかけに応答することが可能になり、沖縄と日本本土の壁を こえて話し合う場が築けないか、呼びかけを返してゆくことができるのではないかと考えました」と記しています。

 この呼びかけにぼくは賛意を表し、ともに歩んで行きたいと願っています。


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