☆西浜さんのプロフィール☆
1989年12月受洗。
2005年3月琉球大学大学院修士課程修了。
2009年3月大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、Stop!辺野古新基地建設!大阪アクション共同代表、日本平和学会、日本解放社会学会各会員。
日本キリスト教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会委員長


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第125 号(2017年7月)

幻の屋良『建議書』は、どこまで実現を見たか(その1)

 1971年11月17日、衆議院沖縄返還協定特別委員会は「返還協定」(「琉球諸島に関する日本国とアメリカ 合衆国との間の協定」)を強行採決した。この日、琉球政府・屋良朝苗行政主席は日本政府に提出する『復 帰措置に関する建議書』(以下、『建議書』と略す)を携えて上京したが、「羽田空港に降り立ったとき、 自分が機中にいるあいだに衆院の特別委員会で返還協定が強行採決されていたとの報道でむかえられた」( 『沖縄戦後民衆史』179ページ)。このことを知った屋良は「失望と混乱の状態で私は逃げるようにホテルの 部屋に閉じこもり、ひとりあきれ狂った」(『同上』179〜80ページ)という。それ故、今日までこの『建議 書』は<幻の『建議書』>とか、<沖縄の告発>あるいは<歴史の証言>(『沖縄大百科事典 下』379ペー ジ)などと呼ばれてきた。
 遡って、沖縄の施政権はこの年(1971年)にはまだ日本に移管されていない。にもかかわらず1970年5月7日 に日本の国会は「沖縄住民の国政参加特別措置法」を成立させ、これを受けて沖縄の立法院は同年7月17日、 「特別措置法」に基づく「国政参加選挙法案」を全会一致で可決した。こうして同年11月15日に戦後初の国 会議員選挙が実施された。その結果、衆議院には瀬長亀次郎(人民党)がトップ当選し、全軍労委員長の上 原康助(社会党)、安里積千代(社大党)、西銘順治(自民党)、建設業界の国場幸昌(自民党)がつづい た。参議院には喜屋武真栄(革新統一)がトップ当選し、石油業界の稲嶺一郎(自民党)がつづいた。一方、 日米両政府の返還合意は日米安保条約廃棄、米軍基地と核兵器の撤去を要求する沖縄住民の要求を逆手に取 ったものだとして、沖縄の自律的な選択の意志を明確に打ち出すために国政参加拒否闘争も起こった。
 施政権の移管前に日本政府が国会議員選挙を実施した意図は、沖縄の代表も参加した国会が承認したものだ とのお墨付きを得るためであり、「かれらは沖縄住民の同意をよそおう飾り物にすぎなかった」(『同上』 180ページ)。この強行採決は「沖縄選出の自民党議員にも秘密にして進められた『だまし打ち』」(『同上 』179ページ)だった。ウチナーンチュだという理由で、彼らは自らが所属する党からも排除されたのだ。他 方、野党側の「瀬長亀次郎や安里積千代らの総括質問がおこなわれるまえに委員会は強行採決した」(『同 上』180ページ)。このように、当時も今も国会に占める沖縄の議席は常に絶対的少数(1970年当時、沖縄選 挙区の衆議院議員5人は衆院全議員491人のうち約1%にすぎない。沖縄の人口が日本全体の1%程度であるこ とからすれば、この定数配分には「正当性」があるといえるのだが)であり、多数決をもって是とする現在 の議会制民主主義政治においては、沖縄の意見は理論的には反映されない仕組みとなっている。
 こうした経過をたどって「返還協定」が発効し、1972年5月15日に沖縄の本土(ヤマトゥ)「復帰」がなされ たが、幻の『建議書』と呼ばれてきた『復帰措置に関する建議書』はどこまで実現を見たのか?これを検証 することがこの論考の目的である。その分析を通して、日本(ヤマトゥ)政府の沖縄に対する施策を見るこ とが出来るからである。

 さて、132ページの大分な『建議書』は、「一、はじめに 二、基本的要求 三、具体的要求」の三部構成 で成り立っている。
 「一、はじめに」で、「復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位(「従来の沖縄は余に も国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎ」たという地位)からも沖縄は脱却していか なければなりません。したがって…そのような次元から沖縄問題をとらえて、返還協定や関連諸法案を慎重 に検討していただくよう要請する」、「政府ならびに国会はこの沖縄県民の最終的な建議に謙虚に耳を傾け て…」とした上で、「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望し ていたからに外な」く、「従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望 んでおります」との基本的な立場を明らかにして、具体的に次のように述べる。

 返還協定について
 基地を固定化するものであり、県民の意志が十分に取り入れられていないとして、大半の県民は協定に不満 を表明しております。(『建議書』4ページ)
 自衛隊の沖縄配備について
 絶対多数が反対を表明しております。…去る大戦において悲惨な目にあった県民は、世界の絶対平和を希求 し、戦争につながる一切のものを否定しております。…しかるに、沖縄の復帰は基地の現状を堅持し、さら に、自衛隊の配備が前提となっている…。これは県民意志と大きくくい違い、国益の名においてしわ寄せさ れる沖縄基地の実態であります。(『同上』4〜5ページ)
 核抜き本土並み返還について
 未知の核兵器が現存するとすれば、果して後いくばくもない復帰時点までに撤去され得るでありましょうか 。…実際撤去されるとして、その事実はいかにして検証するか依然として不明のまま問題は残ります。…  基地の整理縮小かあるいはその今後の態様の展望がはっきり示されない限りは本土並と言っても説得力をも ち得るものではありません。(『同上』6〜7ページ)
 安保と沖縄基地について
 安保が沖縄の安全にとって役立つと言うより、危険だとする評価が圧倒的に高いのであります。…安保は沖 縄基地を「要石」として必要とするということであります。反対している基地を必要とする安保には必然的 に反対せざるを得ないのであります。(『同上』7〜8ページ)
 公用地の強制収用五ヶ年間の期間
 県民の意志に反して五ヶ年という長期にわたる土地の収用を強行する姿勢は、県民にとっては酷な措置であ ります。再考を促すものであります。(『同上』8ページ)
 復帰後のくらしについて
 苦しくなるのではないかとの不安を訴えている者が世論では大半を占めております。…生活不安の解消のた めには基地経済から脱却し、…新生沖縄を築きあげていかねばなりません。(『同上』8〜9ページ)
 新生沖縄の像を描く
 県民の福祉を最優先に考える基本原則に立って、(1)地方自治権の確立、(2)反戦平和の理念をつらぬく 、(3)基本的人権の確立、(4)県民本位の経済開発等を骨子とする…。(『同上』9〜10ページ)

 以上から分かるように、琉球政府が沖縄の人びと(ウチナーンチュ)の総意として日本(ヤマトゥ)政府に 『建議書』という形で求めた要望は、まったく実現を見ていないと断言できるだろう。
 次回以降、各項目にわたってその詳細を見ていく。

 
 

沖縄・辺野古、高江  一人ひとりの行動が状況をかえる


チラシ本文


チラシ表面

 2004年8月より始まった「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」のJR大阪駅前での街宣行動は、7月 29日で676回を数える。ぼくは現在配布しているチラシに以下の原稿を書いた。

辺野古に基地はつくらせない 新基地はいらない そもそも埋立できる地質ではない


7月1日 第673回の大阪行動に川口真由美さんが飛入り参加

沖縄県・翁長知事が違法な工事を中止せよと命じているにもかかわらず、辺野古の大浦湾で米軍の新基地 建設工事が強行されています。

キャンプ・シュワブ前で
 工事車両の搬入を止めるために、毎日座り込みがおこなわれています。この 人たちを屈強な機動隊員がごぼう抜きして、装甲車とキャンプ・シュワブのフェンスの間に囲い込み、閉 じ込めています。作業用車両の搬入が終わるまで何十分間も続けます。その間、座り込み参加者は装甲車 から排出される排気ガスを吸い、トイレにも行かせません。こんな権限を機動隊が有する法的根拠はどこ にもないのです。非暴力の人たちに負傷者、逮捕者が続出しています。

辺野古・大浦湾海上で


7月16日 第奈良の講演会で、山城博治さん(右)と筆者(左)

 K9といわれる地点でキャンプ・シュワブから搬入された車両が砂利を大量に海に投下しています。それを 止めるため大浦湾の海上に抗議船とカヌー隊が出ています。それに対し沖縄防衛局の船、防衛局がチャー ターした民間の漁船が、音量の高いマイクで四六時中、「ここは臨時制限区域です。立ち入り禁止区域で すのでただちに退去してください」と連呼しています。
 この臨時制限区域とは、2014年6月の日米合同委員会で沖合2キロまで拡大し、立ち入り禁止総面積を562 ヘクタールに広げたものです。これは新基地建設事業のために指定されたものです。こうした変更は国会 の承認もなく、沖縄県の了承も得ていない、日米合同委員会という密室で決めたもので、新基地を拒む沖 縄の民意を無視したものです。日本国憲法の上に日米合同委員会が存在している証拠です。

辺野古・大浦湾の自然を守ろう


7月18日 大成建設前抗議行動

 シャベルカーが砕石を敷きなす「ガツッ、ガツッ」と鈍い音が大浦湾に響きます。何とも言えぬこの音が 心臓にまで響いてきます。大浦湾は世界でも稀な生物の多様性に富んだ海です。生息する生物数は5,300種 以上、その中には絶滅危惧種262種類が含まれています。自然の宝庫といわれる辺野古の自然をこれ以上 破壊すれば、取り返しがつかないことになります。

戦場のような沖縄を想像してください
 そして汀間(ていま)漁港の方角から「ドカン、ドカン」という音が聞こえてきます。米軍が実弾演習をし ている音です。ここ大阪なら「今日は淀川花火大会? それともPLの花火大会?」と思うところでしょう 。沖縄の戦場のような現状を想像してください。

辺野古の海は埋め立てができる地質ではない
 辺野古の海を埋め立てて基地をつくることは、専門家も難しいと言います。「辺野古の海底地質は空洞の ある琉球石灰岩が多い。人間の骨で言えば、骨粗しょう症のような状態だ。どうみても地質上、基地の建 設は不可能だ。1966年の米軍の調査でも地質が弱いと述べている」との見解を明らかにしています。

新基地建設を止めよう
 新基地建設を止めるために、辺野古の自然を守るために辺野古現地に行きましょう。カンパを送りましょ う。大阪・関西で出来ることをやりましょう。

 

 

 

 

 

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